北極星さんのエッセイ №13               .




衆道の今昔 (6)  .


                                       2014-10-23

老いのときめきのみなさんおはようございます。

 

戰後 (1945 - )

戦後は権威の喪失と街娼やストリップの流行、言論の自由による性描写の

解禁などがおこり、同性愛もその流れに乗って発達した。三島由紀夫に代

表される同性愛を告白したり、肯定的に論ずる作家も現れ、会員制ゲイ雑

誌が発行された。

戦前に引き続き性を売る同性愛者もいた。東京では戦前に続き上野公園、

大阪では天王寺公園に近い阿倍野区旭町に男娼が集まり「男娼の森」と呼

ばれ
[50]、上野公園に街娼を求めてやってくる客のうち1割は男性目当て

だった
[47]。上野公園は戦後直後は女装男娼が集まったが、1950年代頃は

女装しない男娼が圧倒的多数を占めるようになっていた
[51]

 1950年代には同性愛者のコミュニティも発足する。ゲイバーは戦前の昭

和初年には登場し
[3]、戦後も直ぐにできていたが[53]、新宿では1950年代

に、要町(当時新宿二丁目、現新宿
3丁目)、千鳥街(新宿御苑近く)、

花園街(現・新宿ゴールデン街)界隈のそれぞれに一般の飲み屋などに混

ざり、ゲイバー(特に女装バー)が比較的多く集まる飲み屋街ができてい

[54]

1950年代の男性同性愛者の調査によれば、回答者は、人権意識をもって海

外の同性愛禁止法に反発していたこと、世間から特異な目で見られたくな

いと思っていたこと、戦前とは違って罪悪感を抱いたり卑下したりしなく

なったことなどがわかる
[47]

1960年代: 風俗奇譚創刊、新宿2丁目ゲイタウンの始まり]

1960年(昭和35年)には異性愛男性向けのSM記事がメインではあったが、

男性同性愛専用ページを常設した「風俗奇譚」が創刊された。同誌には男

性同性愛者に出会いの場を提供する文通欄も設けられており、淫乱旅館の

広告やレズビアン記事
[55]も載った。但しレズビアン記事の書き手の殆ど

は男性であり、女性同性愛者向けのものというより、ヘテロ男性に向けた

ものだと言われる
[19611月号からは日本で初めて常設の女装専用ペー

ジもできた
[56]。また風俗奇譚と同じ編集者が、会員制ゲイ雑誌「薔薇」

19647月創刊)を4年ほど出していた。

1958年の売春防止法の完全施行の後、1960年代後半頃から、現在の新宿

二丁目仲通りを中心とした二丁目ゲイタウンの歴史が始まった。そこで彼

らは嫌がらせに耐えつつも営業を続け、芸術家や政官財の有名人を多数輩

出することになる
[58]

1960年代は権田原(ごんだわら)という公園のような場所も、都内では最

も有名な発展場として知られていた
[3]。因みに日本では1960年代後半以

降に生まれた同性愛者は異性と結婚せず、同性愛者として暮らす傾向にあ

ると言われている
[59]

 

1970年代-1980年代: 薔薇族創刊とゲイリベレーション

1970年代は薔薇族などの商業ベースのゲイ雑誌の創刊ラッシュが起きて情

報が広まりやすくなり、同性愛の大衆化とマーケット化が進む。風俗奇譚

に交際欄などは既にあったが、ゲイ雑誌にも交際欄が設けられたり、ゲイ

バーや発展場などの広告が掲載され、ゲイ同士が更に出会いやすくなった。

また欧米のゲイ解放運動の影響が日本にも波及し、
1971年には東郷健[60]

が参議院議員選挙にゲイであることを公表して初立候補するなど、同性愛

者の解放を目指す「ゲイリベレーション」が一時的に一部で広まった。

商業ゲイ雑誌創刊

1971年に商業ゲイ雑誌としては日本初の薔薇族が創刊され、アドン、さぶ、

The Gay、サムソン(1982年)が後に続いた。

1次ゲイリベレーション(1970年代~80年代初頭)

この時代に前後して、美輪明宏、東郷健、おすぎ、ピーコといった著名人

が自伝などで自らの同性愛を明かし、しばしばベストセラーになった
[63]

