もりつぐさんのエッセイ №1            .




もりつぐの回想:          .


安寿さんのこと ①



「槿(むくげ)は、薩摩では盆近(ぼんちか)という」 

 

あんじゅさんは、庵主さん、杏樹さん、安寿さんと辞書にある。でも私に

は「安寿さん」のほうがぴったりとくる。だからここでは「安寿さん」と

呼ぶことにしよう。彼自身が「庵主」と呼んでいたことも知っている。で

も、字面(じずら)が抹香臭い。

私のイメージには、一寸(ちょっと)そぐわない。だから、ここでは、安

寿と厨子王の昔話(むかしばなし)を想起して、
「安寿さん」と呼びこと

にする。さんざん苦労して、人生を生き抜き、同好の士の相談にものり、

解決策に取り組むことを厭(いと)わなかった。不器用だが誰からも愛さ

れた人物。だから、親しみを込めて「安寿さん」と呼ぶのが、相応(ふさ

わ)しい。

 

学術論文ではないので出典は一切明示しない。読んで分かればそれでいい。

病み上がりの72歳の記憶も、かなり曖昧になっている。書かれた内容が、

実際とは、少し違うと思う人がいるかも知れない。正確さに欠けて、読む

気にならないと思うむきもいるかも知れない。それでも書くし、書きたい

のだ。書けば彼の体臭が蘇えり、身近などこにでもある笑顔にたどり着け

そうな気がするからだ。まもなく、お盆の季節。

 

黄泉の国のメッセージ

 

「○○さん。元気かな。」

突然、懐かし声が聞こえた。薄暗い朝靄の立つ日。お盆の中日(なかび)

だ。

 

「違う、ちがう。そうではないのだ。」

その時はっきりと聞こえた。記憶をたどりながら、本当の「庵主さん」の

姿を見に行こうと、決意した。台風の過ぎ去った日差しの強い早朝のこと。

 

安寿(庵主)さんの文章は、お世辞にも上手だとはいえなかった。でも、

何か胸に響くものがある。それはなぜか。たぶん、安寿さんの人格、人柄

のせいだろう。言葉は生命(いのち)
。彼の一言には、いつも、実践の重

みがあると思った。


四国巡礼の旅は、お孫さんの供養のために「聖地巡礼」だった。老若男女、

性的マイノリティーを含めて、多くの人々と語り、寝食を共にした結果だ

った。1800キロの道をひたすら歩き抜いた記録でもある。現地の人々

の「お接待」(無償のサービス)を受け、同行の士との触れ合いを通して、

人生の意味
や、人の無意識の深淵にも触れた違いない。庵主さんは、結局、

「四国お遍路」を7回も歩き、遂には「お先達」の資格を
得た

 

8月は、お盆の季節。灯篭流しが、あちこちの地域共同体で行われている。

自宅の隣には、薩摩
出身の老人が住んでいる。白い槿(むくげ)は、清浄

さのシンボル。鹿児島では、「盆近(ちか)」と呼ばれている。白い
大輪

を咲かせる生
垣はお盆が到来し、彼岸から先祖が帰還することを、皆に

知らせる先駆けとなる。

 

かわたれの鐘の音を聞く白槿(むくげ)

 

大輪の白い花垣が、隣人の目にそよと揺れている。

 

出会いは、今から20年以上も昔の事。今では動くことも、書くこともま

まならない神戸の友が媒介となった。その友を介して、我々は出会ったの

だ。当時を回想すると、関西のどこかの地域で、安寿(庵主)さんは、す

でに熱心にボランティアに励んでいた。

 

その彼が同好の志に諮(はか)り、「老いのときめき」という、小さなサ

イトを立ち上げた。このサイトは進化して、現在の形にまで発展し、同好

の士の励みとなっている。

 

やり取りを始めた頃のメールには、植物や、小動物、昆虫、魚などの知識

が溢れていて、今でも好奇心をそそられ。下町で貧しい少年時代を送った

私だから、庵主さんのメールは、新鮮な刺激になっていた。

(つづく)









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