倉爺さんのエッセイ №3                     .




倉爺の戯言


(3) 倉爺個人の思考


                                         29年9月1日

一筆書かせて貰います。齢80才になるコンニチでも社会の一員として、

また家庭の柱として遜色なく、むしも一般人よりも誠実に責務を果たして

居ると自負しています。今では同性愛に対し劣等感は皆無でむしろ誇りに

さえ思っています。男色に対しての意識は同好の士よりも強く、行動も積

極的です。又、多数の人々から好意を持たれ可愛がられているのも事実で

す。同好の人達の集まる処にも通い交遊を深めています。

 

このような人達の何処がいけなくて社会は白眼視するのか解りませんが、

趣味の違う人をあたかも異教徒の如く敵対視するのも当然で、僅かな人達

の同性愛者は太刀打ち出来ないのも理の当然です。愛に対する思考が根本

的に違い、正常と異常の差が妥協を許さないコンニチでは致し方ないでし

ょう。家内に対しても同性愛者であることを、徹頭徹尾隠しとうしている

現状が如実に示しています。  

 

しかし卑屈にも卑下にも落ちず自他共に健全な社会人であることに変わり

はありません。交際範囲の広さ、愛情の深さ、性欲の充実度、等々、いず

れも異性愛者と遜色なく、むしろ同性愛者の方が勝っています。

 

嫉妬、独占欲等は愛情が深まれば強くなるのは、異性、同性に関係なく心

に宿しています。

 

美しい女性を見れば綺麗だなあぁと好ましく思いますが、性欲は沸きませ

ん。一方、好みの男性の年配者を見れば、添え寝をして抱き締められて性

行為をしたいと痛烈に思い、体が熱くなり股間の性器が騒ぐのも、異性愛

者が好みの美人を見れば心穏やかでないのと同等な心理現象でしょう。

 

愛情の対象が異性か同性かのたった一つの違いが、その人の生涯を左右す

る重大な問題です。

 

結局どちらが幸福であるのか等論じても時間の無駄使いだけで、永遠の謎

としてソット残して置きます。

 

  

倉爺は外聞や損得で騒がず、同性を愛することが生涯変わらず、大事に育

てて慈しみ(イツクシミ)を持って真っ当に大手を振って正面を真直ぐ見

て歩いてゆきます。

 

最後に倉爺の現在の志向方法は、性別を問わず、生きるべき信念の赴く侭

に、家族の安泰を念じて、信念と名誉と実績と経験を尊重して人間として、

有るべき姿で短い人生を終わりたい! 俺の人生は幸せだった! と・・・

 

拙筆で誠に申し訳ありません。60の手習いではありませんが諸先輩の方

々のご指摘があれば、80の手習いで逐次改めます。

どうぞ宜しくお願いいたします。


                                                  つづく








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