吉三郎さんのエッセイ №3                     .




昔はよかった?



「昔はよかった・・・」

 歳とともにこの言葉を口にする機会が増えた。なぜだろう? 確かに昔、

といってもほんの30年前なのだが、当時は死に至る危険な病気もなく、

大きな町には必ずといってよい程、寂れたサウナやいかがわしい映画館が

あって、同好の地元親父が昼間からたむろしていた。産業構造も第一次産

業の割合が今よりずっと高かったから、専業の農家も多かった。儂の村な

ど村民の9割が農家だったといってよい。そのせいか儂好みの男も今より

ずっと多かった。身体全体から土臭い雰囲気を発散させ、すれ違う儂は、

そのフェロモンで悩殺されるのだ。

 

今から30年前、肛門性交の際にコンドームを使うことなど皆無であっ

た。大都市の淫乱サウナでもそれは同じ。そこには、普段、良き夫、良き

父の仮面を被って辺鄙な田舎で農業や漁業に明け暮れる中熟年達が日本中

から集まり、日々の憂さ晴らしをするかのように貯まりに貯まった性欲を

発散させていた。みな、この日ばかりはと生で狂ったようにさかりあい、

夜な夜な乱交が繰り広げられていのだ。

普段、仲間と知り合う機会の少ない地方のホモが、たまに都会のサウナ

に行った時、どれだけ節操のない性行動に出るか。儂はそれを身をもって

知っている。

これが20年前になると都会の淫乱サウナで生でやる勇気は、さすがの

儂にも既になかった。死に至る病気の影は、確実に日々の暮らしの中にま

で肉薄しつつあったのだ。しかし、地方では、まだまだそんなことは遠い

世界の話であった。かくいう儂も、たまに出会う田舎親父と生で肛交に及

ぶことは珍しいことではなく、例え初対面であっても、それが好きなタイ

プの男であれば、望まれるままに抜き身で挿入されることに躊躇はなかっ

た。

そして10年前、地方でもコンドームを使うことは当たり前になった。

相手が未体験でもない限り、信頼した男意外に生で挿入させることなど、

恐ろしくてできなくなった。

 

巷では性情報が溢れ、若者の性モラルの低下が問題視される昨今である

が、正直、この世界に関して言えば、30年前、もっと言えば40年前の

方がもっと乱れていたといえる。儂が20代の頃の、都会の淫乱サウナで

の凄まじいばかりの光景を、最近、この世界に足を踏み入れたというY(

先日、体験談「トコロテンの思い出」に書いた米農家)に見せてやりたい

ものだ。

 

でも、昔はよかったと感じる本当の理由が別の所にあることに、儂はう

すうす気づいている。生でやりたい放題できたことも、理想の農家の親父

が多かったことも昔を懐かしむ一つの要因にしか過ぎない。その根源にあ

るのは、儂が「ふけ専」であるだけでなく「汚れ専」でもあるという動か

しがたい事実である。

つまり、生活が向上し、町がきれいになること。タイプの親父が小ぎれ

いになること。これらは儂の性癖にそくさないのだ。一言でいえば、文化

的な生活に儂のチンボは雄臭さを感じない。

 

倉庫の隅、老朽化した建築物、そして肉体労働。そういった「汚れ」の

シチュエーションに儂はひどく興奮する。そんな儂にとっては、21世紀

の生活そのものに魅力が感じられない。スタイリッシュな設計士がデザイ

ンした家より山奥の茅葺き屋根の古民家がいい。リビングダイニングより

座敷がいい。ハイブリッド車より軽トラックがいい。ブランド品のスーツ

より汚れた作業着がいい。そして何よりボクサーパンツより越中褌がいい。

 

もしも例の危険な病気がこの世に存在しなかったとする。それは大変す

ばらしいことだ。

何しろホモがセックスする時、常に心の奥底に澱のように横たわる不安

から解放されるのだ。だからといって、30年前と同様に駅前のサウナが

地元親父の社交場と化していても、町に理想の農家の親父が溢れていても、

もしもそれが小綺麗なおしゃれサウナだったり、垢抜けたナイスミドルだ

ったりしたら、例え病気の心配がなくても、儂のチンボはぴくりともしな

いことだろう。そして、結局、「昔はよかった・・・・」と嘆くのだ。

 

時代とともに世の中の製品はデザインそのものもモダンになり、その機

能の充実も驚くばかりだ。昔ながらの生活は恐ろしいほどの速さで消滅し

ていく。儂の家の近所でも、1階部分を倉庫にし、雪が自然落下するよう

屋根の素材を工夫した、いわゆる「克雪住宅」に建て替える家が増えてい

る。昔ながらの茅葺きの民家は本当に少なくなった。辛い雪堀り、そして

降ろした雪の片付け、この2つから解放されるという魅力の前には、伝統

文化の継承など糞食らえだ。

 そういう儂の家も茅葺きではない。かつては茅葺きの古民家だったが、

屋根の老朽化が激しくなった時、屋根の葺き替え費用の見積もりを見て一

家全員が目を剥いた。そこにはとんでもない金額が並んでいた。こうして

我が家も克雪住宅に建て替えられた。我が家を建てたご先祖様が見たら、

儂同様、きっと渋い顔をするだろう。

 

 「せめて儂だけでも昔ながらの土臭い男でいたい・・・」

 そう思っても、世の中その物が昔とは変わってしまい、昔ながらの生活

を営むには多額の費用がかかる場合も多い。昔ながらの男でいるのは、今

という時代の中ではかえって大変なことなのだ。

そんな現実を憂いながら、儂もまた自分で気づかないうちに、時代とと

もに確実に変貌してきているのだろう。

 

儂は毎朝、洗い立ての越中褌を締め、作業着姿で軽トラックに乗り込ん

で畑に向かう。それがせめてもの儂の「今という時代」への抵抗なのだ。











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