ポエムさんのエッセイ №12                   .




芸映画を観て        .

(11)モーリ先生との火曜日  .



    .


アメリカ映画モーリ先生との火曜日

 

主演ジャツクレモン ハンクアザリ

 

アルボム Hアザリは、子供のころからピアニストに憧れておりました。

しかし、理想通りに行かず挫折感を味わっておりました。やがて彼は、青

年になり、デトロイトフリープレスの新聞社に、就職を致しました。そし

て、スポーツコラムニストとして、活躍しており多忙な毎日を過ごしてお

りました。その様なある日、新聞のシリーズ連載部門にナイトラインと云

う項目がありました。

 

そこには、モーリ先生 Jレモンの事が取り上げられておりました。彼は、

モーリ先生の教え子でありました。彼とモーリ先生とは,16年と云う歳

月が流れており、懐かしさで、一杯でした。勇気を持って、彼は、モーリ

先生に電話を致しました。モーリ先生は、彼をはっきりと覚えていました。

彼は、感激のあまり職務を放棄してまで、モーリ先生に逢いに行く決心を

致しました。

 

ミシガン州からマサセッ州まで、逢いに行く衝動に駆られておりました。

モーリ先生は、マサセッ州のとある、病院に入院をされておりました。モ

ーリ先生の病名は、筋萎縮性側索硬化症(ASL)と云う難病でした。彼

は、献身的にモーリ先生の看病を致し始めました。一方、彼が突然行くえ

不明になり、新聞社、では大騒ぎになりました。要約、彼と新聞社との間

で、連絡がとれました。彼は、今しばらくは、黙秘をしてくれと上司に頼

みましたが受け入れて貰えてくれませんでした。

 

彼の考えで、毎週火曜日だけ、モーリ先生の看病(ボランテイア活動)を

容認擦る様に上司に頼み込みました。そして、彼は、本格的に看病を擦る

事になりました。食糧を買い込みに行ったり、色々な、世間の事柄につい

て会話をしたりと、看病は、尽きる事がありませんでした。そしてモーリ

先生と彼の間に今までにない、同志に近い感情が生まれ始めました。私が

思う男色関係の様な状態でした。

 

モーリ先生は、「互いに愛さなければ滅びる」と云う格云を彼に伝えまし

た。そして、モーリ先生から、愛 価値観 寛容等を彼は、学びました。

モーリ先生は、本当に寛容で垢抜けのした性格の持主でした。やがて、モ

ーリ先生は、病気が悪化して、彼の見守る中、息を 引き取ました。彼は、

モーリ先生との看病、会話等を回想録として新聞社を通じて発表致しまし

たそれが、反響となりベストセラーに発展いたしました。

 

心が温まる、本当に素敵な映画でした。私も学生時代に先生に可愛がられ

た記憶がございます。男色関係までは、発展致しませんでしたが、その先

生に想いを寄せていた時がありました。今は他界されており、友達を通し

てお悔やみの電報を入れました。私共とモーリ先生の内容は相違しますが、

何故か重複して仕方がありません。










トップ アイコン目次へもどる      「エッセイ一覧」へもどる
inserted by FC2 system