ぼくの恋人はおじいさん




                                         花栗 さん 



() しょうちゃん



 陽春の日の光を新しい学生帽のひさしに受け、僕は急いだ。

逸る気持ちが急ぐ足でも、もどかしいほどだった。

正門近くの散髪屋の、角の柳がもう花をつけて眩しいほどに日に透けて揺

れていた。

 

 そして、何気なく目を散髪屋のドアに移して気がついた。

 「そうだった!今日は月曜日で休みなんだ…。」

そう気がついたものの、友だちに文房具屋へ行くと言って別れた手前、足

を止めるわけには行かない。

 僕は急に重くなった足でトボトボと目的を失い『文房具屋を覗いて、時

間を潰して帰ろうか』と、さして買う物もないけど、鉛筆でも見てみよう

と歩いた。

 文房具屋は真ん中の散髪屋のすぐ近くにある。

しかし、逢いたいと思う気持ちから『もしかしたら休んでないかもしれな

い。三軒みんな休んだら困る人だっておるではないか。』と、僕はそんな

理屈を自分に問いながら歩き始めた。すると何だか足も軽やかになり、春

の心地よい日差しに希望が湧いてくるのだった。

 

 散髪屋は三軒とも同じ並びにある。車がどうにか離合できるほどの通り

を挟んで、右側を歩いてる向かい側だ。

「やっぱりここも休みか」と、二軒目の散髪屋のカーテンを閉めたドアに

かかっている「本日休業」の札を、立ち止まって恨めしく見つめた。

ここのおじさんらしく、わざわざ「にひっ」と笑ってる自分の似顔絵を添

えてぶら下げていた。

 急にまた足が重くなってしまった。あれほど大きく湧いた希望がすっか

り萎んでしまった。

『もう帰ろうか。どうしよう…。』

迷う気持ちを歩数で占うように通りを渡り、文房具屋のガラス戸を引いた。

 クラスは違うけど同じ中一だろう女子が友達連れで数人いた。

店番のおばさんが奥で何か雑誌でも読んでるふうであった。

欲しい物も無いけど、並べられてるノートや鉛筆を見た。

見ながら、おじいさんから頭を撫ぜられた感触を思い出していた。忘れら

れない何とも落ち着く心地よさを。

鉛筆の頭を無意識に撫ぜながら…。

 

 「お祖父さんがほんとに可愛がりよったきいのう」

いつだったか、まだ祖母も生きていたとき、家族で広げたアルバムの、僕

がまだ二歳前のモノクロの写真を見て懐かしそうに言っていたことを、ふ

と思い出していた。

丸刈りの白髪頭の祖父の膝に抱っこされてる写真だ。

祖父の顔は首を斜めにして、僕のことが可愛くてたまらないといった顔を

している。

「おまえの頭を祖父ちゃんが撫ずるとすぐ寝よった。」

 そのときの祖父の感触が散髪屋のおじいさんによって蘇ったんだろう。

と、そう思えるのだった…。

するともういてもたっても居られない気持ちになり、やっぱりどうしても

逢いたい気持ちでいっぱいになり、胸が熱く熱くなって来るのだった。

飛び出すようにドアを開けて外へ出た。

そして、「閉まっていれば諦めて帰ろう。行くだけ行って、戸を見てみよ

う!」と、もう迷うことなく歩き始めた。

ナショナルの電気屋さんの前を過ぎればもうすぐだ。

 首を通りの方に出すようにして、もうすぐ目の前という場所から戸口を

斜めから覗くように見た。

日に焼けた白いカーテンが、閉まってるガラス戸の歪んだ反射の中にチラ

リと見えた。

『やっぱり休みか。』

落胆してそう思った。が、一歩二歩近づくにつれて黒く戸の隙間が大きく

見えた。

と、いきなりおばさんが顔をひょいとのぞかせた!

「しょうちゃん、お帰り。」

僕はビックリした!

どうして僕が来たことがわかったのだろう。と驚いたのだけど、同時に嬉

しい気持ちが広がった。

ときどき突拍子もないこと言うおばさんであったが、僕の好きな親戚のお

ばさんに顔が似ていて初めから身近に感じていた。

 勘というのだろうか。幼い子が、周りの誰も聞こえない遠くのバス亭か

ら帰って来た母がわかったのを見たことがある。みんなと一緒に遊んでて

聞こえるはずもない母の足音を聞き分けたのだ。

その逆もあるのではないだろうか。離れているとき常に子のことを思って

る母だ。

あれからおばさんは僕のことをずっと思ってくれていたのではないだろう

?