性教育に変化の兆し

この時代は文部省は、同性愛を性非行の倒錯型性非行として問題視してお

[66]、教育者向けの指導書や新聞の人生相談の専門家の回答にも、同性

愛を異常と決めつけ問題視するものが多かった。京都精華大学助教授(当

時)の上野千鶴子のようにあからさまに同性愛者を差別するものもいた。

そのような中にあっても、1983年に出版された赤塚不二夫「ニャロメのお

もしろ性教育」(西武タイム)では同性愛が肯定的に取り上げられた。同

書には漫画で男性同士のカップルが登場したり、同性愛の歴史やそれが古

代ギリシャなどでは自然な行為だったこと、差別の現状や
SEXのやり方、

米国のゲイ解放運動などが紹介された。そして彼らの行動を無理に邪魔し

たり、からかったりしてはいけないと説いた
[3]。また山本直英らは同性

愛を肯定的に扱う性教育を先駆的に行った
[59]

サークルの隆盛

ゲイ雑誌が発行されて以降は通信欄で、趣味サークルやスポーツサークル

への参加が呼びかけられ、全国にこうした同好会も多く生まれた。

1990年代: ゲイリベレーションの大衆化]

1990年代に入ると日本でも医学的な分野で動きがあった。米国精神医学会

1973年に同性愛を精神障害として扱わないと決議し、1987年には同性

愛の分類自体がなくなっていたが、
WHO1990年に同性愛の分類名を廃

止し、「性的指向自体は、障害と考えられるべきではない」とした。そし

1993年にWHOは再び「同性愛はいかなる意味でも治療の対象にならな

い」と宣言した。日本の対応は遅れたが、同性愛団体からの働きかけもあ

り、
1994年、厚生省はWHO見解を踏襲し、文部省も指導書における「性

非行」の項から同性愛を除外した。日本精神神経学会も同性愛者団体の働

きかけに応じ、
1995年にWHOの見解を尊重すると発表した。

またメディアでも90年前後から同性愛者が積極的に取り上げられるように

なったり、「東京都府中青年の家裁判」などの結果、同性愛者の人権が社

会的に認知され始めるようになっていく。また抗議によって辞典や出版物

の同性愛者に対する記述なども改善されていった。一例として著書などで

必ず同性愛を取り上げ問題視していた京都大学霊長類研究所長でセクソロ

ジストの大島清は、同性愛は尊重されるべきだとの考えに改めている
[70]

また各地でゲイ映画の上映会などは既にあったが、1992年には第1回東京

国際レズビアン
&ゲイ映画祭が開催され、1994828日には日本初のレ

ズビアン&ゲイパレードが催された。パレードはアジアではフィリピン(

同年
6月)に続き2番目に早い開催だった。学校での講演活動も行われる

ようになり、トランスジェンダーやインターセックスの団体も登場した


[59]
1991年に劇場公開されゲイの生活を4年間追い続けたドキュメンタ

リー映画「らせんの素描」にも出演した高校教師の平野広朗は、ゲイであ

ることをカミングアウトして授業を行った。
1990年代前半には、いくつか

の民放ドキュメンタリー番組で、
LGBT団体の活動やゲイの教師が取り上

げられた
[71]

1992年には学校の性教育授業の副教材、「ひとりで ふたりで みんなと」

(小学生用)、「おとなに近づく日々」(中高生用)で同性愛について触

れられた(その後、
2000年代前半に東京都教育委員会が「不適切教材」と

したため廃刊
[59]。但し同性愛者の中にもこの教材の同性愛に触れた部分

ではなく、過激な性表現に対しては批判的な人はいる)。

その頃ネットは既に普及しており、個人で情報発信も行われていたが、こ

れまで顔が見えにくかったゲイがゲイ雑誌という限られた枠内とはいえ、

メディアを通して可視化されたのは画期的だった(
80年代のゲイ雑誌「さ

ぶ」に、読者のゲイがグラビアモデルを兼ねてインタビューに答える企画

はあったが、飽くまでポルノだった)。因みに、薔薇族の
20001月号(

1999
11月発売)のサークルメンバー募集覧には全41通が掲載され、そ

の内、スポーツ系ではバレーボール
5件、テニス2件、武術1件、ダイビン

1件、バドミントン1件、ボウリング1件、イベント系は8件、音楽系は3

件などとなっている。

1990年代以降は、こうした大規模パレードやHIV啓発イベントなどによっ

てゲイリベレーションの大衆化が進行した。また新興ゲイ雑誌の創刊など

によって同性愛者のイメージも広がっていった。インターネットも普及し

た結果、情報量が飛躍的に拡大し、当事者の意識を大きく変えた
[59]

