愛欲の海



                                      もりつぐ さん 


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 シカゴ―五大湖のほとり

 

画家の爺さまとわたしは、北米シカゴの日本人の邸宅に逗留しています。

屋敷の主は、柳原伸之助
75歳です。ロスに居住する日本人グループの禅

(ぜん)さんの紹介で、シカゴ・オヘア空港経由で、五大湖のほとりの柳

原さんの邸宅までやってきているのです。

 

ところで驚きました。二人の爺さまの口がとてもよく似た形なのです。典

型的なおちょぼ口です。舌の内側は間違いなく、ビロードのような、ぬめ

ぬめの膜が張ってあるはずです。キスをすれば、忘れられなくなる。絶品

の唇(くちびる)。それが二つ並んでいるのです。

 

先に立って階段をそろそろ降りて来るのは、シカゴの爺さまです。二人は、

ウマが合ったのでしょう。本当に仲が良くて幸せ一杯です。初対面ですが、

気が合って身体を重ねてしまったのでしょう。ハプニングですから仕方が

ない。階段の下に待つ相方は、心配です。

 

ぞろぞろとやってくる日本人の爺さまたち。お土産の藍染(あいぞめ)の

手拭いを、一人ずつ渡します。懐かしそうに日本から来たカップルを見て

います。ビールで乾杯です。それから、好きな酒を手に取ります。幹事役

は、中年の日本人です。挨拶の交換が最初です。

 

無礼講です。画家の爺さんの所へも、邦人のフケが沢山来て、お酌をして

いきます。シカゴの爺さんは、一重(ひとえ)の和服姿で寛(くつろ)い

でいます。二世、三世になると、英語だけ話す人もいますが、この爺さん

は、英語の聞き取りは、とても上手なのです。

 

耳で覚えた本物のビジネス英語。学校の英語は、読む、話す、聞くと、体

系的ですが、実践志向ではない。現地の英語は、耳から学ぶ英語です。だ

から原則的に書くのはダメ。実際の英語は、スラングが入ったり、イント

ネーションが違ったり、教科書とは、随分かけ離れています。

 

立食パーティーが終わって、殆どの人が引きあげます。シカゴの爺さんと、

ごく親しい仲間だけになります。そして、皆で茶室に移動します。画家

は持参したねずみのお召しに着替えます。私は三つ揃いのまま。シカゴの

爺さんの身内だけの薄茶の茶会が始まります。

 

 ニューヨークの禅堂

 

ふと、昔訪ねた、ニューヨーク禅堂を思い出しました。剃り跡も真青(ま

っさお)な碧眼僧が出てきたので、吃驚(びっくり)しました。早朝
5

の事です。街はまだ、霧に沈んでいる頃です。私は亡くなった娘を思い出

して、電話帳で禅堂を探してやってきたのです。

 

びっくりしたのは相手も同じ。娘の菩提をともらいたいというも申し入れ

を受け入れてくれました。白人僧侶の勤行に付き合います。日課の経文を

読み上げる僧侶に唱和して一時間でした。阿比留文字(サンスクリットの

漢訳)を日本式に読み上げる方式には、少しだけ違和感がありました。

 

でも、それが済んだ後でシッティングするかと聞きます。北米では座禅は

シッティング。一中は
40分です。そのすぐ後に中庭に移動して、抹茶のご

馳走に与(あず)かりました。ニューヨーク禅堂、
815日早朝の忘れら

れない記憶でした。それ以来の茶会です。

 

見事な袱紗捌(ふくささば)きです。シカゴの爺さまが、われわれに茶を

持てなしてくれる。シカゴという意識は消え去り、古い友人と懐かしい人

の輪の中にいる。そんな感懐(かんかい)に耽(ふけ)りました。茶を点

てる爺さんの神々しい姿。ほんとに素敵ですね。

 

画家の爺さまは、若い頃、洋画を学び、今は、岩絵具で日本画を書いてい

ます。その作品は持参していないのですが、シカゴの爺さまは、関心があ

ります。爺さんの周囲(まわり)は、もちろん日本語が堪能は人ばかり。

だから通訳なしで日常会話が楽しめるのです。

 

その晩、日本から来たカップルは柳原さんの離れに泊まることになりまし

た。画家の爺さんと、シカゴの爺さんの、かりそめの恋は、すでに書きま

したので、省略します。でも、縁(えにし)は、不思議なもの。シカゴの

爺さまの師匠は、向原伸之助さんでした。

 

滋賀県生まれの向田(むこうだ)さんに、シカゴの爺さんが出会ったのは、

まだ
16歳の頃です。小規模な貿易商を営んでいた向田さんは、アメリカに

連れて行く相棒を探していました。生涯独身を貫いた向田さんは、無類の

男好き。しかも美形好みの男性でした。

 

 24時間の教育訓練

 

まもなく還暦を迎える向原さんと、子供だった爺さまが、セックスに明け

暮れていた訳ではないのです。もともと向原さんは、中堅商社
N社の辣腕

の営業マンでした。その彼が名古屋で貿易商社を立ち上げて、間もなくシ

カゴの店主になっていくのには訳がありました。

 

N社は、北米進出に大きく後れを取っていました。中西部のシカゴに出る

ことにしたのも出遅れたのが理由です。まもなく引退という向原さんを惜

しんで抜擢したのは会長でした。現地の会社を買収して子会社にする。ビ

ジネスは迅速第一、会長はそう考えていました。

 

でも相棒はまだ16歳。無謀とも思える人事です。何も知らない子供だから、

一から教えることができる。向原の爺さんが、経営陣に強硬に主張したか

らです。子供の才能は一目見れば分かる。裸にして見た儂(わし)にはよ

く分かる。それが向原さんの言い分でした。

 

北米進出まであと6か月。一日24時間使って訓練しても間に合わない。16

歳の子供の教育は容易ではない。でも、やると向田さんは決めました。可

哀想だが仕方ない。向田さんは、寝るときも一緒にいて覚えさせ方式をと

りました。それ以外の途はなかったからです。

 

シカゴでは英語が必要になる。タイプも打てなければならない。テープも

聞いて日常会話
も必須要件。やることは山ほどある。幸い16歳の少年は好

奇心旺盛な少年でした。並みの子供ではない。スポンジのように必要なも

のを、次々に自分のものにしていきました。

 

向原さんは驚きました。少年は直ぐにタイプが打てるようになる。口実し

た英文を目の前で打つて見せるのです。教師は女性でしたが、きつい人で

す。時間通りに仕事とこなす独身女性です。少年はあっという間にハイミ

スのその技を、見事に身に付けたのです。

 

三井系の会社で人を鍛えた武藤山路の話は有名です。大学卒の青年に荷物

を持たせ、一緒に得意先を回り、短期間で仕事を仕込んだと、記録にあり

ます。それ以上のことが、徹底的に行われました。シカゴの爺さん、柳原

さんには、英才教育が施された訳です。



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