ひとひらの


                                         あまね さん 

(1)理容師


この冬は神戸にも雪が舞い降りることが何回かあった。

大きなデパート、女性向けショッピングモールが立ち並ぶ駅近くの交差点

で信号待ちをしていると、海側からの溢れる光を感じる。

風が冷たいとはいえ、光だけを見ているともう春と言ってもおかしくない。

次から次に押し寄せ行きかう車だけを見ると世の中活発に動いているとは

思うが、そんな思いも順番待ちをしているタクシーの多さを見てかき消さ

れる。

 

寒い時に朝から散髪すると風邪を引きそうだし、すっきりしたいし、散髪

に行こうかどうか迷っていた。そんなに伸びている訳ではなかったが、や

はり行くことにした。

 

どの散髪屋に行こうか。ただのカットだけの所か、値段が倍以上はするが

洗髪もしてくれるところにしようかと迷ってくる。最近は行き付けの所は

ない。

何人かいる理容師がただ機械的にカットするだけの所が流行っているが、

今回はこれまでに何回か行ったことのある洗髪もしてくれるが正規料金よ

りも安い所に行くことにした。

 

三ノ宮駅北側にある散髪屋を道路を挟んで見ると、いつものように客が二

三人で理容師が五人いて、お客さんの相手をしていない理容師は新聞を広

げていた。

たぶん前と同じの人だろう、それでも仕方がないと思ってドアを開けて入

った。

 

暖かい店内に入ると、「いらっしゃいませ」とみんなが声をかけてくる。

「こちらへどうぞ」と言ってくれたのは、前から密かに「いい人だなぁ」

と思っていただけでこれまで一度もやってもらったことがない理容師さん

だった。

「本当にこの人がやってくれるの」と心の中で呟き、前からいい人と思い

続けていたことを悟られないようにと上着、鞄、帽子をその人に渡す。

 

半そでのユニフォームからの腕の白さが目に付く。

丁寧に椅子に案内してくれる仕草も男らしく上品だ。

「今日はよく冷えますね」と声をかけられる。

こんないい人が声をかけてくれるなんてと思う気持ちが強く、それには応

えられなかった。

「今日は軽く揃える程度で、前髪が長すぎるので眉毛の上でカットして下

さい」と言うのがやっと。

早速手際よく髪を切ってくれる。後ろ髪を切る鋏の音が心地よい。目を閉

じて平静さを保っているが、何か可笑しな仕草をしていないかどうかと自

信がなくなる。

 

カットを終えて、顔を剃ってくれる。

「眉毛の下は」

「いいえ」

口周りの髭も丁寧に剃ってくれる。

唇をつまんで剃ってくれた時には、他のどんな理容師もそうなのに、この

感じのいい人が素手で僕の唇を摘まんでいてくれていること、目を開ける

わけにはいかないが、あの細い白い指が僕の唇を摘まんでいることを思う

と僕の下の方が少し反応しかけた。

 

次は洗髪だ。

「かゆい所は」

「いいえ」

何度もあの優しい手で洗ってくれる。顔も洗ってくれる。

椅子に座り直す時に、「トニックなど何もつけなくて結構ですから」と言

う。

肩に手を当て軽くマッサージもしながら尋ねてくれる。

「肩は懲りますか」

「ええ、どうしてもパソコンをしている時には」

ちょっぴり嫌味に聞こえたのか、それ以上の言葉のキャッチボールが出来

ない。

 

髪の毛も丁寧に乾かしてくれるが、その時細い手で持ったドライヤーは重

たそうにも感じられた。

「どうせ帽子を被るので、乾かすだけで結構ですよ」と言おうと思ったが、

余計なことを言ってその人のペースを乱さないようにとの気持ちもあり気

軽に言葉が出てこなかった。

 

「どうもお疲れさん」

「どうも、どうも」

正面に立ちブラシもかけてくれる。

白い手だけが目に入るが、まともに顔を見れない。

平然とお金を払って店を出たつもりだが、出る直前のその人のほんの少し

の視線が嬉しかった。

 

店を出ると青空から白いものが舞い降りてきた。

「次回もあの人だったらいいのに」と雪に願うしかなかった。



                                            


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