魔 王




                                    栗花落(つゆり) さん 



第一部 第五話



 今日は隔週開く「アツユキ劇場」の第四場。それにしても犬は不思議な

生き物だ。能天気な伝助は何があろうとヘラヘラしているばかりだが、長

助は淳之が来訪する頻度と曜日がわかるらしく、朝から垣根に伸び上がり

人の往来を眺めたりして落ち着かない。おれは揃いの和服を用意する。こ

れがなければ「気分が出ない」のだそうだ。そのあとどうすればいい?と

訊くと、子ども扱いしてほしい、ということだった。なるほど、和服に着

替えたとたん顔にしまりがなくなり、退行現象の始まっているのがわかる。

 

おれは長椅子の真ん中に座を占め、淳之を横にはべらせる。今日はお医者

さんごっこだ。下品な言葉を弄して大いにいびってやれ。

「コンニチハ」

「おやおや、愛らしい小坊主さんだ、ひょっとして豆狸(まめだ)が化け

たのかな?えっ、本物の人間だって?なるほど獣の匂いはしないな、だけ

どなんだか小便臭い。もうおむつは取れましたか?本当かな?後でパンツ

を脱いで調べましょうね。ところでお名前は?」

「オオトモ・・・」

「オオトモ?そんなはずはない、あなたはコドモです。生意気言っちゃあ

いけない。で、下のお名前は?」

「アツユキ・・・」

「違う、下、お下(しも)の名前です。ほらここで隠れん坊してる人(ボ

ールペンの尻で前の膨らみをちょいと押す)。伸びて、縮んで、また伸び

て、ひねもすぶらりぶらりかな。その方にお尋ねしましょう、ある朝目を

覚ました三葉さんが、パンティを破らんばかりに暴れている瀧くんの分身

に尋ねました、君の名は?」

「・・・チンチ」

「はい、あなたのお名前はコドモ・チンチさん。もう剝けました?」

ぽっと顔を赤らめ、うつむいてもじもじしている。

「さては、まだ剝けていないな。ノーですか?イエスですね、そいつはよ

くありませんぞ、イエスさま。包皮の裏には匂いがこもる。玉吉だって袋

の襞に垢が溜まるから、金もちんも、きんちんと洗わなきゃ。どれどれ、

先生が香りのチェックをしてみましょう」団扇でまたぐらを扇いで、わざ

と鼻息を荒げて風の匂いを嗅ぐ。「あー、くちゃい、さすがは神の子イエ

スさま、厩の匂いがぷんぷんする。うんちさんと、ちっちさんと、プーさ

んからできた妙なる香りのブレンドだ。こんな匂いを嗅いだら、あなたの

お父さまだってびっくり仰天、雲間から足を踏み外して転がり落ちて来な

さる。(淳之の頭におれの頭をくっつけ、顔を覗き込む)おやおや、どう

したの、もじもじしながらお股を両手で隠したりして。お目々がうるんで

ますよ」

 もうひと押しで涙ぐむところまでもってきた。これで準備は完了。おれ

は、
56キロの神の子イエスさまを膝にのせる。背中をゆるゆる撫でてやる

と、深い呼吸をはじめ、ほんの一・二分眠りに陥る。やがてキュッという

ような奇妙な音がする。昔、魚の行商人が客の目の前で生きたドジョウを

さばくとき、頭に千枚通しのようなものを突き立てると、ドジョウがこん

な音を立てたものだ。頭の中の蝶番が回転する音なのかしら。そして次の

瞬間、淳之は完全に幼な子に戻っている。おれは当初、「子供返り」はあ

る種の精神病質が演じたがる擬態ではないかという嫌疑を払拭できなかっ

た。だが幼時に戻った淳之の様子を見て、疑念はたちどころに消散した。

すべての幼児と同じようにこの子も専制君主だ、貪欲に自分の欲望や好奇

心を満たそうとするだけで、小さな視界の外にあるものには全く関心を示

さない。

 

 さあこれからが、おれにとっても楽しい一時間だ。大事にしまっておい

たトランクから、敦行の使っていたおもちゃを総動員する。ブリキの太鼓

や喇叭、兎や狸のぬいぐるみ、ゴムのピストルや刀、塗り絵、駒、めんこ

におはじき、淳之が興味を示しさえすれば、それ使って一緒に遊ぶ。おも

ちゃに飽きたら、シャボン玉を飛ばし、ピアノを弾いて歌を教える。ぴょ

んぴょんとび跳ねたりこそしないものの、淳之はわれを忘れて遊びに夢中

になっている。色白で童顔の淳之が和服を着ると御所人形を想わせる。童

子に戻ったその所作に醜怪さを感じる者はいないだろうが、おれにはその

体の内側に三分の一ほどの大きさの敦行の姿が透けて見えるような気がし

て嬉しい。「パパはもう放さないぞ、アツユキ、コナユキ、ツブユキ、ザ

ラメユキ!」などと節をつけながら強く抱きしめると、やっぱり男の子だ、

イタタ!と叫んで、おれの手をぴしゃっと叩く。力は大人だからかなり痛

い。なんだか急に静かになったなと思うと、遊び呆けて草臥れたのかソフ

ァーにもたれておねんねだ。こんな風に遊び戯れながら鬱病が治るという

のだから、こんなに結構な話はない。

 

目が覚めると淳之はもうすっかり大人に戻っており、シャワーを浴びてか

ら、ロシア紅茶に浸したビスケットかウエハースを二つ三つつまんで、澄

ました顔をして帰っていく。車が出ると、今はすっかり淳之になついた長

助が悲しげに遠吠えをする。アトリエもしんとして、火が消えたみたいだ。

おれも寂しい、一緒に鳴きたいよ。



                                                  続 く 









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