倉爺さんのエッセイ №2                     .




倉爺の戯言


(2) 色考


                                         29年8月24日

齢(ヨワイ)84才にならんとする現在迄、男色一筋に歩んで来た過去を

振り返り、ありの侭の姿を記してみたい欲望に駆られ、拙筆ですが事実に

何も引かず、何も足さず、熟慮はせず、思いつく侭に筆を進めます。

 

倉爺の独断と偏見でありまして、文章も下手で読むのに苦労かけますが、

どうぞ御容赦願います。

毎々、投稿されている諸先輩の方々に臆面もなく、大それた題目に恥の上

にも恥を掻きます。倉爺の世迷いごとと思し召し、寛大なる心の広さに甘

えてお許しを願います。

 

 

人を愛する行為は、異性か同性かのいずれかで、一般には異性を愛するこ

とで恋愛を成就して家庭を持ち、子を儲けて人生を真っ当するのが社会常

識です。生を受けた者が子孫を残す事が責任であり義務であり、社会に受

けいられる正常な人間です。

同性を愛するとは社会に受け入れられず、異端者で異常な人間であると刻

印を押されます。刻印を押すのは誰なのか?

 

純粋な魂で人を愛するのに、異性か同性かでこれ程までに極端に差別が付

けられるのか。当事者である倉爺は純粋な愛には変わりは無いと信じいま

す。信じていなければ社会の荒波を乗り越えてゆけません。

 

人類が出現して、智恵が発達して社会生活を造り、豊かになるに従い思考

の範囲が広がり、飽和状態が続くと自然に、同性を意識し始めて愛情が芽

生えてもなんら不思議な事では無い。まず最初は男性が集団で生活する、

仏教の僧侶達の生活には欠かせない習慣になり、市井の庶民の生活にも広

がり、江戸時代の庶民の社会生活の完熟期には ”陰間茶屋”が出現して

男性同性愛者に逢引の場所として提供されていました。大店の主人達は屋

形船での同性愛を楽しんでも、社会は当たり前として受け入れてきました。

 

武士道の盛んな、下克上の戦国時代では、大名、武将達は稚児との男色は

当たり前で、かの有名な織田信長と森蘭丸の関係が如実に物語っています。

特に会津藩では ”愛には男女の区別は無い”と説かれ、常識でした。

 

全地球上の大多数の精神的指導者である、2大宗教であるカトリックと仏

教界に於ける男色は周知の如くです。カトリック教会の最高指導者である

枢機卿ですら未成年者との男色が報道されてる昨今です。仏教界でもしか

り、遥か昔の奈良時代に中国から苦難を重ねて日本に来て、仏教徒に真の

あるべき姿の戒律を説き清貧に耐える修行を厳格に行うべきと戒めたにも

関わらず、高僧たちですら修行僧との男色は実行されていました。信仰厚

い宗教家ですら、信仰力で性欲を断ち切ることが出来ないのは、洋の東西

を問わず同じです。

生身の人間は如何なる手段を用いても性欲を断ち切れないのです。神仏の

力にスガッテも・・・

しかるに我々市井の庶民が同性を愛する行為は何故背徳なのか?

高貴で尊敬する宗教家は黙認と言う形で認めながら、小市民である我々は

白眼視され疎まれる(ウトマレル)のか。

 

 

倉爺が考えますのに、同性愛は有史以前から行われていたと推測致します。

今の同性愛者を社会が見る目は、かっての軍国主義の名残ではないかと思

えて成りません。国民皆兵で同性愛者は虚弱で国賊扱いにされた過去が完

璧に払拭されたといえますか。

現在の社会は国際化され同性愛先進国からの情報が流されて、以前に比べ

え認められるようにはなりましたが、まだまだ少人数です。知識も教養も

身に付け、環境も多様化し、自由が尊ばれる社会に於いても同性愛者を白

眼視するのが社会通念です。

 

いかに同性愛が純粋である愛情だと説いても、所詮聞く耳を持ちません。

配偶者が同性愛者だと知った途端に夫婦の絆が断たれて崩壊するのも事実

です。

同性愛者でも社会の一員として、常識 知識 教養が富み、社会人として

立派に責務を果たしています。異性愛者に負けず劣らず社会に貢献してい

ますが、疎まれている事実は厳然として残されています。


                                                  つづく








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