ぼくの恋人はおじいさん




                                         花栗 さん 



(11) おじいさんとの夕飯



 木々の緑に照る光はもう眩しく、吹く風が、外した詰襟の汗ばんだ首

筋に心地よかった。

そんな四月ももう終りの、月曜日の朝の全校朝礼のとき、朝礼台の校長

先生のお話に他の先生たちと耳を傾けてる遠藤先生を、僕はじっと観察

していた。

けれど、おじいさんとニヤニヤ話してた顔は見つけられなかった。『あ

れは僕の思い込みだったのだろうか…。』と思うほど、背筋を伸ばして

真面目くさった顔してじっと聞いていた。

だが、真面目な顔をしていても常に下がってる眉毛の顔と、少しお腹の

出てるために下がったベルトの上にはみ出てるカッターシャツの少し間

の抜けた立ち姿を見てると、おじいさんとの仕草に腹立たしさをおぼえ

たことが許せる気持ちになってくるのだった。

ポマードできっちりと七三分けの、艶々してる髪の保健体育の先生の隣

で、対照的な、ピカピカと輝く眩しい頭をして。

 

 

 しかし、教室で朝の挨拶のときも、授業のときも遠藤先生は僕と目を

合わさなかった。

僕は先生の顔をずっと追っていたけど、何か僕と合うのを避けているよ

うに思えた。

ときどき面白いことを言ってみんなを笑わせて、いつも通りの先生では

あったが。

順番に立って教科書を読むときに、一瞬だけ目が合った。

でもその目にはやはり何も見つけられなかった。「はい、そこまで。」

の声も前の席の子と何変わることなかった。

 『わからない。大人って、ほんとにわからない。』

 

 

 おばさんは町に住んでる弟のところへ毎月一度泊りがけで行ってるよ

うだった。

父親はもう亡くなっていたけど、母親が、大きな病院の近い弟の家で暮

らしてるそうだ。それで顔を見に、訪ねて来れる兄妹が集まる日を決め

ているらしかった。

何人兄妹かは知らないけど、中津や北九州、そして長崎にいるようだ。

昔の人は兄妹の多い家が多かった。

戦争で亡くなった兄妹もいるけど、僕の父母、祖父母も兄妹が多い。一

度も会ったことのない母の兄妹もいる。

 

 

 その土曜日に、おばさんが午後に学校に訪ねて来てびっくりした。

「これから出かけるからね。巻き寿司をこしらえておいたから、お父さ

んとそれを夕飯に食べてね。」と言うことであった。

すっかりと、おかしな行動も今は落ち着いていた。僕のことを「しょう

ちゃん」と呼ぶこともなくなって。

「お土産なにかお菓子の美味しいもの買って来るからね。それじゃ行っ

て来るから。」

「行ってらっしゃい。」

 まだそう強い日差しではないのに、おばさんは日傘をさして正門を後

にした。

お化粧のいい匂いを残して。

 

 

 クラブで、きりのいいところまで仕上げていたらすっかり遅くなって、

気が付くと教室にはもう僕一人だった。

「さようなら」「さようなら」を耳に、目は教頭先生の、僕のデッサン

を手直ししてくれる指先を緊張の面持ちで見つめていた。

 指先を布で拭いながら、がらんとなった二階の教室で、窓辺に背もた

れするようにして教頭先生が訊いた。

「野中くんは今日も竹島さん(おじいさん)の家に泊まるの?」

僕は「えっ?」と驚いて振り向いた。

「どうして知ってるんですか?」

「遠藤先生から聞いたの。なんでも、竹島さんの家と野中くんの家とは

親戚だそうですね。」

「あ、はい。」

「驚いたでしょ。何でも知ってるのよ。遠藤先生がみんな私に教えてく

れるのよ。」

僕は教頭先生と遠藤先生が話してるところをまだ一度も見たことがなか

ったし、それに何故そんなことまで話してるのかと思った。嫌とかいう

気持ちではなく、意外な思いがした。教頭先生とそんなに親しいのかと。

この日、一番気になったのは最後に言ったひと言だった。

僕に向かって言うでなく、窓から雲を見上げながらつぶやくように言っ

た。ため息まじりに。

「うらやましいわ…。」

僕が少し驚いた目を向けると、教頭先生はごまかすように微笑んだ。

「いえ、ううん。ごめんなさいね。」

そしてまたため息を小さくついた。

 小使いさんが先生を尋ねて来て、丁度きりのいいところで僕は教室を

後にした。

小使いさんは焼却場でゴミを燃やしていたのか、鼻先に煤がついていた。

 

