たけ爺さんのエッセイ 3               .



昭和44年の大阪にて 3




大阪で男初体験した私も、いつしか東京にも遊びに行くようになりまし

た。

勿論、貧乏学生ですので、新幹線を利用したり、滞在費を捻出するのは、

なかなか難しいことでした。

 

万博時に大阪で知り合った叔父さんは、仕事で時々大阪に来ていたので、

交通費も出してくれて、泊まるのも叔父さんのマンション。

夕方まで、分からない地理を、一人でぶらぶらし、叔父さんが帰って来

ると、二人で新宿に出て食事、その後は新宿2丁目にと足を伸ばして、

何軒か梯子して帰るのが、東京滞在中の行動でした。

 

当時の2丁目、白い部屋、赤とんぼ、タジオ、ポパイなどの若い人が集

まる店に行くので、周りは若い人ばかりで、叔父さんに寄り添うだけで、

楽しいとは感じなかったですよ。

 

後に、卒業して東京に就職してから、大久保に暮らすようになってから

の2丁目は、全く違う店に行くようになりました。

30代〜50代が集まる、龍、綺人館、ドラマ、メロドラマなどに出入りし

たけど、自然に上野、浅草に流れて行くようになり、新宿2丁目から、

遠ざかるようになりました。

 

大阪では、宝塚歌劇団が、ベルサイユの薔薇を初演して、チケットが手

に入らない現象が起こりました。

昭和48年まで大阪で暮らして、

東京に就職するまで、本当によく遊びました。

 

梅田コマ劇場があったけど、コマシルバーというハッテン映画館と、ミ

ナミの
APという映画館は、週末は必ずというくらい、どちらかに行く

のが当たり前になっていたけど、精力的で、ヤリタイ盛りの
10代から、

20
代前半です。

 

一人の男と長く付き合うことなど考えられないくらい、行きずりの快楽

に身を委ねていた、今思うと恥ずかしくなるほど、若さが有り余ってい

た、刺激が欲しい時代でした。

 

                           終わり







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