想い出の新世界


                                         花栗 さん


その4


「いらっしゃいませー!あら、クーさん」

40歳前後だろうか。短髪の、やや太目のがっしりとしたマスターであった。

「兄ちゃん、初めて?」

そう尋ねるマスターに、〇上さんが、出されたオシボリで手を拭きながら説明した。

「今、マルサンに行ってたんや。この子と。」

「ああ、そう。」

と、今日初めて知り合った雰囲気を感じたのか、それ以上は尋ねなかった。


L字型のカウンターに、3人、先客がいた。

そのうちの2人は顔馴染で、店の常連さんのようだった。

白髪の標準体の眼鏡の70代と思われる方と、後で聞いたのだけど、女性の洋服を

扱ってる中本さん。

一見、50過ぎに見えるけど、これも後から聞いたら、「何言うてんの。中本さんは若う

見えるけど、あれでもう70近いんやで」と云うのには驚いた。

髪は黒々と、顔立ちもなかなかの男前であった。

30代くらいが好きという、〇上さんの話であった。

「行ったらあかんで」と、後に釘を刺されたが、僕の好みではなかった。


カラオケが好きらしく、この夜も数曲、〇上さんと代わる代わる歌っていた。

「無法松の一生」の「度胸千両入り」を実に上手に歌った。

あと、「夢追い酒」を歌ったが、途中2番を〇上さんに替わった。

歌い終えて中本さんが、〇上さんが付き合ってた大阪の子のことを何か話していた。

それをマスターが耳ざとく聴いて、「○クちゃん元気にしてる?」と訊いたが、○上さん

は返事ともため息ともつかないような短い言葉を返した。

そして酔うほどに思い出してくるのか、マルサンでも歌った「ふたり酒」と「大阪しぐれ」

をまた歌った。


白髪のおじいさんはカラオケは歌わないようで、ニコニコと聴いてるだけであった。

相手の子を待ってるふうであった。

もう一人のお客は、色白の太目で、髪はもう薄い60代半ばくらいだったろうか。

こちらも待ち合わせをしているようであった。

マスターはよく知ってるのだろう。「もうすぐ来るわ」と時計を見て、そう教えた。


お客も増えて、カウンターも8、9人ほどでほぼいっぱいになった頃、マスターの相手

のお父さんがやって来た。

戸を開けながら「いらっしゃい。」と言いつつ、奥の客に立ってもらい、そこから中へ入

った。

マスターと揃いのベストを着ていた。一瞬、微妙に妬いたかも知れない。

そんな、タイプであった。

60代の、やや太目。頭は禿げてはいなかったが、もうだいぶ薄かった。

声が良かった。少し濁声というのか、ハスキーというのか。歌を歌うと、実に味があっ

た。

ぴんからの「ひとり酒」や「女の旅路」は、このお父さんの歌で初めて知って、後に覚

えた。

また、料理が上手で、付だしが他所と一味違う物をよく出していた。

「料理人」だと○上さんから後に聞いた。

余談だが、この世界、案外と料理人が多い気がするけど。いかがなもんだろう。


この夜、マルサンで1曲。ここでも1曲「兄ちゃん、何か聴かせてよ」とマスターに言わ

れて歌った。

が、この頃はフォークソングばかり聴いていたから、とっさに何を選曲しようかと迷った。

そのときに思い出したのが、16、7の頃に買った藤圭子のアルバムの中の歌であっ

た。

ナツメロばかり歌ったアルバムで、今から思うと、その頃から無意識にナツメロに惹か

れていたのかも知れない。

その中の「好きだった」を歌ったように思い出す。

当然、カラオケは初めてだったので、出だしにつまづいた。

が、〇上さんもマスターもすぐに助け舟を出してくれて、冷や汗かきながらも何とか歌

えた。

後から、付き合うようになってから言われた言葉が「古臭い歌を歌うんやねえ~」


また客が来て、空いた椅子がなくなると、先に来ていた中本さんが気を利かして「お

あいそ」をした。

そこへ、ずっとソワソワと待っていた、ぽっちゃり60代の隣に、40代くらいのガッシリ

とした相手が、仕事を終えてやって来た。デパートに勤めてるらしかった。

座って二人、グラスを合わせて一杯飲むと、もう相手のお父さんが気が先ほどよりも

落ち着かなくなった様子で、せかせかと急いで飲み干すと、相手を急かせて「おあい

そ」を済ませた。


「ありがとうございました。」と、二人の後ろ姿が、ガラス戸から遠ざかりかけるや否や

「あの二人、これから蹴上のホテルに行くのよ」と正面にいた常連らしき年配にウキウ

キと教えた。

両手で腰を、クイクイと抱く仕草を見せて。

「ガハハハハハ」

○上さんが豪快に笑った。


お客がまたやって来た。それで、僕たちもその後すぐに○上さんが「おあいそ」を済ま

せて店を後にした。

別れ際に、僕に名刺をくれて「電話してよ」と手を握られた。

そして、僕の下宿先の電話番号をメモして、ポケットに仕舞った。


僕はその晩、酔ってたのになかなか寝付けなかった。

捲った布団を股に挟んでは寝返りをうち、一人で興奮していた。

○上さんのこと。マスターの相手のお父さんのこと。蹴上のホテルに行った二人のこ

と。

カラオケを初めて歌ったこと。

いろんな醒めやらぬ興奮で、部屋の電気を消した真っ暗闇の中に、赤や青やら色とり

どりのネオンがまだこうこうと輝いていた。妖しい美しさで。

そのネオンの中に、乱れに乱れる、欲望をむさぼる姿を想像して。


それから次の日曜日に、僕は初めて新世界の街を知ることになる。

○上さんに誘われて…。




                                                  続 く 



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