 

 鞄を下げて散髪屋へと急ぐ道すがら、教室にやって来た小使さんと教

頭先生を思い出していた。

ふつうならすぐに尋ねて来たことを言うはずなのに、教頭先生に挨拶も

しなかった。

見ると、軽く頭を下げてはいたが、それは無言のまま二人の気持ちが通

じ合ってるふうに思えた。仲のいい夫婦にときどき見るような…。

 それも不可思議であったけど、「うらやましいわ」と言った言葉がど

うも引っかかった。

『何が、うらやましいんだろ?』

 

 

 もう五時を回っていたけど、春の日はまだ明るかった。

散髪屋に着くと、入り口の戸に、もう「本日終了」の札が下がっていた。

不審な思いで戸を開けると、ソファーで夕刊を読んでたおじいさんは、

鼻からずり落ちそうな眼鏡の顔を上げた。

「おお。お帰り。」

「お店はもう閉めたの?」

「ああ。土曜日だからな。」

「えっ?」

本気か冗談だかわからないことを言った。そしてどこか上機嫌そうに笑

った。

傍に寄ると、もう風呂に入ったのか石鹸の匂いがして、上は肌着と長袖

だったが、下は着替えたばかりのステテコ姿にサンダルだった。

僕の、おじいさんの匂いを嗅ぐピクピクと膨らませた小鼻に気づくと、

僕を引き寄せ、手で額の汗を拭ってくれた。

「お風呂に入ったの?」

「ああ。今さっき入ったんだ。今日は土曜日だからな。ハハハハ」

何がそんなに嬉しいんだろう。と思いながら遠藤とのことを思い出した。

「かおる君もお風呂に入っておいで。それとも夕飯を先にするかな。お

腹空いてるか?」

「うううん。さっき、教頭先生からチョコ貰って食べたから。先にお風

呂にするよ。」

そう言って奥へ行きかけて僕は訊ねてみた。

「教頭先生もここに散髪しに来るの?」

「ああ、来るよ。毎月、最後の日曜日に来てくれる。わざわざ町から来

てくれるよ。」

「ふうん…。」

教頭先生の、気になっていた「うらやましい」は、何なのかはわからな

かった。おじいさんの受け答えに、何も秘密は感じられなかったし。

 

 

 湯船に浸かって、おじいさんの今日初めて見る顔に見た謎を考えた。

おじいさんの、あの嬉しくてたまらないと言ったあんな顔は初めて見た

から。

まるで浮き浮きとして浮かれた顔してる。

 そして、風呂から出て肌着を着替えているとき、店の電話が鳴る音が

聞こえた。

僕は急いでズボンを穿くと、サンダルをつっかけてそっと暖簾のこっち

から様子を伺った。

放り投げて電話に出たのか、広げたままの新聞がソファーから滑り落ち

かけていて、ちょうど電話を取ったところだった。

「はい。」と答えた横向きの体を、「はい、はい。」と言いながら暖簾

の方に背を向けた。そして、背をかがめるようにすると声までかがめて

ヒソヒソとなった!

何を話してるのか聞き取れない!

話はすぐに終わったが、途中の「うふふ」といった、おじいさんらしか

らぬ初めて聞いた、いやらしい笑いに僕はわけもなく腹が立ってきた。

『何が、ウフフだ!』

第一、あのクルッと背を向けた態度がゆるせない!

