越刎さんのエッセイ №10                .




私のスポーツ人生



(5)その後の話・上



 ここで私の家族のことをすこしお話ししましょう。当時小学校に行って

た男の子二人には走ろう会に入った当座日曜日の朝連れて一緒に走ってい

ました。

 

それが縁で子供達は中学校で陸上競技部に入って駅伝のメンバーになっ

ていました。高校では上の子が棒高跳び、下の子はハードルをしていまし

た。県大会ではよい成績でした。

 

 ところで私は若い時登山だけはやりませんでした。遭難すると家に莫大

な負担を掛けることになると思っていました。石川県には日本三名山の一

つ白山があります。白山は越前の泰澄大師が開山して今年は
1300年の記念

の年になります。

 

 白山は標高2702mで登山は麓の別当出合(標高1000mほど)よ

り登ります。ここまでは車で行けます。

 

皆さん白山に登っていましたので、私は家族5人(当時の子供は全部小学

生)一度白山にのぼろと言うことで、南竜山荘で泊まり深夜
2時に起きてエ

コーラインを通り室堂を経て頂上へ全員登りました。ご来光に感激しまし

た。その後私は
5回登りました。

 

前に勤めていた会社に登山部があり一度連れて貰ってもらったときは上

りは付いて行きましたが下りは離されました。経験者は速く楽に下るので

すが、膝が痛くなりゆっくりゆっくりしか降りられませんでした。後
5回は

走ろう会が他の走ろう会と合同で
2回、後の勤めた会社の人と2回、1回は

娘の婿の両親(登山家)を案内して家内と
4人で登りました。この時は山開

き後連日雨でしたが、我々が登る時は途中で雨が止み室堂の山小屋では素

晴らしい満天の星を眺めました。ご来光を見ようと室堂を出発した時、白

山神社室堂支社より宮司が白衣をまとって登って行きました。下駄ばきで

驚きました。頂上でご来光を仰いだあと、頂上の白山神社の祠で神官より

お神酒を頂きました。その日が山開き以来初めて神官が登ってお祝いした

とのことで幸運でした。素晴らしい感激です。遠く富士山の頂きが見えま

した。一生の思い出になりました。

 

 近くに低いですが格好の登山できる山がありますが登っていません。

 

 

 

 走ろう会では女子も入ってきて盛んになりました。私は若いとき3度ぎ

っくり腰で神経痛が出て20km以上走り続けると乳酸が足にたまり痛く

て走れませんでした。当時は陸上競技協会の主催の大会があり協会に登録

しないと出場が出来ませんでした。止む無くその時だけ入会して地元の

20kmロードレースで
1時間30分を切って走ったことがあります。

 

 そんなことでフルマラソンの練習が出来ませんでした。他の会員は女の

人も含め地方の市民マラソンに完走をしていました。

 

 

 

 勤めが変わって土曜日の午後が自由に休みが取れるようになってから市

の水泳教室でゆっくりクロールで1000m以上続けて泳げるようになり

ました。トライアスロンだとスイムは腕、バイクは太もも、ランはアキレ

ス腱と負担のかかるところが分散されるのでスタミナが付くと思いトライ

アスロンにチャレンジしました。そこで勤めのあるところまで自転車で片

道16km通勤しました。それで
61歳の時金沢で行われたミニトライアス

ロンに出ました。水泳は1000mプールで泳ぎます。自転車は50km、

ランは15kmでした。見事完走しました。

 

 事故が起き大会が中止になるまで3回出ました。

 











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