アッチさんのエッセイ・詩 30                   .




昭和の食卓



 先日載せていただいた弁当のエッセイを書いていて色々なことを思い出

しました。

そしてあらためて現在の自分の食生活とかが、なんと贅沢になったのだろ

うと感じました。

東京の下町で父親は地方公務員のペイペイの職で給料も安く(子供だった

ので詳しくはわかりませんが
)、4人の子供がいた理由ですから本当に貧

しかったのです。

だから末っ子の僕が小学校に入学してから母は近くあった映画館の掃除婦

のパートに出ました。

でも本当の話なのですが、僕の給食費も滞るようなことが何度もありまし

た。正直言って幼い子供時代の自分には厳しい生活環境でした。

だから「給食費を払えない」じゃなく「給食費を払わない」現代の親の話な

んかをネット等で読んだりするとびっくりします。

 閑話休題、例えば当時の我が家の夕食、とろろご飯、大きなすり鉢にす

ったトロロ、味噌汁、母親の漬けたぬか漬け、

小学生ぐらいの時って、僕は信じられないぐらい食欲あったのでこういう

シンプルな食事でもご飯の「おかわり」「おかわり」をした記憶がありま

す。僕を含めた若かった4人兄弟が何も文句も言わずそういう夕御飯を食

べていました。

無口な父親もそういう夕食に一切文句を言わないでいつももくもくと食べ

ていた記憶があります。

そういう食事のこと思い出してしまうと、本当に色々今の自分の生活を省

みます。

あの時、両親は僕達子供のために本当に一生懸命頑張っていたのだなって。

 腹っぺらしの子供のために、僕の母親がよく作ってくれたのが「すいと

ん」です。

小麦粉を練って出汁のきいた汁に入れて茹で上げるだけのモノなんですが、

僕には超ご馳走、超おやつでした。

僕がこの話を相方にすると相方にとっての「すいとん」は

いわゆる「戦中」の嫌な思い出の食べモノでしかないようで、

僕の食べていた「すいとん」とは別物みたいだと思います。

 本当に思い出せば出すほど、僕の母親って今で言うシンプルな日本食ば

かりだったのですが、貧しくても「手抜き」が無かったですね。

出汁はゴロゴロの煮干からとっていた映像が目の中に残ってます。冬にな

る前に大量の白菜を大樽に漬け、ふるさとの親類から送ってもらった荒巻

鮭を切り分けていました。

「貧しいけれど豊かな食生活だった」のですねきっと。

 

 明日にでも「すいとん」再現してみようかな?

 

                    おしまい










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