もりつぐさんのエッセイ №9            .




もりつぐの回想:          .


安寿さんのこと ⑨



縁(えにし)は不思議なことだった。職長さんが、直接、社内メールで歓

迎会に呼んでくれたのは、予想外の出来事でした。当時
18歳の青年には、

経験豊富な初老の考えなど、分かるはずはありません。メール自体が来た

ことが驚きでした。まもなく会社を辞めて、次の段階に向かう若者に、い

ったい何を伝えようというのでしょうか。

 

指定された料亭は、低料金の、居酒屋のような場所でした。夕方、時間ぎ

りぎりに到着した私は、歓迎されました。もちろん、その職長の配慮です。

 

職長は、座敷の真ん中に座ってニコニコしています。笑うと相好(そうご

う)はくずれて、人なつこい顔になるのです。

 

「よく来たな。」 笑顔でビールを注(つ)いでくれました。

 

古い先輩の顔も見えます。同期の顔も二、三名並んでいます。実習は7人一

組が基本でした。そのうち数名が招かれたのです。幹事さんに、「会のは

じめだけいればいい」、と言われました。あとは、会社に残るメンバーだ

けの懇談会になるのです。これからの事を話して、親睦をはかるのが目的

です。

 

その後で同期のメンバーと、伊豆の大島に向かいました。浜松町から、船

で大島を目指す、一泊の記念旅行です。深夜便でした。「残るものも、や

めるものも」一緒の、最後の旅です。

 

「後でメールするから」とその職長に言われました。何のメールかわから

ないので、確かめたら、「別の会のことだ」と言います。

 

箱根保養所で、卒業生の懇親会をやるから、出てきなさい、とメールが届

きました。会社が箱根に持っている保養所を、かなり前から予約して、年

一回の会合です。その会に新規の卒業生も招くと行事でした。もちろん、

その会の中心は、今の職長さんです。

 

三月下旬の土曜日、小田原から登山鉄道で、強羅に向かいました。そこか

らバスで湖畔にある保養所に入りました。いくつかの並んだ寮の奥に、そ

の会社のがありました。早めに到着した私は、ロビーで文庫本を読んでい

ると、皆がやってきました。

 

職長さんも二代目の車から降りてきます。浅黒い顔がほころんでいます。

 

「よく来たな」

 

会社を離れることが分かっている私が招かれたことはやはり驚きでした。

宿泊名簿を見て、もっと驚きました。憧れの職長さんと同室だからです。

一晩一緒にいられる。夢のような話です。舞い上がって、後はおぼえてい

ません。

 

でも、忘れようにも忘れられない一晩でした。仲間と一緒に風呂に入った

ことは覚えています。それから晩餐です。カラオケは箱根八里で、間違え

ずに歌えました。職長さんは最後です。「銭形平次』。この歌が十八番だ

と仲間から聞いて、知っていました。ああ、「庶民派の正義か」。酔っぱ

らった頭で、職長さんらしいなと思いました。

 

早めに戻って、部屋で待っていました。

 

上きげんの職長さんが帰ってきます。少しアルコールの匂がしますが、不

快いという感じはしませんでした。ほのかないい匂い。職長さんそのもの

「かおり」です。

 

なぜ、招かれて、しかも職長さんと一緒なのか。後で聞いて分かりました。

 

職長が世話になった先輩と、どことなく似ているのだそうです。最初に見

た瞬間からそう感じたそうです。現場には、緩い昇進の階段があります。

先手(さきて)から、班長、職長へと、ゆっくりと階梯をのぼるように、

昇進していきます。

 

職長を育て、導いてくれたのは、 10歳ほど上の先輩でした。その人がど

こか私に似ているのだと感じたのです。縁は不思議なもの。その先輩も面

倒見のいい人でした。生意気だと、たたかれ、いじめられたとき、それを

かばい、命がけで後輩をかばった先輩です。その人の恩は忘れない。おか

げで、けがのない今日の職場共同体が出来上がったのかもしれませんね。

 

マサージをしてあげました。気持ちよさそうに職長さんは寝ています。終

わると布団をそばに引きよせます。浴衣一枚の下は素肌(まっぱだか)で

す。私は、いつも通り寝間着は着ないのです。寝るのは裸と決まっていま

す。

 

「おい。」

 

太い左腕が私の首にかかりました。強い力で引き寄せます。初老の男を感

じました。去っていく青年に思いのたけを伝えておこう。亡くなった先輩

に対する恩返しのつもりでした。(つづく)









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