もりつぐさんのエッセイ №10            .




もりつぐの回想:          .



安寿さんのこと ⑩

(完結編)


老化専(ふけせん)の意味

 

年寄りの好きな男の中に、老化専(ふけせん)の人がいます。年寄りだけ

が好きな男色家のことですが、若い人にも中年の人にも関心がない男たち

の事です。もっぱらフケのみに関心がある御仁(ごじん=ひと)のことで

す。

 

そういう客の集まる店は、上野や浅草、新橋にありますが、もちろん少数

派です。でも週末は、固定客で賑(にぎ)わっています。

 

なぜ、老化(ふけ)が好きなのでしょうか。そんな店に行き、誰に聞いて

も、明確な答えはない筈です。幼少時に、年寄(としより)に可愛(かわ)

いがられたからでしょうか。

 

折口信夫(おりぐちしのぶ)は、女は汚くて嫌いだと、弟子の加藤守男に

言いました。

(わが師折口信夫)でも彼は忘れていたに違いないのです。女性の嫌いな

折口ですが、自分を生んだのは、女性の母親で、彼とて、木の股から生ま

れてきたわけではないのです。

 

でも、生涯、妻をめとらず、同性のH.F.を継嗣(あとつぎ)にしたことで

有名です。

 

男とだけ情を交わすのが、理想の姿ですが、それでは世界は滅びてしまい

ますね。男と女が交わって、やや(嬰児)が生まれ、命がつながるのです。

男ばかり、女ばかりでは、どんなに頑張っても、生命(いのち)は、枯渇

し、社会は消滅します。これは生物学的な事実で、この摂理(せつり)に

逆らえる人は、どこにもいないはずです。

 

開示は注意ぶかく

 

このコラムの内容は特殊で、読み手は、自己の内面の特別な性質を自覚し

ているはずです。若い頃から、年配の男に目がいく人は、男色好きの人と

いってもいいと思います。でも、この性質を関係者に開示するには、細心

の注意が必要なのだと思います。

 

普通の人は、ゲイや衆道に偏見を持っているからです。自分は普通の人で、

彼らは異常と強く思い込んでいるからです。不用意な開示は、自己や相方

を傷つけ、社会からひどい仕打ちを受けることに決まっているからです。

 

男が好きという心の奥に住む、魔物を隠して、家庭を持てば、結果は、深

刻な悲劇を生むでしょう。好きでもない女と過ごす生活は、苦しい筈です。

好きでもない男と暮らす女の生活(くらし)も、侘(わび)しいはずです。

 

世の中に、セックスは、二種類しかないのですが、実際には、いろいろの

バリエーションがあります。女になりたいが男の身体に生まれた人。男に

なりたいが、乳房のある身体で男装する女性。ある時は男になり、ある時

は女になりたい、変幻自在のヒト。

 

性というカテゴリーは、数式のように、簡単にはわりけれない領域なので

す。たえず問題が生じる世界なのです。

 

 堂々と見極める勇気

 

「老いのときめき」(旧バージョン)を作った理由を、安寿さんは、はっ

きり書いてメールで送ってくれました。この厄介な問題を論じる場がない

のなら、作ればいいではないかと。思い切り「助平の話」をして、すっき

りすればそれでよいのだ。その方が、よっぽど健全、とまで書いています。

 

「うじうじ」するの早く止めて、日の当たる場所で堂々と議論せよ。その

方がずっと健全ですとまで、述べています。私も賛成です。

 

辺鄙な田舎町に転勤させられた時、山奥まで尋ねてきてくれたのは、一人

の古い先輩でした。癌を患ったその先輩を最後まで看取ったのは、安寿さ

んでした。死んだときは、大声で泣いたと、書いています。最後まで、付

き添ったのだとも。

 

男の友情は、口にしないものだというのが、われわれ世代の常識だと思い

ます。腹の底まで見せるのは、限られた人たちだけのこと。そこまで見せ

てもらえれば、心の奥に渦巻く苦悩が分かり、人格の中止にまで触れるよ

うな気がするのです。この人に出会ってよかったと思えるのは、この瞬間

があるからです。

 

古いメールを読めば、当時の関係性の世界に戻れるような気がします。当

時の暮らしぶりが蘇えるような、そんな気がします。

 

安寿さんは、エッセイも書き、小説も書き、自己の画像も残してくれまし

た。初期の作品を読めば、暗中模索の様子が分かります。文章には、幼稚

なところもりありますが、人生に取り組む誠実さのようなものが伝わって

きて、ほのぼのした気分になれるのです。人の心に訴える力が、その文章

に宿っているからだと思っています。


 男好きふんどし好きのシニア

 

苦労した人にしか、書けない文章ですね。まぎれもなく、「男が好き」、

「ふんどし好き」のシニアです。そんな内面を、厳しく見極めようとする

姿勢には、一貫性があります。

 

この文章を書いて、心の底まで曝して、隠さないのが安寿さんだと思いま

した。自己を外部にさらして恥じない姿勢です。弱そうに見えて、本当は

強い人だったのかも知れません。

 

挿絵代わりに、自画像を載せているのは、読者に対するサービスですが、

解釈を少し変えれば、ある種の「自己分析」だったのかもしれませんね。

カメラを提げて自分を撮影する安寿さんの姿が目に浮かびます。自撮りに

は勇気がいるのです。撮影は、相手に自分がどう見えているかを確認する

手段ですからね。

 

最後になりますが、男同士の愛情は、相手を想う気持ちがないと、長続き

しないのは、経験的に分かっています。私も相方を亡くして5年目に入りま

す。大病もしました。

 

人生は、高い山を目指して進む登山に似ています。幾多の困難があります

が、それを超えて、次々に前に進むしかない。多くの課題が現れるでしょ

う。でも、辛くてもじっと耐えることです。結局、その人の精神性が決め

手になるのだと思います。それがなければ、途中で倒れてしまうでしょう。

 

長く付き合ってくれた、今は亡き相方の言葉です。安寿さんも、天上で多

くの仲間たちに囲まれ、地上のわれわれを見守っているのでしょう。もっ

と書きたいのですが、今回はこれで完了といたします(了)









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