愛欲の海



                                      もりつぐ さん 


(9)



アメリカは、日本語の表記では合衆国ですが、本当は合州国(United

States)
なのです。シカゴは中西部の州の一つで、五大湖の中(うち)、ミ

シガン湖の傍(そば)にあります。自動車発祥のデトロイトは、イリノイ

州にあることは、皆さんご存知のはずですね。

 

爺さんと私は、東海岸のSF(サンフラン)から中西部のシカゴ・オヘアに

飛びました。訪ねる老人は、シカゴ郊外に住み、ZENさんの古い友人の一人

です。アメリカの日本人たちのつながりは強く、失意の底にある、この老

人を訪ね、励まして欲しいと頼まれたのです。

 

オヘア空港は、大規模な国際空港です。レンタカーを借り、住所を探しま

した。どうやら、シカゴ大学のそばの住宅地域のようです。地図をもらっ

て、小型車に乗り込みました。道路は網の目のようにつながっています。

日本より10倍広いと考えれば、よく分かります。

 

爺さんは、少し疲れています。70歳過ぎですから仕方がないのですが、高

速道路を走りだすと、嬉しそうにはしゃぎます。子供みたいな人です。用

心しながらそろそろ走ります。地図を見ながらの運転は疲れます。ミシガ

ン湖のそばに着いたのは、すでに夕方でした。

 

ミシガン湖は、広大なみずうみです。シカゴという地名の原語はインディ

アンの言葉です。鏡のような湖面に、白いボートが浮かんでいます。格差

社会のアメリカです。大金持ちから貧乏人まで、暮は別々です。シカゴに

は有名なシカゴ大学があります。

 

その街には、路面電車が走っています。日本では、トロリーバスと呼ばれ

ていた電車です。地図を片手に、警察の建物に入って驚きました。八割方

が、真っ黒に日焼けした黒人たちです。話す英語の訛りのひどいこと。さ

っぱり聞き取れないし、意味も分わかりません。

 

街に出て、白人のおじさんを見つけ、聞きなおしました。きれいなキング

ズ・イングリッシュが返ってきました。昔、この町は、八割方が白人でし

た。ダウンタウンに黒人が住むにつれ、郊外に移っりました。ダウンタウ

ンの人口の八割が、今は黒人になっています。

 

訪ねた爺さまの邸宅は、落ち着いた煉瓦の洋館でした。ビジネスに成功し

た人です。奥には日本式庭園があり、とても落ち着いた雰囲気です。ZEN

んのいうとおり、良識のある人でした。その晩は、ごく親しい人を招いて、

てんぷらをご馳走してくれました。

 

一緒に暮らしていた相方の肖像画が飾ってありました。苦労した相方です。

若いのに癌を発症し、あっという間に亡くなりました。爺さんは茫然自失

です。一周忌を済ませたころにZENさんから伝言があり、画家の爺さんが招

待されることになったのです。

 

シカゴには有名な美術館があります。フランスの印象派と日本の浮世絵の

コレクションで有名です。美術館は、シカゴ・インスティチュートと呼ば

れ一見の価値があります。爺さまは、日本画を書く画家です。浮世絵に関

心があります。どうやら話が合いそうです。

 

二人は互いを見て、すぐに気に入りました。どちらも小柄な爺さまです。

着物が好き、日本画が好きなのですから、会わない訳がありません。シカ

ゴの爺さまも、くつろいだ和服姿です。すぐに二階の部屋に上がって行き

ました。一体、二人で何を話すのでしょう。

 

翌朝、現地の人に、ミシガン湖を案内してもらいました。夏には、子供た

ちが水泳に興じる海のような湖です。でも今は季節は秋。それでも湖水そ

ばの芝生には、家族づれで賑わっていました。伝統的衣装を身に纏ったス

コットランド人のバグパイプも聞こえてきます。

 

アメリカは、民族の異なる多様な文化の共存するところです。異なる民族、

異なる文化に開かれた素晴らしいところです。西海岸では、ラテン系の血

を引く人々が多数移住しています。一方、中西部では、英国系のイングラ

ンドやスコットランド系が多いのです。

 

二人は二階の居室に入っていきました。部屋には大きなダブルベットが置

いてあります。相方と週に一度、枕を並べた大切な寝室です。シカゴの爺

さまは、日本の画家の手を引いて部屋に入っていきます。部屋の奥は納戸

で、和服が置いてあります。

 

シカゴの爺さまは、浴衣に着替えるように画家に促します。シャツも脱ぎ、

ズボンとって、裸の身体に浴衣をまとう。現地の爺さまがじっと見ていま

す。何かを夢見ているようです。昔の記憶を思い出しているのです。小柄

な年寄りの姿、今は亡き昔の店主の姿です。

 

ボーツと立っている現地の爺さまを、画家の爺さまが促します。早く浴衣

に着替えよと。袷合(あわせ)も襦袢(じゅばん)も脱いだ爺さまの身体

は、小柄ですが肉づきのいい綺麗な小麦色です。むしろ浅黒い肌の色と言

った方がいいかも知れません。

 

画家の爺さまは、シカゴの爺さまの浴衣の肌をはだけて、ゆっくりゆっく

り、マサージをはじめます。肩から脇腹、わき腹から腰、腿から足先まで、

丹念な筋揉みです。身体をひっくり返して、足から越へ、わき腹から肩へ

と、今度は逆に、たどっていきました。

 

一体どこで覚えた技なのでしょうか。顔に丹念に、手が入ったころ、現地

の爺さまは、鼾をかいて、寝ていました。辛い悲しみも忘れたようにです。




                                                     続 く 








トップ アイコン目次へもどる    「投稿小説一覧」へもどる
inserted by FC2 system