チビ爺さんの体験談 №1                  .




父親を捜す ①  .



 私は昭和12年9月に生まれた。その時父親はもうこの世にいなかった。

私の生まれるふた月前の7月に脳溢血で急逝していた。だから、父親も

私の顔を見ていない。小さい頃、他人に「お父ちゃんは何処にいる?」と

聞かれると、仏壇を指さして「あそこにいる」と答えていたらしい。

私には姉が二人いた。上の姉はまだ10歳だった。後はお涙頂戴の

苦労話になるからしない。勿論、生まれたばかりの私に記憶はないが・・

 

 貧乏のどん底にいたが、母は私を溺愛した。当然、マザコンで成長する。

子供の頃は、自分に父親がいないことには何も感じていなかった。

父親を感じるようになったのは、思春期に入ってからである。友達のこと

就職のこと、将来のこと、そして当然「性」のこと。「母」には何も相談

出来なくなってきた。マザコンの私には、良き先輩や友達がいなかった。

親父がいたらなぁと思うことが多くなってきたことに気付いた。そして

既にこの世にはいない父親と話すことが多くなった。この時から独り言が

多くなったと思う。いつも、見えない父親と話し合って、自分の行動を

決めていた。

 

 中学を卒業して、15歳で地元の大きな電機メーカーへ就職した。当時は

中卒で就職する者が多かったのである。定時制だが高校へも入った。

15歳でもサラリーマンだ。立派な社会人である。少々だが酒も飲んだし、

煙草も吸いだす。。困ったのは性の処理。初心者の頼りは赤線だったが

高校卒業前に廃止になってしまって、私は女の子にもてないから困った。

引き続き、しこしことマラを摺り続けることになったのは仕方がなかった。

 

 相談相手の父親と相談するにも限度がある。その父親は、私以上では有り

得ない。仮の父親像を映画に求めた。私の父親は日本人でなければならぬ。

当時、映画ファンを二分していた「西部劇派」と「チャンバラ映画派」

だったから当然チャンバラ映画派になった。当時、小さな町も映画館の

2館や3館はあった。日曜日は必ず映画を見に行く。時代劇映画である。

いつの間にか、自分の親父をイメージしていて、それが主役でなくて脇役で

あった。私の父親はまったく記憶がないから、親父に似た人ではない。

何となく自分の親父だったらいいなぁと思える俳優である。どんな役柄でも

好きな俳優である。主人公に切られてしまう役柄の場合も少なくない。

 

 皆さんの知らない俳優もいるかも知れない。思い出す俳優さんを列記して見る。

[月形龍之介・進藤英太郎・三島雅夫・見明凡太朗・織田政雄・ 小川虎之助

・東野英冶郎・松本染升・柳永二郎・・・] 多くは他界していますね。

私は月形龍之介が好きだった。ファンレターを出したくらいだった。  










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