吉三郎さんのエッセイ №1                     .




肛門性交と儂



 これまで幾つかの体験談を投稿してきた。しかし、たまには趣向を変えて

みるのもよかろう。今回は体験談ではなく、エッセイである。果たして自分

にエッセイが書けるのか怪しいものだが、男同士の行為について、儂なりに

思うところをあれこれと書き綴ってみたい。

 

前回、「初めての肛門性交の思い出」と称して、儂が初めて肛門を貫かれ

た思い出を投稿した。しかし、そのセックスは心から満足いくものではなか

った。何しろ、儂は男に抱かれながら祖父、小谷のおじさん、友人Tの父親、

この3人の姿ばかり思い描いていた。男が儂の中で果てる瞬間、

「親父~、好きだ~。中に出してくれ~」

と絶叫しつつ、儂が頭に思い描いていたのは、下宿先の小谷のおじさんの

ことだったのである。

 

初めてのセックスの後、肉体的な満足感とは別に、心のどこかに空しさが

残っているのを自覚していた。好きでもない男とのセックスには、精神的に

満たされる部分がないのだ。

 

以後、儂は外見的に本理想の男以外には肛門を許さなくなった。

 

ただし、ここには「入れられるのは」という限定がつく。つまり、儂がウ

ケの場合の話である。これは40年経った今でも変わらない。外見的に本理

想以外に入れられるのは、例えゴム付きでも絶対に嫌である。ここで味噌に

なるのは「外見的に」という部分である。言いかえれば、外見さえ好みの男

なら、次々と相手を変えてセックスしてきたということだ。

もし外見的に本理想の男だったとしたら、ゴムなど使いたくはない。生チ

ンボが出入りする感触、肛門の奥深くに中出しされた時の一体感。それこそ

男と男の真の愛情だと信じている。

 

そうはいっても、この20年間で不治の病は蔓延し、思う存分ホモセック

スを楽しめた古き良き時代は遠い過去のものとなった。初めての相手には、

嫌でもゴムを付けざるを得ない時代になってしまったのだ。例え、儂は良く

ても相手が拒む。好きな男と身も心も一つになりたい。そう思うのはごく自

然な感情であろうに、全くもって寂しい時代である。

 

一方、儂が「入れる側」、つまりタチの場合はどうか? これは話が全く

違う。基本的に儂はウケなので、タチの経験は意外と少ないのだが、よほど

嫌なタイプでない限り、相手が望むなら突っ込むのは基本的に平気である。

 

さほどタイプでない男を相手にする場合、儂のセックスは乱暴になる。い

や、雑といった方がよいかもしれない。相手に男の経験がなく、初めての肛

門性交に痛みを訴えている場合など、むしろ生でやるチャンスと思ってしま

う。

「ガキのまんまでいいんか? 男になりたいんだろ? このまま男にならず

に終わるんか?」

などと口走って強引に挿入。最後は雄叫びとともに中出し。

一方、男慣れした相手なら、

「俺に抱かれたいんじゃねぇのか? 俺の子種が欲しいんだろ?」

などと淫らな言葉を浴びせながら、トコロテンするまで前から後ろからの

激しいピストン。あげくの果てには相手が嫌がろうが関係なしに強制顔射。

もう何でもありである。

 

儂には少々のサドっ気があるのだろうか。SMなど全く興味がないのだが

・・・。もっとも相手も本当に嫌なら
2度と電話なんぞしてきまい。忘れた

頃に連絡が来るのだから、きっと相手も内心満足しているのだと密かにうぬ

ぼれている。

 

それにしても、全くもって不思議なものだ。

ウケとタチでの、儂の中でのこの感情の差は何なんだ? ウケとタチでこ

んなに違うのは儂だけか? こんな風に感じるのは儂だけか? 皆さんの意

見を聞いてみたいものである。

 











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