ゲイ・ブーム

1988年、フジテレビ系「笑っていいとも」で始まり、その後一年続いた人

気コーナー、「
Mr.レディー & Mr.タモキンの輪」[73]が火を点けたニュー

ハーフブームがまず起こり、
1990年頃からはメディアで「ゲイブーム」が

起きた
[72][74]。比留間久夫の二丁目を舞台にした小説「YESYESYES

1989年)が文芸賞を受賞し、多くの週刊誌で取り上げられ話題になった。

それに続き文藝春秋の雑誌「クレア」(
19912月号)が、「ゲイ・ルネ

ッサンス
'91」という医学・社会・文化・芸術・風俗など多岐にわたる47

ページのゲイの大特集を組んだのを筆頭に、『
IMAGO』「ゲイの心理学」

912月号)[75]SPA!「ゲイの聖地・新宿二丁目ヌーベルバーグ体験

ルポ」(
91424日号)、DIME「仕事ができる女はゲイが好き」(91

5
16日号)、朝日ジャーナル「ゲイに恋する女たち」(91712日号)、

インパクション「ゲイリベレーション」(
718月発売)、アエラ「当世

大学生事情
キャンパスに咲く“ゲイ・ルネサンス”」(931025日号)、

マルコポーロ「普段着のゲイ」(
942月)など、多くの雑誌がそれに続

いた。別冊宝島でも度々同性愛が取り上げられ
[76]、テレビのワイドショ

ーなどでもゲイ特集が組まれた
[77]

1990年には「動くゲイとレズビアンの会」(通称OCCUR)が東京都の宿

泊施設の利用を拒否されたことがメディアに取り上げられ(「府中青年の

家事件」)、結果として同性愛が注目を浴びることになった
[78]

 

出典ウィキペディア「日本における同性愛」:

3 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫
 社)

6 男色の日本史』(作品社)ゲイリー・P・リュープ。信玄と源助の衆
 道関係を示す証拠として一次史料である書状が現存している。ただし源
 助は「春日源助」とされ、信玄・勝頼期の譜代家老・春日虎綱(高坂昌
 信)に比定されるものと考えられていたが、近年は「春日」姓が後筆で
 ある可能性が指摘され、「春日源助」の人物比定については再検討が望
 まれている(柴辻俊六「戦国期信濃海津城代春日虎綱の考察」)。

34  1864年(元治元年)520日付近藤勇の中島次郎兵衛宛書簡「局中頻
 ニ男色流行仕候」。

35  旧約聖書『レビ記』第22章に「汝女と寝るように男と寝ることなかれ
 是は憎むべきことなり」とある。
米国の一部の州における同性結婚の
 合法化などの動きにも地元キリスト教組織は反対勢力となる例が多い。
 また英語圏で男色行為を指す「
Sodomy/ ソドミー」は創世記に記述され
 た、住民の悪徳により神に滅ぼされた都市「ソドム」を語源とする。

36「改正犯姦律 犯姦條例 第二百六十六條」『改定律例』(JPEG)卷二、司
 法省〈刑法
(日本)〉、1873613日。NDLJP:79427920121010
 日閲覧。「凡鷄姦スル者ハ。各懲役九十日。華士族ハ。破廉耻甚ヲ以テ
 諭ス。其姦セラルヽノ幼童。十五歳以下ノ者ハ。坐セス。若シ強姦スル
 者ハ。懲役十年。未タ成ラサル者ハ。一等ヲ減ス。」
37 『矩を踰えて
 明治法制史断章』(霞信彦、慶大出版会)「鶏姦罪―施行八年半の軌跡」
 より。

