北極星さんのエッセイ №8               .




衆道の今昔 (1)  .


                                       2014-10-14

老いのときめきのみなさんおはようございます。

 

つれづれのあまり, パソコンで「衆道」を検索し, 日本における男性同士

の性愛に関する文化の移り変りとその眞相を振り返って見ました。出典は

ウィキペディアで
, ウィキペディアの指示に從って「男色」,「日本におけ

る同性愛」
, 「陰間茶屋」及び「日本におけるLGBTの權利」なども検索し

ました。受け売りの知識で上記出典の総合版であるとご承知願い
,欵点が

あリましたら出典の検索を合わせてお願いいたします。

 

ウィキペディア「男色」によると男色とは,男性同士の性愛 (男性同性愛)

を指し
,中国伝来の言葉で, 朝鮮半島でも用いられている。男色は日本に入

ってきてからは寺院や武家社会
,歌無伎の世界などで独自の発展を遂げた。

 

衆道は日本における男性の同性愛関係で武士同士のものをいう。

 

男色は佛教の伝来 (552) 当時から存在した。平安時代 (794 - 1185)

公家や僧侶間に流行し
, 中世室町時代 (1336 1573) に武士の間でも盛

んになり
, その「主從関係」の価値觀と融合したとされる。衆道の言葉は

いつから使れたかは明らかではないが
,承応2(1653)の江戸幕府の「市

廛估并文武市籍寄名者令條
(遊女并隠賣女)」に確認できる。現在確認され

ているものでは
, 幕府の公式令條で衆道が使われたのはこれが最初とみら

, 江戸時代 (1603 1868)から武士の男色が衆道と呼ばれるようになっ

たと考えられる。

 

江戸時代 以降武家社会で男性同性愛は衆道 (しゅどう) 或は「若衆道 (

かしゅどう
), 歌無伎の世界では陰間 (かげま) と稱されている。

 

男性と男性の性愛は佛教伝来当時は男色, 現代公には同性愛と言う言葉で

表現されています。日本における男性同士の性愛は時代によりおのおの異

った歴史と文化を反映します。

 

衆道は歴史と日本文化の背景を反映する純粹な日本語で.「主從関係」の

価値觀と融合した男色は
, 單なる性愛ではなく, 衆道という文化水準の高

い日本独特な風俗習慣となった。本文は用語使用の選択にあたり
, 歴史と

文化を反映するように両語を区別して使用するように努めるので
, それを

わきまえてお読みになって下さい。

 

藤原賴長をはじめとした平安時代に実在した人物の日記には同性愛行爲を

含んだものが存在している。そのうちのいくつかは当時天皇にあった人物

との性関係を記したものが存在した
[1]。以下では年代毎に日本における

同性愛の歴史を顧みる。

 

古代 :

「日本書記(720年完成) の神功皇后の項にある「阿豆那比(アヅナヒ)

罪」は神官小竹祝と天野祝の男性同士の性愛に関する物語りで
,日本にお

ける男性同士性愛の最初の記録である。また「続日本記」には
, 天武天皇

の孫である道袒王が聖武天皇の喪中に侍児と男色を行ったとして廃太子さ

れた記述がある。主人公は貴族或は上流社會人で
, 年譜から考察すると佛

敎の伝来後である。

 

奈良(710 - 794)・平安時代 : 寺院での男色

奈良・平安時代には仏教の広まりとともに寺院での男色もかなリ広まった

と考えられている。仏教の戒律には女犯 
(僧侶が女性と性交することを

禁じる戒律
) が存在した。奈良時代には貴族の子弟が寺院に入り, 僧侶の

身の廻りの世話などをすることが制度として確立していた。男色の対象と

された少年達は元々ほ稚児として寺に入った者達である。彼等有髪の少年

ほ寺稚児
, 垂髪, 渇食と呼ばれた。こうした稚児を寵愛する制度は, 奈良時

代以降かなり仏教界に広まっていた。天台宗などでは僧と稚児の初夜の前

に行われる「稚児灌頂
(ちごかんじょう)」という儀式があり, 灌頂を受け

た稚児は觀音菩薩の化身とされ
, 僧侶は灌頂を受けた稚児とのみ性交が許

された。寺社内の男色世界を知る貴重な資料に
, 平安時代に成立したとさ

. 稚児灌頂について記された「弘児聖教秘伝」や大部後のものだが,京都

醍酤寺所藏の「稚児之草紙」
(元享元年, 鎌倉末期)などがある。

 

奈良時代にはめぼしい男色の記録はないが「万葉集」には大伴家持らの男

性に宛てたと思われる和歌が収められている。文学作品では平安時代中期


(11
世紀初頭) に書かれた「源氐物語」に主人公の源氐が空蝉に拒絶され,

弟の小君と寢る描写が存在する
[2]

 

奈良・平安時代には稚児のライセンス制度があり高度の社会であったので

ある。衆道は歴史と日本文化を反映する純粹な日本語で
. 單なる性愛行爲

ではなく
, 男色が「主從関係」の価値觀と融合し,衆道と呼ばれる世界に比

類のない文化水準の高い
, 日本独特の性愛の風俗習慣である。

 

出典ウィキペディア「日本における同性愛」:

 1 eupp, Gary P. (1999). Male Colors: The Construction of Homosexality in  
    Tokugawa Japan.    University of California Press.
    Pp 26 ISBN  0-520-20909-5


 2 The Tale of Genji. Edward G. Seidensticker (trans.) p. 48.

 

(続く) 次回は「平安末期.鎌倉時代 : 公家への広がり」から始まる。









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