吉三郎さんのエッセイ №2                     .




発展サウナと儂



初体験が20歳。今、私は64歳。その間44年。あっという間だった

が、やはり44年という月日は長い。1年に1人の男に掘られても44人

の男と関係することになる。これが2人だと88人、3人なら軽く100

人を越えてしまう。

 

かくいう儂も、正直、1年に3人で済む年などなかったといってよい。

昭和50年代には、年に数回は大阪、東京の発展サウナに遠征し、一晩で

5~6人に肛門を貫かれて放精した。肛交と相互手淫を合わせて10回以

上射精したことも一度や二度ではない。仕舞いには、快感はあってもチン

ボから何も出なくなった。それでも理想の男の出現に再び欲情し、飽きる

ことなくセックスし続けた。

 

浅草24会館、浅草大番、上野大番、上野大宝、サウナ一条、駒込健康

センター、コロナクラブ、二川寮、英都、ロイヤル、味園サウナ、竹の家。

いずれも老けが集まる淫乱サウナで、昔のような派手さこそないが、その

多くは今でも健在だ。

しかし、都会のホモサウナはセックスまでが楽すぎる。理想の男に数多

く出会えはしたが、それぞれの印象が薄いのだ。

 

一方、ホモの巣窟と化した地方の一般サウナも、旅の途中に渡り歩いた。

かつて地方の中規模都市の駅近くには寂れたサウナが必ずといって良いほ

どあって、その多くには地元の老けが集まっていたものだ。栃木のA健康

センター、山形のZサウナ、静岡のサウナD、岩手のM健康センター、北

海道のLサウナ、富山のサウナS、石川のサウナHと家族風呂D、甲府の

サウナI、岐阜のD浴場、鹿児島のM温泉、上田のサウナS、山口のYサ

ウナ、高崎のサウナR、姫路の塩サウナT。まだまだたくさんある。儂が

知らないだけの場所も数多くあったことだろう。

 

これらサウナの客は、多くがお仲間だった。中には、有名な老け専ホモ

雑誌に「特に放射能漏れが激しい物件」などと体験レポート付きで紹介さ

れたサウナもある。しかし、A健康センターやサウナDのように、ホモ雑

誌で紹介されたことなど一度としてなかったにもかかわらず、都会のサウ

ナさながらの派手な行為が繰り広げられている場所もあった。しかも、こ

の世界に染まり過ぎていない地元の親父が多く、実に楽しく新鮮な場所だ

った。

しかし、この10年でそれらのサウナのほとんどが、燃料費の高騰や市

街地の再開発で廃業に追い込まれてしまった。今でも健在なのは、栃木の

A健康センター、鹿児島のM温泉くらいのものだろう。

 

それらのサウナで知りあった男の中に本理想は多くはない。しかし、数

が多くないだけに一人一人の印象は鮮明だ。そこで出会った親父、親爺と、

儂はその場かぎりで肌を重ね、肛門を貫かれ、そして果てた。

T県の米農家、I県の植木職人、T県の土木作業員、H道の炭鉱夫、T

県のトマト農家、W県のみかん農家、I県の酪農家、Y県のりんご農家、

S県の土木作業員。A県の漁師。いずれも筋肉のたくましい毛深い熟年で、

非常階段の踊り場や仮眠室などサウナの物陰で激しく儂を犯し、肛門の奥

深くに成熟した雄の樹液を注ぎ込んだ。

件の男達のことは顔、体形、チンボの形、脛毛や胸毛、髭の剃り跡まで

割とよく覚えている。もちろん、どんなセックスをしたかに至っては言わ

ずもがなだ。今、ふと発展場で再会したとしても、

「ああ、あの時、あんな風に抱き合った男だったな・・・」

とすぐに記憶が蘇って来ることだろう。

 

こうして書き並べてみると農家が多いことには驚かされる。しかし、そ

れはガタイの良い親父ばかりを選ぶから、必然的に農家が多くなったとい

うことだけなのかもしれない。今、思えば連絡先を聞いておけばよかった

と悔やまれる。しかし、携帯電話のなかった時代、家族持ちの男から連絡

先を教えてもらうといのは、とてもハードルの高いことだった。

ここで挙げた男の多くが、当時、60代後半であった。出会ってから20

年以上が経過している男も多い。既に鬼門に入ってしまっている人も少な

くないことだろう。

 

こんな淫らな性癖を歩んできた儂である。初体験の男以外、本理想にし

か肛門を許していないのに、許した相手は既に200人(もしかしたら数

百人?)を軽く越えている。触りあい、しごきあいのみに終始した男も加

えたら、一体全体何人になるのか想像もつかない。 

しかし、それは儂に限ったことではないのではないか。ほとんどの積極

派ホモにとって、それは必然といって差し支えないようにさえ思う。

しかし、ホモなんてそんなもの。ノンケとは明らかに違う世界。この世

界、基本的に乱交である。そう割り切れば実に楽しい世界であろう。

 

「結婚して子どもを持ってこそ、本当の生きる喜びや楽しさがわかる。子

どもっていいものだ」

若い頃、酒の席で、子煩悩な親戚や友人、先輩に、こんな類いのセリフ

を嬉々とした表情で聞かされたものだ。しかし、セックスに満ち溢れたホ

モの世界を経験していたら、彼らが本心から同じセリフを言えたかどうか

怪しいものだ。

 

男性を愛するという特殊な性癖を持たない男達が、一生の間に肉体関係

を持つ女性の数は、おしなべて数人から、多くても20人程度のものだろ

う。この世界の男で、生涯にセックスした相手が僅か数人などという者は

まずいない。儂でさえ200人。しかし、中には4桁、つまり1000人

などという強者もいる世界である。

 

例え結婚できなくたってよい。子どもがいなくたってよい。生まれ変わ

れるとしたら、やっぱり儂はふけ専ホモとして、再びこの世に生を授かり

たいと切に願う次第である。











トップ アイコン目次へもどる      「エッセイ一覧」へもどる
inserted by FC2 system