愛欲の海



                                      もりつぐ さん 


(3)



第一印象は、英語ではファースト・インプレッションといいます。漢字で

書けば、「第一印象」ですが、意味はもう少し複雑でややこしいものです。

おやじさんは、一寸(ちょっと)分かりづらい人だから、第一印象を簡潔

に述べるのは、かなり面倒です。

 

人の印象は、初めからはっきりしている訳(わけ)ではありません。その

人物が複雑であればあるだけ、印象はもやもやして分かりづらくなるのが

普通です。ステップ・バイ・ステップ、付き合っている中(うち)に、段

々分かってくるのが、普通だと思います。

 

別のいい方をすれば、言葉が重なって出来上がる複合的なイメージのこと

です。葉っぱが集まって樹木となり、樹木があつまって山となるような、

複合的なイメージのことです。たとえば、人を言葉を食べて成長する「羊」

に例えると、分かりやすいと思います。

 

 言葉の海のものがたり

 

「おやじさん」は、とらえどころのない難しい人でした。でも、回を重ね

ると段々に分かってくる人です。人格に深みがある人です。亡くなってす

でに5年たちますが、記憶の断片を集めて、今は亡きおやじさんを、ここ

に描いてみたいと思います。

 

出会ったのは、浅草の店でした。客は60歳以上の高齢者ばかりです。面

食いで、外面(そとづら)ばかり気にする嫌なやつ。当時の自分のすがた

です。心の内側は、ぜんぜん見えない愚か者でした。おやじさんの本当の

良さは、当然、分かりませんでした。

 

その店のマスターは、おやじさんをケンちゃんと呼びました。そのおやじ

さんは、免許証を見せてくれました。漢字で「秋山憲造」と書いてありま

す。私は鈴木啓資で、「ひろちゃん」と呼ばれていました。ごくありふれ

た、名前です。

 

ケンちゃんとヒロちゃんは、こうしてカップルになりました。男だけの秘

密の村に、新たなカップルの誕生です。

 

 回を重ねることの意味

 

おやじさんが私と付きあったのはなぜか。よく分かりません。たぶん心配

と同情からでしょう。当時の私は、わがままで、世間知らずの男でした。

たいした取り柄(とりえ)もない男の、何に惹かれたのか、分かりません

でした。

 

マスターが勧めたのかも知れませんね。会う回数は、週一回から二回にな

り、買い物にも、旅行にも出掛けました。その結果、自然におやじさんみ

馴染(なじ)んでいったのです。人格の同化といってもいい。そして、一

緒に暮らし始めます。

 

絵描きですから、カメラ片手に、向島百花園や不忍の池にも出かけます。

気に入った建物や、人物、風景などを撮影します。形や色彩には関心が強

くて、人の気づかないアングルで撮影します。昔はスケッチブックでした

が、当時はもっぱらカメラでした。

 

私は現職でしたので、いつも一緒にいたわけではありません。なるべく一

緒にいようとしました。勉強になるし楽しかったからです。愛情の交換は、

もっぱら精神的なものが中心で、頻度は高くなかったです。背中を向けて

寝ると、よく怒られました。

 

「おい。背中を見せて寝るな。こっちを向け。顔をみせろ。」

 

顔を見れば、緊張して寝つけない私です。でもおやじさんはちがいます。

顔を見た方が、安心できるといいました。愛しているから、安らぐのだそ

うです。そういう精神構造だと、よく分かりました。プロの画家は違うと、

感じました。

 

煩(うるさ)いことは、それくらいです。あとは、なんでも「好きにせよ」

です。難しいことは、言わない人でした。

 

分かっているのは、「お前が好きだ。」ということです。それがはっきり

分かるように行動してくれました。でも、「着物は止めろ。お前は芸人で

はない。」といいました。だから、亡くなるまで、着物の袖を通しません

でした。

 

真っ裸で寝ている私を、じっと見ていることがありました。何を考えてい

たのでしょうか。よく分かりませんでしたが、寝顔を黙って見ているよう

な、そんな人でした。

 

尻を割って入ってきたのは、前にも先にも、一度きりのことです。我慢し

て逃げようとするのを強い力で抑えて、「我慢しろと」と叫びました。涙

が出るほど痛くて血が出ました。嬉しそうは、おやじさんの顔を見たら、

痛みも忘れました。

 

沖縄も一緒に出かけました。マンションの予約は、私がやりました。現地

で世話をしてくれたのは、おやじさんの友人の薬剤師でした。寺や城蹟に

関心があって、沖縄の聖地、セイファ―御嶽(うたき)を訪ねました。レ

ンタカーで、たどり着きました。




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