もりつぐさんのエッセイ №6            .




もりつぐの回想:          .


安寿さんのこと ⑥



「お遍路に行きたい。」

すぐに返事が届いた。でも、お遍路は、気まぐれではできぬ。それなりの

深刻な理由があって初めて成り立つ行(ぎょう)だ。たしかに、「お大師

さまと二人連れ」(同行二人)はよく分かる説明で、皆が納得する。

偉大な無形の師がそばにいて、見守ってもらいたい。一緒に歩きたいのは

人情だ。では、なぜそうしたいのか。それにきちんと答えなければ、行

(ぎょう)にはならない。人に言えない深刻な理由が、あるはずだ。人に

は話せない、胸に秘めた理由のことだ。

私の場合は、もちろんある。5歳になった最愛の娘をなくしことだ。それは

私の業(ごう)、生まれながらの罪の結果、と考えてきた。私には、その

罪の贖罪(しょくざい)を果たしたいという強い思いがある。

お大師様と一緒に歩いて、罪深き自己と向き合いたいのだ。お遍路は、消

すに消せない罪障、つまり、救いの妨げとなる業、生まれながらの罪を贖

(あがな)う、罪ほろぼしの旅なのだ。

 

無形の罪障-私の場合

恥ずかしいことだが、すべて話してしまおう。今からもう三十年以上前、

忙しい仕事の中で恋をした。もちろん年上の男に対する恋だ。誰も書かな

いし、誰も書けない禁断の恋。家族も知らなければ、仕事仲間も知らない

秘密の恋。生まれてこの方、惹かれたのは女子(おなご)ではなく、初老

の男ばかりだった。

 

好きだといったこともない。身体に触れたこともない。プラトニックな焦

燥(あせり)、恋焦がれる思いだった。似たような経験は誰にでもあるだ

ろう。でも私の場合、対象はすべて年配の男たち。この世界ではフケ(老

化)志向と呼んでいる。誰も逃れられない業の一つと考えている。小学生、

中学生、大人になっても変わらない老年志向。まもなく40歳という時、こ

の病が顕在化し、かかりつけの医師に恋をした。

 

多忙のために、実家に家族を帰したわたしは、仕事に専念するために一人

になった。正月は後でいい。勝手に考えたが、もちろん老医師とのつかの

間の逢瀬を期待したのだろう。許される範囲で、酒でも一杯と、都合よく

思ったのは、分かっていた。だから、余計、罪深い。潜在的な男性志向が、

格好の対象を得て、無形の情事(a love affair)となったのだ。

 

生命(いのち)の不可逆性(後戻りできないこと)

一月三日、家内と子供3人が戻ってきた。その夜に事件は起きた。5歳の長

女が気持ちが悪くなり、嘔吐。意識がなくなり、救急車を運んだが間に合

わなかった。人工呼吸をやりながら、悔やんだ。悔やんでも、もう戻らな

い。悲しさと悔しさ、そして自己を責めた。子供の生命を断ち切った罪は、

重くて深い。この罪を一生背負って生るのは辛い。それが贖罪、罪滅ぼし

だ。お遍路を決意して、そう思った。

 

救急センターに行ってくれたのも、件(くだん)の医師。子供の吐しゃ物

を口で吸いだしてくれたのもその医師だった。かわりばんこに救急車で人

工呼吸を続けたのもその医師だった。葬儀にも来てくれた。

年配の医師への恋情は、いつか思慕へ、そして敬愛へと変わっていった。

この罪には、救いの道もあるのだと、はじめて解かった。

 

この間の事情をAJさんは、黙って聞いてくれた。だから、すぐ返事が来た

のだ。

「わかった。夏は暑いが、それでも行くか。」

善は急げと考えたのだろう。この時は第二回目のお遍路だった。すでに述

べたが、第一番目の札所の宿は、霊山寺のそばの素人下宿だった。合宿は

すべてAJさんが予約した。何度も回っているので、便利で、食事がいいと

ころはどこか。すべて知っている。だから儂に任せておくのが一番、と笑

った。部屋は別々でなく、いつも相部屋だった。

予行演習を含めて、お遍路は計5回、同行してくれた。でも、私の場合、

88か所のお遍路を4回に分けて回ることになった。これはもともと、AJさん

のアイデア。仕事の関係で休みが自由に取れない事情を加味した計画だっ

た。毎年取れる休暇は、短い時で一週間、長くて二週間だった。だから休

みすべて使って、88か所回るには、二年以上かかる。

 

三回目の高知まわりの時には、車を買って巡礼したと記憶する。この時、

季節は春だった。なぜ車か。たぶんAJさんの体調が悪かったからだろう。

それ以上は考えなかった。若かったからだ。でも本当は、AJさんは、深刻

な病の兆候を自覚していたはずだ。

お遍路は徒歩で歩くのが基本。今では車で廻る人もいれば、ツアー会社の

バス旅行もある。でも、AJさんはすべての道を徒歩で歩いた。徒歩遍路専

門の人だった。それが、お遍路のために小型の車を用意すると言った。今

なら、事柄の重要さはすぐにわかるはずだ。でも分からなかった。バカだ

ったのだ。思い返すたびに、悔しくて、自己の不明に涙が出る。

4回目と5回目のお遍路の時、AJさんは抗がん剤を打ちながらの同行だった。

それでもお遍路をやめなかった。なぜだろう。

AJさんがぽつりと言った。

「お遍路は、のうなった初孫の供養。何度でも行く。」

それは、罪障が深いことを自覚する人の言葉だったと思う。

(つづく)









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