忘れ得ぬ人


                                             夢追い さん





古山さんその4



私は古山さんの写真をA四にプリントし、自分の詩集と併せて古山さんに

差し上げた。古山さんと次に会ったのは、十二月に入ってからの温かい日

だった。その日私は家からそこまで初めて車を運転して行った。合流する

地点は棚田の上の駐車場に決めていた。朝早く家を出て、途中のコンビニ

でお昼の食事を用意する。その日はサンドイッチにした。小さな魔法瓶に

熱いコーヒーを用意していた。バナナ、ヨーグルトも二人分持って来てい

た。一時間程で県境を越え、古山さんの県に入る。朝という事もあってか

道は空いていて、スムーズに目指す町に入った。何かあったら携帯に電話

を頂ける事になっていたが、何も連絡がないのは古山さんも現地に向かっ

ている事と安心して、しかし慎重に運転して行く。今度も古山さんのお好

きな日本酒を用意していた。今回は車で行く事でもあり、一升瓶を持って

きたのだった。棚田の下まで辿り着くと、冬枯れの近い田圃で草を燃やし

ている様子が眼に入った。私は。道の脇に車を停め、カメラを出して風景

を切り取った。遠くに見える上の駐車場にはまだ古山さんの車は見えなか

った。

くねくねの上り坂を進んで行って、駐車場に向かう細い道に入る。途中左

側に深く落ち込んでいる所があるので、慎重に車を進めて行く。古山さん

はこうした場所でもスピードを落とさずに通過して行のだった。前回古山

さんの軽トラックの助手席で固まっていた自分を思い出し苦笑いをする。

駐車場には私の方が先に着いた。車を降りてトイレに入る。用を足してい

ると車の音が聞こえて来た。手を洗い外に出ると、丁度古山さんが駐車場

に入って来た所だった。

「お早うございます。良いお天気になって良かったですね」

「お早うさん。遠い所ご苦労さんですな。何時に家を出られた?」

「六時半です。ゆっくり来ましたので、この時間になってしまいました」

私は写真のファイルと自分の詩集、それに一升瓶を差し出した。古山さん

が恐縮して何度も頭を下げた。古山さんは自宅で作ったものだという漬物

を一杯私の前に差し出した。まるで物々交換のような光景だった。

古山さんは一升瓶を荷台のシートに包んで見えないようにしてから、写真

のファイルと詩集をパラパラと捲っていたが、助手席にそっと載せて私に

向かって言う。

「吉野さん、あんたという人は・・・・」まるで抱きつかんばかりに傍に

来て手を握った。私は一瞬身を預けそうになった自分を必死で押しとどめ

た。

「古山さん、俳句のノートお見せ下さい」

「いやあ、恥かしいからなあ」そう言いながら助手席に置いてあったノー

トを私に渡してくれる。表紙には『句』とだけ丁寧に書かれていた。古山

さんの几帳面さが伝わってくるようなノートだった。ページを捲る。縦書

きにして十句が書かれている。上に書かれた日付は句を作られた日だろう

と想像出来た。句の下に○や◎がつけてあるのは、句会で選ばれた印だろ

うと思った。

二、三ページ繰ってノートを閉じた。

「素晴らしい句集ですね。お借り出来ればパソコンで編集して来ますよ。

如何ですか?」

「いやあ、恥かしいもの、止めとくよ。折角そう仰ってくれるのは嬉しい

だけど、それじゃわしの句じゃなくなるような気がするもんだで。悪いね」

「そうですか。そう仰るなら仕方ありません。諦めましょう」

私は、古山さんが抜け駆けするように自分だけの句集をまとめるのは、一

緒に句会に参加しているみんなに申し訳ないと思っているからだと納得し

た。私は自分が恥ずかしくなった。古山さんの崇高な意思がとても大きく

思えた。

私は再びノートを開いて数句を読んだ。最も新しい句のページを捲ると、

先日の同行で詠んだ句があって私はほっとしてノートを閉じ、古山さんに

返した。

「有難うございました。素晴らしいものを見せて頂きました。古山さんの

大きさがようく分かりました」古山さんは照れたような顔になってノート

を受け取った。

「今日はさ、わしの軽トラで、反対側まで行って向こうから登ってみよう

かいな。少し登りはきついが紅葉が綺麗だと思うで。帰りにまたここまで