僕は受話器を置いたおじいさんに間髪入れず、間違いない直感で声を荒

げた。

「遠藤先生からじゃろが!」

おじいさんは虚を突かれたように、ずり落ちそうな眼鏡の上から目を真

ん丸くした。

「そら見い!やっぱり遠藤先生じゃないか!」

僕は興奮を抑えきれずに口まで乱暴になっていた。

この間のとき、電話に聞き耳を立てていたからだけど、そんなことは知

らないおじいさんであったから、驚くのは当然だった。

 しかし、すぐに落ち着いた表情になると、僕に正直な目をして言った。

「夜、先生が散髪に来るそうだ。」

「どうして夜に来るの?」

「うん。明日の朝早く法事で行かなければならないそうなんだよ。髪が

伸びててはいけないそうだ。宗派でやかましい決まり事があるんだよ。」

おじいさんにそう説明されると僕の気持ちは少し納得して落ち着いた。

あの背を向けてコソコソとした話し方は引っかかったままであったけど。

 

 

 「さあ、ご飯食べよう。お母さんがお吸い物もこしらえてくれてるか

ら温めようか。」

「うん。」

すっかり気が晴れたわけじゃなかったけど、おじいさんの後に従った。

 着替えたおじいさんのステテコはもう膝が伸びてるのが、台所に立った

後姿でそれがわかった。膝の後ろに皺が寄って膨らんでいた。ゴムも伸

びかけているのか少しずり落ちて、ふんどしが覗いていた。

 

 

 お吸い物の、蛤の身を外して僕のお椀に入れながら、「足りなかった

らわしのも食べていいんだよ。」と、巻き寿司の飛び出た端っこを口に

入れた。

皿には、二本分ずつ盛られてあったからじゅうぶんだった。

「美味しいね。僕、巻き寿司が大好きなんだ。」

「そうか。家でも作ってくれるんだろ。」

「うん。母ちゃんのはほうれん草がよく入ってる。おばさんのは肉が入

ってるね。とても美味しいよ。」

「お母さんもほうれん草を入れるんだけど、傷みやすいから今日のは入

れなかったんだろう。」

 僕はおじいさんと二人きりで食べる夕飯に喜びを感じていた。

おばさんと三人で食べるときには感じなかった、おじいさんの優しさが

感じられて。

ゆっくりとした口元を見つめ、お吸い物を吸う口を、改めて見つめた。

食べ終えた食器を運ぶ姿を。洗う後姿を。先ほどよりもステテコが下が

っていた。

そのステテコの膝に僕は甘えて割り込んだ。

 僕を膝にして、おじいさんはお茶を飲んでいる。

僕は膝に抱かれてテレビを見ている。

茶をすするおじいさんの息がうなじにかかる。

僕のお腹に回してるおじいさんの腕を、大きな皺だらけの指を触る…。

そんなことだけで僕は幸せだった。

 

 

 「さあ、先に寝てなさい。先生は遅くなるようだから。」

「何時に来るの?」

「もう九時には来ると思うけど。」

「僕、少し勉強してから寝るよ。」

 そう言ってしょうちゃんの部屋に入ったものの、机に座っても、訪ね

て来る遠藤先生のことが気になって鉛筆も持ったまま動かない。

『散髪するところを絶体に見るんだから。今度おかしなことしたら怒っ

てやるんだ。』

と、それまで起きていようと勉強に身が入らずに耳を澄まして起きてい

たけど。

一時間ほど机に向かって起きていたが、眠気には勝てなかった。

眠くて眠くてたまらずに、とうとうベッドに寝てしまった。

 

 

 だが、隣の寝室から聞こえて来る不穏な空気と押し殺したような話し

声に目を覚ました。

電気を点けて寝てたはずなのに、おじいさんが消したのか消えていた。

が、中庭の月明かりで部屋の絨毯の模様も、その端の畳の目もはっきり

と見えた。目覚まし時計を見ると、十一時を回っていた。

襖を挟んで、いつもおじいさんとおばさんが寝ている部屋からだ。その、

本箱の後ろの襖を僕は、怖々ドキドキと、音を立てないように数センチ

開けた。

 するとそこには信じられない、おじいさんと遠藤先生の姿があった!



                                                     つづく 



[編集局注]

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