38^ 三橋順子『女装と日本人』p.138

39  鶏姦罪が廃止された背景には他に、この期間も男色が盛んだった薩長
 など九州諸藩の政治的影響もあった可能性があるが未検証である。

40  『ゲイという「経験」』伏見憲明 ポット出版 (2002/03) ISBN
 4939015416
 

41 大正より前の明治・江戸期に発展場に類するような場所があったかに
 ついては検証が待たれるが、明治期に刊行されたグラフ誌「風俗画報」
 に「男色
笹の屋」(明治269月など)という記事があり、これが今で
 いう発展場の様なものだったのか、男娼を置いた陰間茶屋だったのかは
 検証されていない。因みに「風俗画報」原本は明治大学駿河台キャンパ
 ス図書館(
4冊欠本)に、CD-ROM版(完全版)は同和泉キャンパス図
 書館にそれぞれ所蔵されている

42 『同性愛と同性心中』小峰茂之・南孝夫 小峰研究所(1985)

43  1931年(昭和6年)『エロ・グロ男娼日記』「銀座街頭へ進出」(流
 山竜之助、三興社)。

44 『南方熊楠男色談義・岩田準一往復書簡』八坂書房

45  岩田準一は戦時下で「男色文献書志」の出版を試みるが叶わず、2002
 年に「本朝男色考」との合本で出版。

46その他の同性愛文献(明治~昭和初期《戦前》)

  •1892年(明治25年)16 - 『明教新誌』「変成男子」

  •1893年(明治26年) - 『風俗画報』「男色-笹の屋」(9,10,11
   月
,12月発売号、18942月発売号)

  •1913年(大正2年)11 - 『中央公論』「同性の恋」(田村と
   子、
286号、女性同性愛)

    1914年(大正3年)4 -『同性の愛』(野元一二)出版社:文明

  •1914年(大正3年)7 - 『中央公論』「男優の女と女優の男」な
   女装などに関する特集

  •1920年(大正9年)920 - 『日本及日本人』「男性間に於け
   同性愛」(田中香涯)

  •1920年(大正9年)10 -『婦人画報』「同性の愛」(呉秀三)

  • 1921年(大正10年)1 -『新小説』「二人の女性の見たる同性
   
-同性恋愛の特質」(神近市子)、「二人の女性の見たる同性愛-
    
し合うことども」(吉屋信子)

  • 1921年(大正10年)108 -『婦人公論』「女が手術を受けて男
   になった話」

  • 1922年(大正11年)1 -『太陽』「婦人の男性化」(野上俊夫)

  • 1922年(大正11年)6 -『性』「同性愛の民族的歴史的考察」(
   井誠夫
)

  • 1923年(大正12年)4 -『性』「性感と異性化」、「ウールニン
   グとウラニスムス」

  • 1925年(大正14年)9 -『太陽』「女性の男性化、男性の女性化」
     (
千葉亀雄)

  • 1928年(昭和3年)1 - Materia Curiosa VolNo1』「男子同姓
   色情」(橘さゆめ)、「レスビッシ エ・リーベ」(加藤小夢)

  • 1928年(昭和3年)11 -『グロテスク』「レズビエンヌ」(酒井
   潔)

  • 1930-31年(昭和5-6年) - 『犯罪科学』「本朝男色考」(岩田準
   一、『本朝男色考 男色文献書志』
2002年原書房収録。岩田の他の
   男色研究は『南方熊楠男色談義・岩田準一往復書簡』八坂書房があ
   る。)

  • 1930年(昭和5年)11 -『犯罪科学』「愛する戦友」(丸木砂土)

  • 1931年(昭和6年)『同性愛の研究』(守田有秋、人生創造社)

  • 1931年(昭和6年)『エロ・グロ男娼日記』「朝から夜中まで」「
   銀座街頭へ進出」「男がオトコに恋したら」(流山竜之助、三興社)

  • 1935年(昭和10年)3 -『中央公論』「同性愛の歴史観」(安田徳
   太郎
)

  • 1937年(昭和12年)1121 -『週刊朝日』「”ネオンの虫”七
   千:親馬鹿・子馬鹿に学校馬鹿
時局に不感症のサボ学生」(男色
   関係)

  • 1938年(昭和13年)10月『改造』「男性女装と女性男装 -変態風俗
   史の一節
-

 

 

(続き) 次回は「現在:2000年代LGBT 政策の具体化へ」から始まる。









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