ぼくの恋人はおじいさん




                                         花栗 さん 



(10) 揺れる気持ち



 「うっ!」と息を止めると僕は、片方の靴を手に、先生の足にぶつから

ないように気をつけてしゃがんだまま体をすり抜けた。そして、足音に気

をつけ、おじいさんの後ろを走るようにして暖簾を潜った。

瞬間に合ったおじいさんの、驚きもせず心配の表情も見せていない目が、

触れるほどにいて、谷底の水のように澄んでいて、それが遥か遠くに感じ

た。そしてそれでいて、とぼけたように目元が笑っていた!

 その目が、部屋に入って落ち着いて来ると思い出されて思い出されて、

腹立たしい気持ちになるのだった。

まるで僕がこうなる結果を知ってたような、あの「おやおや」と言ってる

ような膨らんだ目元が!

そして、遠く遠く澄んでた目が無性に寂しくさせるのだった。まるで知ら

ない人のように。

 とても一度には整理できず、興奮状態の胸を落ち着かせるのに、壁を見

つめたり、また思い出したり…、必死だった。

 

 おばさんは戻った僕には気づかず、台所で鼻歌まじりに煮炊きをしてい

た。甘辛く炊く椎茸のいい匂いが漂っていた。

部屋に入ってくるその匂いを、さっきの匂いをみな吐き出すようにすると

大きく吸い込んだ。しょうちゃんのベッドの上で天井を見つめつつ胸いっ

ぱいに…。

 『あれは、隣のおじさんがあるとき、小屋の隅に丸めて忘れて置いてい

た越中を広げて見たときの匂いだ!』

『バリバリと皺だらけのふんどしを広げて行った底に匂っていた匂いだ!

乾いて少し黄みがかった中に、生地が透明なぬめりを残して濡れていた、

あれだ!』

下から覗いた先生の股座に見た、突っ張った先っぽの透けていた部分を、

目の前で広げるように思い出してみた。

 

 

 蓄音機のハンドルを回してネジを巻くと、僕はレコードをかけてみた。

先生とおじいさんのことを考えながら。

たくさんの童謡のある中から、おばさんが教えてくれた「日の丸行進曲」

を取り出した。

シャリシャリと音がして、やがて明るく元気な伴奏と、子供たちの歌声が

部屋中に響いた。意外と大きい音に少し慌てていると、それを聴きつけて

おばさんがやって来た。箸を片手ににこにこと。

「聴いてるのね。たくさんあるでしょ。」

箸をタクトのように振りながら立ったまま歌っていたが、「あら大変!」

と慌てて台所へ戻って行った。

 

 幼稚園児に戻ったように「小鹿のバンビ」「靴が鳴る」などを聴くと僕

はまたベッドに寝転んだ。

そして、近所の三つ年下の直ちゃんとよくする「ちんぽごっこ」を思い出

した。

 それは、僕の家に遊びに来ると、誰も居なければ必ずといっていいほど、

ワクワクしながら二人きりで始めたものだ。

将棋やトランプに飽きると、ふと秘密の世界に入りたくなり、「とっぱご

っこしようか」と、もう胸がワクワクしてくるのだった。

お互いにズボンとパンツを下げて見せ合いっこして、生っ白い唐辛子みた

いなものを触りっこするだけだが。お互いいっちょ前にピンと勃起させて、

興奮はしているのだ。

おそるおそる顔を近づけて見る。と、小便臭さが鼻につく。「うわっ!」

と、もう一気に秘密の遊びのわくわく感が引いてしまいお終い。実に他愛

もない秘密の遊びであったが。

 『おじいさんと先生も僕たちのように、ちんぽごっこするんだろう。き

っと。』

『おばさんに秘密で、二人きりになれる場所で僕たちのように見せ合った

り、触りっこしているに違いない。』

 そう思えてくると、子供心にも嫉妬心が芽生えてくるのだった。おじい

さんの、あの笑った目に。先生のことを何でも知ってるような落ち着き払

ったあの態度に、『僕よりも先生の方が好きなんか!』と天井に浮かぶ顔

にぶつけた。


           ○          ○


 「お母さんに一度会っておかないとね。」

「そうだな。かおる君がお母さんに話してるとはいえ、一度おりをみて会

っておこう。」

「電話しておきましょうか」

 二人の話を耳にバラ寿司をほおばっていたが、慌ててお汁で流し込むと

腰を上げかけたおばさんに言った。

「おばさん、僕のうちは電話ないんだよ。」

「あら、まあ、そうなの。」

「大丈夫だよ。ちゃんと母ちゃんに言って来たから。」

 

 僕は、おばさんにそう言うと、母が言ってたことを思い出し思い出し尋

ねてみた。

一昨年に病気で寝込んでいた祖母が亡くなったことを話すと、まだ元気だ

った頃に、町の親戚の家へ時折り出かけていたときのことを話した。

そして、おじいさんが祖母と従兄の関係になるのかを。祖母がここに寄っ

たことがあるのではないかと尋ねた。

祖母と町へ出るとき、バスを下りて駅まで歩く道でここへ僕を連れて立ち

寄ったことがあるのではないかと…。

 僕は母が言ってたこと全て思い出したつもりだった。一字一句を忠実に。

いつしか『そうであってほしい』と祈る気持ちになっていた。お腹が空い

ていたから、皿の寿司をほおばることは忘れずに。行儀わるく、口を動か

しつつ耳を傾けた。

 おばさんも僕に誘われるように再びバラ寿司を食べ始めた。

そして僕と一緒に、考えてるおじいさんの言葉を、口を動かしつつ待った。

おじいさんの、考えながら目を上向けて止めてる箸の、ゆっくり回す先を

二人じっと追いつつ。

 

