越刎さんのエッセイ №22                .




九谷焼について(10)


(最終回)



 九谷焼のことを長々と書いてきましたが、皆様お付き合いいただき有難

うございました。

 このように九谷焼は古九谷以来、他人のものまねをしない。つまり、作

家の数だけ違った個性の九谷焼があるのです。あらたな創造性を失えば、

九谷焼でなくなってしまうのです。

 

 ところで今では本焼に使う登り窯は煙による公害の件もあって殆ど無く

なり、電気窯やガス窯になっています。これで1300℃以上を出します

が、炎のある登り窯に近い点で炎を出すガス窯が好まれています。

 

 最後に最近の作家で日展や伝統工芸展に入選している作家は沢山います

が、私が気になっている方3人について述べます。

 

 平成の吉田屋と言われている河島洋は大聖寺の近くに窯を持っています。

彼は近くの山代温泉に窯のあった吉田屋の色と形、絵に魅かれ、その再現

をライフワークとしました。彼の作品は「創吉田屋」と呼ばれています。

 

 図1 創吉田屋

 

 

 彼はさらに、マンガンに砂鉄をあわせることで艶のある紫がかった黒釉

を編み出し「加賀黒」と名付けました。

 

 図2 加賀黒

 

 

 次に赤絵細描の超絶技巧の福島武山です。絵具は弁柄の赤で、ガラス質

を含まないので細い筆先で細い線をびっしりと描く網手をいろいろの形に

変化させています。線にも種類があって自分で作った筆で使い分けている

そうです。彼は九谷庄三と同じ能美市に窯を持っています。

 

 図3 赤絵細描

 

 

 最後は「今九谷」と名乗っている中村元風です。彼は先のNHKのBS

プレミアムの「美の壺」に出てきました。「ふくら手」と言って上絵の絵

具を盛り上げることで磁器の表面に立体的文様を作りだしました。私のも

っている彼の日本百名山の白山のレプリカです。

 

 図4 絵皿ふくら手・白山

 

 

 彼は理科の先生でしたが、親戚筋の日展作家・中村翆恒の亡くなった時

にその後を継ぐことを決意して中村家に入りました。三代徳田八十吉に師

事して陶芸の道に入りました。最初は色々の生活用品を作っていましたが、

今では伝統工芸展にも出品を取り止め、独自で中国の景徳鎮で個展を開き

ました。景徳鎮は色絵磁器の発祥地です。彼は輸出にも力をいれています。

私のもっている作品は無名の時のものです。

 彼は今は無くなりましたが山代温泉のホテル百万石の社長の依頼で大皿

に深田久弥の日本百名山を描きました。この百名山に含まれていない府県

の山も、そこへ行って写生して作りました。この大皿はホテル百万石に常

時展示され全国より入浴する人をもてなしました。大皿は1枚100万円

前後でした。アナウンサーの草野氏は故郷の桜島の絵皿をテレビに出して

いました。

 彼の作品を少し載せます。なお作家物は器の裏に作家を表す銘が入って

いますので分かります。

 

 図5 図6 小鉢   

  

 

 図7 壺

 

 

 図8マグカップ

 

 

 「天高し前途洋々九谷焼」




                                        (おわり)










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