哲郎さんのエッセイ 2                     .




山桜の頃



 



私の住む南九州に山桜が咲き始めました。

里山の緑樹の中に赤い葉とともに白い花が咲いています。

私には昔日ノートに書き留めた山桜の思い出があります。

非常に拙い文章ですがそれを添削して投稿することにしました。

以下がそれです。

 

その日、山桜の白い花びらが風に舞っていた。

高校2年の時であった。

バスで九州本島最南端北緯31度にある佐多岬に従姉と出かけた。

当時はまだマイカーも少なく普及していなかった。

従姉も私もバスが好きであった。

冒険心もあってバスで見知らぬ町へ出かけたのだ。

途中バスは峠を目指して九十九折の坂道を登った。

バスが停まった。小さな停留所でバスは停まった。

山腹の斜面に家々が点在しているところであった。

14、5人位の村の人々がバス停に集まっていた。

その中心にセーラー服を着た少女があった。

ハンカチで涙を拭いている。

村人たちが代わる代わる少女に声を掛けていた。

そう、その光景は就職で村を出てゆく少女を見送っている光景であった。

少女がバスに乗ると村人たちは窓越しに紙テープを少女に渡した。

バスの運転手はしばし発車を待った。

村人から励ましの声が聞こえた。

一段落するとバスは発車した。

バスの左右には白い山桜の花が風にひらひら舞っていた。

村人の頭上にも。

その光景を見ていて胸が熱くなるの覚えた。

この小さな集落にこんな別れがある。

たくさんの村人が見送ってくれる。

村人たちが自分の子供のように別れを惜しんでくれている。

その光景を見ていて言葉が出なかった。

ただ見ていた。

別れは寂しい。

少女も寂しそうだった。

これが運命だろうか。

ひとり立ちする別れ。それは誰もが経験する運命。

自分もいずれはひとり立ちする別れが必ず来る。

自問していた。寂しかった。

山桜が舞い散っている光景は一段と私の胸に寂しく残った。

 

以上は私が昔日ノートに書き留めていたものである。

 

今はこういう光景は見かけない。

私は山桜が好きだ。葉が先に萌え出てその後に花が咲く。

葉の赤の中に白い花がある。

葉も花も対照的で美しい。

花びらが舞い散る様は諸行無常。

 

歌人若山牧水の短歌に山桜の短歌があった。

 

うすべにに 葉はいちはやく 萌え出でて 咲かむとすなり 山桜花

 

私は山桜が咲くとこの短歌を思い出す。

そして45、6年位前のあの別れの光景を。

今年も別れの季節が来た。

 

ところで、別れについて越褌さんが書いておられた。

「色々な別れがある。どんな別れでも自分の立ち位置を忘れてはならない

と。どんな場合でも冷静に自分を見失ってはならないと。」

心打たれる言葉である。

難しいことである。難しいことであるがそうありたいと思う。

別れの季節である。










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