 「…そうか。そうか、そうか。君は、おフミさんの孫だったのか!思い

出したぞ。うんうん。店を始めてまだ日の浅いころ、誰に聞いてきたのか、

寄ってくれたよ。家に生った柿だと、風呂敷に柿を包んで、駅に向かう途

中に持って来てくれたこともあった。もう八、九年前になるのかなァ。そ

れっきり見かけなくなって、気になっていたけど…。そうだったのか。あ

のとき、手を引かれていた幼い坊やが、かおる君だったんだなァ…!おフ

ミさんとも遠くなってしまい、みな結婚してからはすっかり遠くなってい

たからなァ。」

「お父さん、ほんとなの!?」

おばさんが瞳を輝かせて声を上げた。

「子供の頃に何度か、親類が集まるときに会ってるんだが、お互い歳をと

ったからなァ。でも面影はあったよ。」

「そうなの、そうだったのね!この家とかおる君の家とは親戚だったのね!

遠くてもおじいさんとかおる君は血の繋がりがあったのよ!」

おばさんは、蛍光灯の灯りに頬をぴかぴか輝かせて、はちきれそうなほど

だった。

興奮して喜びの表情いっぱいに僕を見つめた。

おばさんのように態度には表さなかったが、僕も嬉しい気持ちは飛び上が

らんばかりだった。

「お盆に一度かおる君の家を訪ねよう。仏壇に参らせてもらおう。」

 おじいさんは、おばさんにそう言うと、止めてた箸を手にした。

僕もお皿を掻き込み、口いっぱいに喜びを表した。噛みしめつつ、おじい

さんの話す続きを聞いた。

 

 「従兄はおろか、兄弟ともずっと離れ離れになったからなァ。」

「そうねえ。私の兄妹も。」

「シベリアに連れて行かれたものもいる。それっきりだ…。」

「みんな命からがらでしたね…。」

 

 おじいさんとおばさんはその夜、僕にしみじみと、語るように嘆くよう

に、悲しみのため息を何度も吐きながら、満州に夫婦で渡り、散髪屋をし

ていたことを話してくれた。

なかなか子が授からなかった二人の間に、やっと念願叶い、産まれたしょ

うちゃんのことを。

 やがて戦争が終わると、親しくしていた人たちとも別れ別れになり、必

死で逃げるようにしておばさんの兄妹のいる長崎へと一旦、引き揚げて来

たことを。

そしてそのときの船の中で、胸の病気を患っていたしょうちゃんが亡くな

ったことを…。

 おばさんは、おじいさんの話すことを聞きながら、部屋の隅に置いてる

鉢の蘭の花を見続けていた。

そのおばさんの目の中にある悲しみを僕は、わからないままにも、広がり

ゆく滲みをじっと見つめていた。

 おじいさんは、もういつものおじいさんの顔をしていた。

だけど、寝る前に思い浮かんだおじいさんの顔は、また先生とコソコソと

していた顔に変わっていた。

 『大人はいくつもの顔を持っている。知らないいくつもの顔を…!』

 

 その日は、夕食を先に済ませてお風呂は後だった。

 「かおる君、お風呂にお父さんと一緒に入りなさい。」

そう言われて僕は慌てて首を振って「一人で入ります!」と答えた。

 ほんとうはおじいさんと一緒に入りたい気持ちだったのだけれど、おば

さんに言われて何だか恥ずかしい気持ちが湧き、咄嗟にそう答えてしまっ

た。

それと、先生との二人の仲が気になったままであったから。

身近に見えたり遠くに見えたりで、気持ちの整理が出来ていなくて戸惑い

があった。

 それでも、風呂上がりのおじいさんを盗み見るように、おばさんの目を

気にしつつ見た。

前に見た先生の、怒ったようなちんぽではなかった。お風呂でふやけたよ

うな、大きくてだらんと垂れていた。皮を被った先っぽが半分ほど見えて、

まだ湯の滴が垂れそうに濡れていた。

それもタオルで拭くと、おじいさんはおばさんが用意しておいた、畳まれ

てある越中ふんどしを取り出した。

それを無造作に広げて身に着けるのを、おへその下で紐を結び、前垂れを

通して調節する仕草を、僕はテレビは上の空で、じっと様子をドキドキと

見ていた。

そんな僕に気づいているのかいないのか、おじいさんは汗を拭って、やが

てランニングとステテコを穿いた。そして、寝間着を着てしまった。

おばさんは台所にいたから、おじいさんの傍に行こうと思えば行けたのに…。

 

 やがて、おじいさんの湯上りの匂いを思い出しながら僕はいつしか寝入

った。

あのとき確かに聞いた「次の土曜日…」と、ヒソヒソ話してた、先生とお

じいさんの秘密めいた内緒話のことを思い出しながら。



                                                     つづく 



[編集局注]

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