愛欲の海



                                      もりつぐ さん 


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白い肌の芳香

柳原誠司は好青年だった。向原伸之助が気にいたのも無理はない。肌の色

が抜けるように白く、眼は大きくて青みがかっている。その上、体臭はか

ぐわしい香りがする。ちょっと日本人離れした風貌だが、両親は生粋の日

本人。埼県出身のテーラー、つまり、注文服を仕立てる専門の洋服屋だっ

たのである。

 

彼らが住む飯能市は、都心から40キロ北に位置している。風光は明媚だが、

産業は振るわない典型的な田舎町なのだ。両親は子育てには随分と苦労し

たたはずだ。洋服を注文できる人は、この町には少ししかいない。だから

経済は大変だったようだ。注文服の受注は限られている。だから新学期に

なると、制服の注文を取るのに、精一杯の努力をしたはずだ。

 

そんな環境でも、子供は元気にすくすく育つ。ずっと子供に恵まれない夫

婦だったが、身体に、何か原因があったわけではない。あきらめかけてい

40歳の時に、授かったのが、誠司だった。狂気乱舞ではないが、飛び上

がって喜んだことは事実だ。この子供を立派に成人させねばならない。両

親はそう神に誓った。それまで以上に精を出したのである。

 

目の中に入れても痛くないというのが、父親な正直な気持ちだった。最大

限の可愛さの表現だが、夫婦にはそれが実感出来たはずだ。大事に大事に

育てていく。神様から預かった大事な子供。そんな気持ちだったに違いな

い。夫婦は祈るような気持だった、子供には、そんな親の想いは届かない。

それでも誠司は元気に生育したのだった。

 

精神も身体もすべて順調だった。近所の子供と元気に遊びまわる普通の子

供である。野球、卓球、相撲、近所の子供のやる遊びは、どれもみな上手

にこなした。親の心配など気にもかけずに、子供のリーダー格に成長した。

塾も予備校もない田舎町である。父も母も教育ママとは程遠い、普通の親

だった。でも誠司は、周りの子供に好かれる人間だった。

 

中学生になったとき、誠司は卓球部に入部した。どうして卓球部を選んだ

のかは、彼自身でもよく分からない。ただ、敏捷に身体を動かせることは、

生まれつきの性質で、そのことは、彼自身が自覚していたような気がする。

練習は週三回で、ジョギングやうさぎ跳びなど、メニューは、結構きつか

ったが、誠司はそのきつい練習についていった。

 

卓球部の顧問は、日体大卒業のがっちりした講師だった。富山出身の寺の

息子で、肩幅の広いがっちりとした教員だった。そして、いつも真っ白な

越中を締め、子供たちに「ふんどし先生」と呼ばれていた。卓球部の練習

でよかったのは、足腰の訓練を重視し、フォーミングづくりに時間を惜し

まなかったことだ。

 

その成果はすぐに表れて、地区大会の優勝につながった。知らぬ間にその

中学は全国大会に駒を進める強豪校の一つにになった。あと一歩で全国大

会での優勝はならなかったが、卓球部は、全国レベルの実力を備えること

になった。誠司は三年生の時には、対外試合に出場して、実力を発揮し、

将来を嘱望されることになった。だが、人の運命は分からない。誠司は、

家庭の事情で急に就職することになった。

 

 親の重病と就職

高齢の父親が倒れた。脳溢血だった。誠司はすぐにアルバイトを始める。

そうする以外に収入を得る道はなかったからだ。人生には何が幸いするか

わからない。高校には進まずに就職の道を選んだ誠司は、向原の会社の従

業員となり、彼のもとで働くことになったのだ。人の一生は、無数なファ

クターの重々無尽の重なりで、予測するのが難しい。

 

誠司は頭のいい子供だったから、誰もが進学校に進み、奨学金を得て大学

に進むものだと思っていた。ところが中学を出てすぐに働くことになり、

可哀想にと周りは思う。でも、人生の女神は、思いがけない人物との出会

いを用意していた。人生の新たな展開である。還暦近い向原新之助は、仕

事一筋の人間で、幸せな家庭というものを知らなかった。

 

向原は、決して独身主義の変わり者ではなかった。結婚もありと考えてい

たが、いい相手に恵まれなかった。波乱万丈ではないが、相手に恵まれな

いで、これまで年を重ねてきたのである。とりわけ不遇だったわけではな

いが、良縁に恵まれなかったことは確かなことだ。でも血のつながりだけ

が、社会を作り社会を発展させている訳ではない。

 

15歳の子供を雇うのには、大きな覚悟がいる。手垢のついていない子供を

どのように一人前の青年に育てあげたらいいか。今まで考えたこともない

課題に、向原は直面することになった。まず、土台となる知識を身に付け

なければならない。高校で体系的に学ぶのが普通のやり方である。海外で

事業を展開するのだから、実際に使える英語をすぐに身に付けなければ話

にならないと向原は考えた。

 

向原伸之助は、型破りな性格で、アイデアマン。新しいことに挑戦するの

が大好きなタイプの男だった。課題が難しければ難しいだけ、知恵を働か

せばいいと考える。預かった子供の教育にも、向原の知恵が働いた。会社

で仕事を手伝わせながら、夜は英語学校に通わせた。大学生や社会人に交

じって、柳原誠司は、英語の基礎を短期間で身に付けた。

 

暗記主義という言葉がある。向原は教科書に書いてないことが大好きな男

だった。誰もやっていないことには、意欲を燃やすタイプだった。英語で

は散々苦労した経験がある。日本の学校で習う英語は、体系的だが実際に

は、あまり役立たない。米国に主張して、ヒアリング力の貧困さには、ず

いぶん苦労した。耳から覚えて、実際に使って覚えるのが、手っ取り早い

と、向原は考えていた。

 

6か月の試用期間が終わると直ぐに、向原は誠司を連れて米国に出かけた。

西海岸には会社の出張所がある。サンフランシスコにある出張所に、誠司

を預けて、現地の高校に通わせることにした。しかも学校の授業がない時

は、会社の事務を手伝わせて、実務を身に付けさせる。OJTは日本語では就

業内訓練だが、就業時間内に、スキルを身に付けることである。

 

向原考え方は、はっきりしていて、分かりやすい。もちろん頭がいいとい

うことに尽きるのだが、誠司にも分かるように説明して、それから実行す

るから身に着くのだ。向原の頭には、自分の後継者は、会社の幹部になる

男だと決めている。その人材に相応しい教育を現地で、早くから実行する

と決めていた。誠司も頭が良くて運のいい人間だった。



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