越刎さんのエッセイ №9                .




私のスポーツ人生



(4)就職当時



 ところで思い出したのですが、石川に行った次の年の冬、連休を利用し

て、大学の同級でメーカーの福井支店に来ていた人と勝山の雁が原スキー

場へ貸スキーを借りて初めて滑りました。民宿に泊まったのですが、翌日

は雨でした。折角来たので雨の中を濡れながら滑ったので、帰ってから風

邪を引きました。風邪が中々治らないので、結核になったと心配になりま

した。当時の北陸は結核王国と言われていましたので。

 

 会社に頼んで実家のある京都の京大付属病院の結核研究所に1か月近く入

院しました。この間薬や治療は全くなかったです。いろいろ難しい検査の

結果、喉頭炎ではないかと退院して耳鼻咽喉科医に掛かった結果完治しま

した。会社には迷惑を掛けました。

 

 それに懲りずに毎冬には県内や富山県のスキー場まで下手なスキーをし

に行きました。スキー学校に入らず我流で滑っていましたので上達はしま

せんでした。何でも本格的にするにはちゃんとコーチについて学ぶ必要が

ありますね。

 

ところでスキーは雪質で上手く滑ることが出来ることを知りました。ある

のこと、気温が非常に低い日で新雪が降ったあとでした。自分で驚くほ

ど上手に滑れたことがありました。この点、北陸のスキー場は難しいです。

 

 確か昭和38年の豪雪の年初春、当時あった山中温泉のスキー場で、林間

を滑り降りて帰ろうと思ったのが間違いで、スキーのテールを木の根っこ

にひっかけ足の骨を折るけがをしました。スキーを担いでとぼとぼ歩いて

電車の駅までたどり着きました。足にギブスをして会社には車で送り迎え

して貰って行っていました。これまた会社に迷惑を掛けました。スキーは

しばらく女房に停められて行きませんでした。


 還暦後勤めを替えてから、近くのスキー場に女房に内証で半日休暇を取

って行っていました。
70歳過ぎまでやっていました。この時はスキー教室

に入って習いました。

 

 ゴルフを止めた時、第1回のマラソンブームが始まり、地元でも走ろう

会が出来ました。それで走ろう会に入って、毎朝ジョッギングしました。

長距離走は体重が軽い方が良いのですが、62cmで60kgありました。

練習で55kgまで落ちましたが、無理で平均57kgでした。早い人は

50kg以下でした。

 

 最初は3km走るのもハアハア言っていましたが、2年経つ頃、正月2

に金沢の新春駅伝に引っ張られて行きました。走ろう会の会長は正月に皆

で金沢城の周りを走る大会で、5km弱ゆっくりでよいから最後まで走れ

ばよいとのことで附いて行きました。ところが
4人がリレーする駅伝でびっ

くりしましたが断るわけにいかず、しんどい思いで走り切りました。その

後は真剣に練習しました。インターバル・トレーニングで少しは早くなり

ました。

 

 走ろう会の会長(県では同年代ではトップ)が市に働きかけ、昭和51

と思われますが、
35歳以上の一般市民のロードレースの大会を開きました。

当時日本海側の県は全く一般市民の大会はなかったので日本海健勝マラソ

ン大会と名乗って行いました。
5歳刻みで6位まで入賞が人気を呼び全国か

ら参加者がありました。
60歳以上は5kmで他は10kmでした。

 

 私は40歳以上45歳未満の部で、40分そこそこでしたが入賞を逃しました。

37分台でないと入賞は無理でした。

 

 私は走ろう会の事務局を引き受けて色々の大会を調べ会員の人に連絡し

ました。会員のうち各年代で強い人がいて年代別で入賞していました。日

曜日の早朝全員集まってジョギングしていました。月
1回タイムを取って公

表していました。 











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