戻るだで、吉野さん、あんたの車はここに置いて行こうか」

「紅葉、まだ残ってますか。分かりました。お願いします」私は再び古山

さんの車の助手席に座れる喜びを噛みしめていた。自分の車をロックして、

ザックを軽トラの荷台に載せ、助手席に乗り込んだ。古山さんは直ぐに軽

トラを発車させた。大きい道に出て左に向かう。私には初めての道だった。

ジグザグに登って行く道は険しかった。

「もうじきわしの家の前を通りますだ。凄い山の中でびっくりでしょう」

「いいえ、私の生まれた所も山の中ですから、びっくりしませんよ。この

辺りは冬は雪も積もりますか」

「何回かは積もるな。でも、雪よりも道が凍るから運転は怖いよ。冬はわ

しもあまり出掛けんようにしとるで。ほれ、あの赤い屋根がわしの家です

よ」

少し平らになった所で古山さんが右側の道端の家を指差した。

「立派なお宅ですね。随分広いですね。今は奥さんとお二人だけでお住ま

いなんですよね」眼で古山さんの家を追いながら私は聞いた。

「田舎の家だで、広いだけじゃ。冬は寒くて嫌になるわい」

道はそこから左に折れてトンネルに繋がっていた。トンネルを出た所で古

山さんはすぐ右側の空き地に車を停めた。初めて古山さんに出会った日に

山を降りた地点だった。

「ここ、覚えてますよ。ついこの間歩いたような気がするな」

「よう歩きなさったなあ。あの日はバスに間に合わんかと心配したが」

「随分急ぎました。ここからバス停までがきつかったですね」

「山歩きの人は平地が苦手なものだでね。よう頑張られた」

「それほど褒められる脚ではありませんけどね」と私が笑うと、古山さん

も釣られたように笑顔になった。

登って行って、山道の十字路で、別のルートから登って来たグループに出

会った。男女五人のパーティだった。古山さんはまるで旧知の連中に会っ

たようにお話されていたが、後で伺ったら初めての方々だったという。古

山さんの思いやり、人懐っこさのなせる技だった。

先を急ぐというパーティが出発してから、十分休憩を取って出掛ける。登

りは更に急になって来る。紅葉もまだ残っていて、風に任せて旅立ってい

く葉が谷に落ちて行く様子がとても美しいものに思えた。古山さんの健脚

は、多少脚に自信を持っていた私にもまるでスーパーマンのようだった。

もうすぐ八十歳になるという方の歩き方ではなかった。圧巻は崖のような

道を下る時だった。まるで猿(ましら)の如くと言うのも言い過ぎではな

いだろうと思われえる程で、鎖やガイドの綱を全く無視して駆け下りて行

かれた。私はといえば、屁っ放り腰で鎖にすがり、綱を握って滑らないよ

うにソロソロと降りたのだった。

「恐れ入りました」と下で待っていた古山さんに頭を掻くと、古山さんは

さらりと言って退けた。

「何時も通っている道だでね。そこの日溜まりでお昼にしようかの」

私は下から崖のような道を写して古山さんの後に従った。

私達は何時ものように仲良く並んで食事する。時折赤い葉が舞った。

食後、コーヒーを紙コップに注いで古山さんにお出しする。古山さんのた

めにと砂糖とミルクも用意していたが、要らないとブラックで飲まれた。

コーヒーにはあまり馴染みがないと勝手に判断していた私の思いを見事に

裏切る結果だったので、私は内心少なからず驚いた。

後片付けをして、緩やかな下りを軽トラまで戻る。私は後姿を何枚かカメ

ラに納めた。

棚田の上の駐車場に戻ったのは午後二時前だった。

新年になったら又出掛けて来る事を約束して握手をして別れた。駐車場か

ら左右に分かれる道まで古山さんの軽トラの後をついて行って、別れ際に

弱くクラクションを鳴らして左に折れる古山さんを見送って右に折れた。

家に着くまでの二時間半の運転を、私は負担に感じていたので、何度か道

の駅やらコンビニやらで休憩して帰った。

 

こうした山歩きの機会を私は翌年五度程作った。春の山菜、カタクリの花

の頃、初夏の若葉の頃の棚田の緑、秋の取り入れ時期、紅葉の頃、その度

に古山さんは私の計画に合わせて一緒に歩き廻って下さった。



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