吉三郎さんのエッセイ №4                     .




究極のせんずり



究極のせんずりといっても、マッサージ器を使うとか、こんにゃくを使う

とか、布団にこすりつけるとか、そういう“やり方や道具”の話だけでは

ない。それに加えて“脳内イメージ”の話である。

 

今は、子どもであってもDVDを見ながら、視覚からの刺激をネタに逸物

をこすることが多いであろう。しかし、儂がせんずりを覚えた頃は、想像

を逞しくして興奮を高めるしかなかった。何しろ50年以上前の山奥の寒

村での話ある。

エロ本でさえやすやすとは手には入らなかった。そもそもビデオ自体がま

だ存在していない時代なのだ。既にブルーフィルムはあったのかもしれな

いが、当時、動く映像でセンズリをするなど想像だにできないことだった。

よしんばエロ本が手に入ったとしても、それがホモにとって満足のいくズ

リネタになるとは、到底思えない。

 

しかし、男同士のDVDが自由に手に入る時代になっても、儂は想像でせ

んずりをかくのも大好きである。そういう人は意外に多いのかもしれない。

しかし、人それぞれ、せんずりの時に思い浮かべる光景というのは違うで

あろう。理想の男の裸や男性器、あるいは好きな男とセックスしている場

面を思い浮かべて逸物をしごくのは当然だが、シチュエーションが違うと

思うのだ。

 

ベッドで激しく犯されるのをイメージするする人もいるだろう。中には山

奥で青姦する場面を想像するという人もいるかもしれない。儂はといえば、

ずばり「昭和の農村や漁村」が脳内エロ映画の舞台である。

 

時は昭和30年代。茅葺きの古民家が何軒か寄り添うように並んでいる。

その庭先(あるいは海辺)の納屋が舞台である。

納屋の屋内には農機具が散乱し、一部に藁(漁村が舞台なら漁網)が積ま

れている。年輩の筋骨たくましく毛深い男が、儂を藁の上に押し倒し褌を

外しながらのしかかってくる。儂の肛門に男のキトキトに勃起したズル剥

けマラがあてがわれ、強引に押し入ってくる。やがて、儂は貫かれ激しく

犯される。そして男が儂の直腸内に射精する瞬間、儂も絶頂を迎える。

これが、儂がせんずりの際に、しばしば思い描く最高のシチュエーション

である。

 

今でも夏場は倉庫でせんずりをかくことがある。それだけではない。農作

業の途中に畑の脇の雑木林や草むらに入り込み、一気にズボンと越中褌を

ズリ下げ、チンボをこすりあげることさえある。

 せんずりを覚えたての小学生時代は、本当に様々な場所で擦ったものだ。

覚えているだけでも、我が家の倉庫、神社の裏、河原、湯治場の共同浴場、

学校の用具置き場、学校の便所、学校の講堂の地下、友人の家、学校帰り

の雑木林や草むら。

 結局、「外」というシチュエーションに興奮していたわけである。

 

 男同士のDVDには、コスチュームに凝った作品が僅かに散在するだけ

で、場所に特化した作品は滅多に見られない。どこかのホテルの一室でセ

ックスして終わりという作品がほとんどである。確かにセックスシーンは

見たい。でも、それだけでは真の興奮は生まれて来ないのだ。

そういえば、かつて本当に寂れた温泉旅館をロケ地にしたホモビデオ作品

があった。あれは良かった。ただ残念なことに古い作品だけにモザイクも

濃く、何よりBGMが全編に渡ってつけられていて煩わしいことこの上な

い。あれでは、せっかくの興奮も削がれてしまうというものだ。

正直、余計な、しかも情感たっぷりのBGMをつける編集者のセンスが理

解できなかった。ズリネタにそんなものなど誰も求めていないのだ。肛門

性交の最中に情感たっぷりの演歌を聴きたい男が皆無なのと同じことであ

る。当時のホモビデオは、今よりずっと高価で1本1万円近くするのが普

通であった。正直、

「高い金を払っているんだから、余計な演出をする前に、モデルを少しで

もよがらせる努力でもしろ」

と言ってやりたかった。

 

数多くの老け専DVDが発売され、昔よりずっと廉価で手に入れることが

可能になった昨今でも、結局、真の理想の映像は脳内イメージに頼るしか

ない。こうして幼少の頃から鍛えられた脳内イメージは今日も大活躍であ

る。

小生、64歳になったが、今でも毎日のせんずりはかかさない。多い日は

1日に3回以上放出することも珍しいことではない。朝、起きて1発。昼

間の休憩時間に1発、そして夜、布団の中で1発。4月に行われた仲間だ

けの温泉会の時など、一晩で5回も射精した。我ながら変態だと思ってし

まう。

 

閑話休題。

儂にとっての究極のせんずりは「脳内イメージ」と「きゅうり」の組み合

わせによって生まれる・・・などと書いたら、多くの方々から「訳がわか

らない」と切り返されてしまいそうであるが、実際にそうなのだから仕方

ない。

 

夏、儂は畑から、新鮮なきゅうりをもいできて表面のトゲを丁寧に取る。

そしてきゅうりの表面にバターを塗りゆっくりと肛門に突っ込む。ローシ

ョンではなくバターが良いのである。そして、始めはゆっくりと、そして

時には激しく左手できゅうりを出し入れしながら、右手でチンボをしごく

のだ。

そんな時、儂は想像を逞しくして卑猥な場面を次々と脳内に紡ぎ出す。き

ゅうりを使ってのせんずりに想像は不可欠だ。

一方、手だけでしごいて放精する場合はこの限りではない。DVDなどの

映像を見ながら、さっさと精液を迸らせて、はい、おしまいである。

 

 きゅうりを挿入しながら逸物を擦る場合、絶頂が来そうになったらしご

くのを止めて、肛門のきゅうりの出し入れだけを継続する。すると下半身

から足先に向かって痺れるような快感が走り、きゅうりの出し入れに合わ

せて亀頭の先から、少量の精液がタラタラと垂れる。

しかし、それで終わりではない。まだ完全に射精していない訳だから、続

けてしごくことが可能なのだ。だから、タイミングさえ調節し、完全にい

ってしまわないようにすれば、それこそ何回でも射精の快感を繰り返すこ

とができるのだ。そして、充分に満足したら、最後までしごき続けること

で本当の絶頂に達することができる。

あれだけタラタラと精液を垂らし続けても、ちゃんと射精するのだから我

ながら驚くばかりである。

 

 このことに気づいたのは、儂が高校生の頃だった。ホモがセックスの際

に肛門を使うことは中学時代から知ってはいたが、ある日、ついに実践し

てみたくなったのである。ただし、本物の大人のマラでではなく、きゅう

りでというところが初心で我ながらかわいらしい。この方法を覚えてから、

きゅうりの収穫できる夏が待ち遠しくなった。大根でも人参でも牛蒡でも

ダメなのだ。あのきゅうりの太さが一番なのである。

 

きゅうりを使ったせんずりの快感には絶大なものがある。その時のズリネ

タは脳内映画が適切だ。ホモDVDはたくさんあるが、今だかつて5~6

回も連続して絶頂に達するなどという作品に出会ったことはない。つまり、

きゅうりでのセンズリのおかずとしては、DVDは「役不足」という訳だ。

 

今年も梅雨の季節となった。それは究極のせんずりの季節でもある。畑に

行けば、そろそろ初物のきゅうりが収穫できることだろう。











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