ぼくの恋人はおじいさん




                                         花栗 さん 



() 大人のちんぽ



 晴れた春の夕暮れは、薄青く明るい。

けれど、家に帰って柱時計を見ると、もう五時を回っていた。

雨上がりの茂みで、膝から下がまだびしょ濡れになってるズボンを脱いで

タオルでよく拭いた。

それを風通しの良い廊下の鴨居に、上着と一緒にハンガーで掛けておいた。

それから急いで着替えると、風呂焚きを始めた。

 

 風呂を沸かすのは、小学生の時から僕の仕事だった。よその家でも子供

かおばあさんが炊いていたと思う。

焚付に使うのは、麦わらや、葉の付いて枯れた小枝がよく燃えて重宝だっ

た。

冬休みや春休み、日曜日など、近所の子たちと弁当と縄を持って、いつも

近くの山に出かけたものだ。

枝打ちされて落ちてる杉や檜の枯れた枝を集めて、それを背負えるだけ束

ねて縄で括り、背負って帰るのだ。

それも子供の仕事だった。大きい束にすると、一つ背負うのがやっとだっ

たが、六年生くらいになると二つ背負った。

まだ枯れ切ってないものもあるためか、担ぐ時には「よし!」と、気合が

要った。

低学年の子は小さい束にした。それを高学年の子が手伝って、縄を硬く結

んだ。そうしないと、緩んでる縄は歩く道々傾いて荷が崩れ落ちてしまう

のだ。

親が持たせた弁当のおかずは、塩辛い塩辛い塩鯖ひと切れと、何か煮付け

の残りでも入ってれば嬉しかった。

水は美味しい山の水で、みんなで食べると、自然と笑みがこぼれるほど美

味しくて楽しいひと時だった。

今頃の季節だと、ついでに蕨やイタドリを摘んだ。

ちぎった新聞紙か何かに塩をちょっと包んでポケットに持って来ていて、

それを剥いたイタドリにつけて食べるのだ。

子供たちは競って大きなのを探した。そして歯の浮くほど食べては親から

叱られた。

 

 風呂を炊きながら僕は遠藤先生のマラを思い出していた。

杉の枝の根元を握っては「もっと大きかったのう。」などと独り言を言っ

ては、木切れをくべていた。

あかあかと揺らめき激しく燃える炎の中にも、先生のマラを思い浮かべた。

ふんどしからはみ出ていた茂った毛と、その根元から反るように勃起して

いた、赤黒い厳ついマラを…!

そして、膝を草むらに着いたまま身を低く後にしたときに聴いた、先生を

呼ぶ声を思い返した。

その顔が裏口からちょっと見えた人が先生の嫁さんだろうと。

声の感じと顔から、上品な穏やかそうな印象だった。きっと仲睦まじい夫

婦なんだろうと思った。

 「先生もきっと、あん、立ったちんぽを嫁さんに見せちょる!」

そういうふうに思えた理由は、父が母に、緩んでるふんどしの脇からヒョ

イと見せて驚かしたところを見たことがあるから。

初めて見た父の勃起させたマラに、すぐ近くにいた僕はビックリどころで

はなかった。顔をすぐに背けたが、見たことがわかったんじゃないかと思

う。後で何も言わなかったけど。

 先生は四十代の男盛りで、嫁さんも四十を過ぎたくらいだったろうから、

坊さんとはいえ、日々の欲望は自重出来ず、抑えきれなかったろう。

 

 翌日、授業が始まるとき、先生の顔を見るのはちょっと恥ずかしく、す

ぐには真面に見れなかった。

股間に目が何度も行ったけれど。その度に昨日のことを思い出した。

 まだ精通も、陰毛も生えてきていなかったから、どうしても大人のちん

ぽが別な、僕らのちんぽとは元から違う気がしてた。茂った陰毛はもちろ

んだが色も違うし、第一まだ剥けていなかったから。

精通があればもっと興味を持ったかも知れないが、やはりまだ子供だった

から友だちと遊ぶ中で、大人のちんぽの話を秘密に話すくらいだった。み

んな父親のちんぽを見て、同じように不思議に感じながら育っていたのだ

ろう。

だけど、四十代ころまでの人は、どうしても亡くなった厳しかった父と重

ねるからか、それほど惹かれなかった。先生は稀なことだった。

 そして、二十代から四十代は、性の一番盛りな頃だろう。そのためか、

そんな、体から青々とした髭を剃った顔からまでも精の匂いを発散させて

るような、そんな肌の匂いを無意識に避けてたように思う。無精髭を顔に

つけられるチクチクが嫌だったこともある。

だから、子供好きですぐに抱きに来る、そういった大人からは用心して離

れて遊んでいた。

 

 おじいさん好きになったのは、祖父に抱っこされてたことを、居心地の

良さ、安心感を、触れてるうちに肌が記憶してたのかもしれない。

母の在所のおじいさんも優しいおじいさんで、行けばいつも「おお、よう

来たのう」と、両手を広げ、腰を落として暖かく迎え、抱え上げると顔を

寄せ、唇を寄せ、腕に膝に抱き、可愛がってくれたから。

けれど、「ちんぽが父や先生のように立っちょんとこは見たことねえのう

…。」と、おじいさんの裸を思い出してみた。

そんな勃起してるところを見なかっただけかも知れないけれど。

一緒に風呂に入り、湯船の中や洗ってる最中に触ったことはあるかも知れ

ない。掌にその記憶が残ってる気がするから。

湯上りの指が皺だらけになった手の中に、おじいさんの肌の匂いを探るこ

ともあった。かと思えば、汗をかいた掌にも。

おじいさんと寝た寝床の中で、こっそり握って見たのかも知れない。

幾度かはきっとあるんだろう。心地よさを玩具のようにして…。

 そのおじいさんがキセルで吸ってた煙草の匂いを嗅ぎたくなることがあ

る。朝の食卓でも吸ってた記憶のためか、朝の味噌汁の湯気に探そうとす

るときがある。雨降りの日など、どうかすると微かに嗅いだ気持ちに浸れ

る。

耳の奥から僕を呼ぶ優しい声も聞こえて来る。

 

 「散髪屋のおじいさんのちんぽを見ち見てえのう。」

おじいさんに逢いたい思いが募り、毎日でも寄りたい気持ちだった。

だけど、「土曜日だけ。」と、遠慮と我慢の日を続けていた。

そんな数日経った放課後の出来事。

友だちと門を出て帰りかけようとしていた、そのときだった。

突然に門の陰からおばさんが現れて、またも僕のことを「しょうちゃん、

お帰り!」と呼んだ。

そして、その奇天烈さに度肝を抜かれた!



                                                     つづく 



[編集局注]

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