愛欲の海



                                      もりつぐ さん 


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 辣腕の中堅商社マン

 

シカゴの先代、向原伸之助は、精力絶倫の男でした。身長165cm、体重6

キロの細身の身体。よく気の付く人です。中堅商社の仕事は、生易しいも

のではない。旧帝大や有名私立出身でない向原には、学歴もなければ閨閥

もない。頼むのは自分の二本の腕だけです。

 

向原(むかいはら)は、学生時代、柔道や空手に精を出しました。特長の

ない彼にとって、強健な身体だけが「資本」、元手だと感じていました。

努力すれば報われる。だから武道に邁進したのです。修練すれば、誰でも、

黒帯はもらえる。公正な評価の生きる世界です。

 

やがて、ばりばり仕事をこなす向原は、コンピュータ付き営業マンと呼ば

れました。数字に強いのが彼の長所です。その彼が選んだのが、わずか
16

歳の少年、柳原誠司でした。これには、みな驚きました。他に人材はいな

いのか。皆がそう思ったはずです。

 

人生には出会いがあります。向原は柳原少年を見た瞬間に閃(ひらめ)い

たのです。天啓といういう言葉があります。天から降ってきた美青年。そ

う思えました。だから、有無を言わせず、抱きしめたのです。どうしてそ

うなったのか。理由など、何も分かりません。

 

辣腕の男が、美形に惚れたというだけでは、説明不足です。シカゴで仕事

を始める相棒に、高校もまだ終えていない少年を選ぶのは冒険です。これ

までの人生はつらい連続。波乱万丈そのものでした。柳原少年は、天が呉

れた最後の機会に違いない。彼はそう信じました。

 

向原には分かっていたのです。少年に潜む類いまれなる才能を。いいえ、

彼には鮮明に見えたはずです。迷いは無かったのです。未成年の少年を米

国に連れて行くのはリスクです。ではどうすればいいか。外務省に相談し

ました。留学という手段があるのではないかと。

 

西海岸には、N社の支店があります。そこへ一時、預ければいい。地元の

ハイスクールに通わせ、事務の仕事を手伝わせてみよう。翌年には、シカ

ゴの高校に転校させるのだ。まず英語を学び、高校を卒業後には、夜間大

学に通わせればいい。計画は周到なものでした。

 

ビジネスは人次第。N社の経営者は常々そう言いました。優れた人材を自

前で育ててこそ経営だと。人の褌を借りずに、自前でやり遂げてこそ事業

だと、向原も考えていました。その始まりが16歳の少年と縁を結ぶこと。

でも北米進出は
N社には遅すぎた出発でした。

 

 やりがいのある跡継ぎの育成

 

少規模ビジネスでは、、何でも自分でやらねばなりません。向原は細かい

ことに気の付く人です。だから小企業の経営には向いていたのです。何で

も人に任せておけない性質(たち)の人です。まもなく還暦という向原は、

最後の仕事を、北米の市場開拓に絞りました。

 

相棒は16歳の少年、柳原誠司です。向原は、ビジネスの基本は効率性と考

えていました。企業という船は、規模が小さければ小さいほど、資本を早

く回転させねばなりません。回転率が高ければ、資本は増殖を始めます。

あっという間に拡大して、中堅規模になります。

 

経営の現場で働いて半世紀。その間に身に付けた最大の教えが効率性でし

た。無駄を省くこと。大事なことは実際に手を取って教えます。雇った少

年は、それを正確に理解して実現する力、つまり才能があります。聖徳太

子は一を学んで十を知つたと言われています。

 

少年の学ぶスピードは、想像を絶するものでした。農家の三男だった向原

は、英語は苦手で、散々苦労した経験があります。でも柳原は違ったので

す。生まれつき頭がいいのでしょう。学べば覚えてすぐに実行できる。そ

んな奴は今まで見たことがないと思いました。

 

夜の時間を割いて、駅近くの英語学校に通わせました。この分なら、北米

に行く前に、日常会話はマスターできると考えました。夜やすむ前に、一

日の仕事や、学んだ内容を復唱させました。向原はだまって説明を聞くだ

けです。でも内容は綺麗に整理されていました。

 

柳原少年は、楽しそうに一日の出来事を話して聞かせます。これは才能な

のだと思いました。中学を出てすぐ働かねばならないほど、家庭環境は、

酷(ひど)かった筈です。片親で兄弟の多い家庭。兄弟の面倒までも見な

ければならないのは、気の毒な環境でした。

 

そんな状況でも、ひねくれていない。両親はいい人だったのです。向原伸

之助はそう感じました。戦後に、病気で父親を失った柳原は、確かに意思

の強い少年でした。学校の成績もよく、クラスでもまとめ役。リーダーシ

ップは、彼には天性のものだったようです。

 

柳原にとって、仕事は楽しくて仕方なかった。やがて北米の会社で仕事が

できる。それも希望が持てる条件でした。彼は思います。「親爺さんは仕

事のできる人だ。何でも聞けば、素早く答えが帰って来るコンピュータ。

こんな人は、生まれて初めてだ」と思いました。

 

こうして、向原は子供を育てることの意味を知りました。天から授かった

柳原は、自分にとってはもったいない子供です。この子を一人前にするの

が儂(わし)の使命だ。そう信じるようになりました。考えても見なかっ

た目標ができた瞬間でした。



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