アッチさんのエッセイ・詩 65                   .




昭和のはなし


その7 テレビ



 僕が小学生のまだ低学年の頃だったと思います。我が家がTVを購入した

のは…。

それまでは荒川区の公務員宿舎仲間のお宅に夕食時間に訪問して(もちろん

他の家の子も、子供達だけでしたが
)TVを視聴させていただきました。今か

ら考えると他人の家の夕食時間の訪問それも
TVを観せてもらうためになん

て、とんでもない非常識行動ですが、当時は許される時代だったのですよ

ね、こういう非常識な行動が。

よく観せてもらったのは日本の初期のプロレスだったと思います。人気の

ある力道山とかがで出ていた。

 我が家は母親が働いていた映画館の近くにあった電気屋さんで母親がTV

を購入しました。

当時で言う「月賦」って言うヤツですね。

その電気屋さんは「ゼネラル」の専門店の電気屋さんで、当然TVもゼネラ

ル製でした。その後の電気製品の我が家での購入はほとんどこの電気屋さ

んからの月賦だったのだと思います。

初期のブラウン管TVは画面が小さく、また「ブラウン管の保護のため?」

それとも単なる飾りか?
TVをかけていないときは垂れ幕のようなモノを掛

けてました。

 初期のTV局はNHKから始まって2〜3局しか無かった記憶ですが、よく

憶えている番組名で言うと、

「バス通り裏」、「事件記者」、「日真名氏(ヒマナ氏)飛び出す」、「水道

完備、ガス見込み」。後に今で言う
TV朝日が開局してから海外TVドラマ、

例えば「ローハイド」とか「ララミー牧場」、「名犬ラッシー」とかが続

々と放映され始めました。

 でも良く考えてみると、家庭に居ながら「ドラマ」とか、「映画のよう

なモノ」が観られるようになつたわけで、「映画館の衰退」との関係は
TV

の登場にかなりありますね、やはりきっと。

 次回の「昭和のはなし」はこのTV番組で見た僕なんか子供のヒーローの

ことを書きたいと思います。

おしまい









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