「しょうちゃん」と思って。

 

 僕はこのまま、しょうちゃんで居てみようかしらんと思った。

すると、おばさんの後ろからすぐにおじいさんも顔を覗かせた。

「いらっしゃい、かおるくん。」

そして、おばさんをたしなめるように注意した。

「かおる君だよ。昨日来てくれたかおる君じゃないか」

おばさんは「あらっ」というような顔をして、ペロリと子供のように舌を

出した。

 「まあ、お入り。」

おじいさんに手招きされて僕は中へ入った。

休みだったのだろうが、おばさんがちょうど花屋さんから帰って来たとこ

ろらしかった。花束がまだそのままバケツに入れられていた。鉢植えも多

いいし、花好きなんだろう。

そう思って、開けてる中庭を見ると、明るい日差しの中に洗濯物が干され

ていて、その中にひらひらと乾いてるふんどしが戦いでいた。僕は、それ

をつけてるおじいさんを想像した。今、このズボンの下に…。

 

 おばさんが奥へ行ったのを見て僕は、おじいさんに触れたくて仕方なか

った。

休日のおじいさんは白衣を脱いで、サンダル履きの普段着の格好だった。

白の開襟シャツに、春色のカーディガンを羽織っていた。

そんなおじいさんのお腹に目を落としながら僕は気になっていた、しょう

ちゃんのことを尋ねてみた。

「しょうちゃんて、誰なの?

僕は目を落としたまま、おじいさんが答えるのをじっと待っていた。

「う、うん…」

言いよどみ、沈黙がつづく。

僕はおじいさんのカーディガンのお腹に触りたい手を、空で指を動かして

待っている。視線はダブルの裾の、腰の太いズボンの前に移した。そして、

並んで端の見えてるボタンを、摘んでみたいような気持ちで見ていた。

「たった一人の息子だったんだよ」

息を吸い込んだのか、お腹がクッとふくらんで、言い終えた語尾の鼻息が

ふるえて漏れた。

見上げると、おじいさんの目は潤んでいた。その目と僕の目が合うと、お

じいさんは僕をグイと抱き寄せた。

思いがけない腕の中で僕はおじいさんのカーディガンから覗く開襟シャツ

の胸元と、大きなお腹の匂いを嗅いだ。

胸に顔を埋めたまま、シャツの下の肌の匂いを探りながら、そして尋ねた。

「死んだの!?

おじいさんのお腹がまた大きく膨らんだ。そっと手を置いてみた。

そんな手には気にもかけず、「ああ…」というように僕の頭を撫でた。

それから、潤んだ目の顔を近づけると目尻にいく筋もの皺を作り、ほころ

ばせた。

そしてさらに顔が着くくらいに覗き込むようにして言った。息と息が触れ

合った。

「君が、かおる君がよく似ていたんだよ。ぼうず頭にした顔が正一にそっ

くりだったんだ。」

「それでおばさんがあのとき僕の顔をじっと見たんだね。」

「ああ。そうだろう。」

 僕はこの上ない幸せの中にいた。産毛が息の感触を記憶した。

おじいさんは僕を抱いたまま、また頭を撫でてくれている。

おじいさんの悲しい気持ちの中で、満ち足りた気持ちの自分。

何だか後ろめたいような気になる。でも、嬉しさでいっぱいだった。

「どうして死んだの?

おじいさんの腕の中から、胸の中からお腹からずっと離れたくない気持ち

で、取って付けたようなことを訊いた。

「病気にかかって、それから死んだんだ…。」

そう言い終えるとおじいさんはさっきよりも強く僕を抱きしめた。僕をし

ょうちゃんに重ねて愛しむように。

僕はこんなにも幸福感に浸ったのは、このときが生まれて初めてだったか

も知れない。

 

 「かおる君、入学おめでとう。これお祝いよ。食べて帰りなさい」

おばさんが両手でおぼんを持って奥から出て来た。そしてそれを、そろそ

ろとテーブルに置いた。

見ると、苺のたくさん乗ったケーキと紅茶だった。角砂糖を入れた青いガ

ラスの容器とミルクを入れた銀の容器を添えて、ナプキンまで用意されて

あった。

まるで外国映画のワンシーンを見てるような豪華さと言うと大げさかも知

れないけれど。

けれど僕の家では紅茶も飲んだこともなかったし、ピカピカと金メッキで

描かれたティーカップなど、家にはなかったから。

コーヒーもついこの間初めて飲んだほどだ。

隣のおじさんが市場に行った帰りに、デパートでインスタントコーヒーを

買ってきて一つくれたのだ。

それも、湯呑茶碗で。砂糖も角砂糖ではなく料理に使ってる煮砂糖(三温

)だ。

 

 僕はもう、慣れない手つきでカチャカチャと、顔を真っ赤にしてよばれ

ていたと思う。

けれど、こうしておじいさんとおばさんと一気に親しくなれたことの喜び

は、帰る道々、自然と歌が口を出て、その歌声が、気づくと畑にいた農家

の人が、ポカンとした顔してこっちを見たほど大きくなっていた。

 先生のあのときの、僕をまじまじと見た目は、きっと正一君の写真を見

せてもらっているからだろうと、浮かれ気分の僕はそのときはそう思って

帰った。

 だが、帰って落ち着いて考えてみると、疑問が湧いて来るのだった。

それは、アルバムを見せてもらうということは、それだけ親しいというこ

とではないだろうか
?

それなら何故「散髪のへたくそなおじいさん」と、たいして知り合いでも

ないような言い方をしたのだろう。

そういう人も居るけど、僕には先生がわざとそういうふうに言った気がし

てならなかった。

何かを隠すとき、人はそのような言い方をするから…。



                                                     つづく 



[編集局注]

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