想い出の新世界


                                         花栗 さん


その5


 月曜日からまた仕事で落ち着きを取り戻してくると、スナックの出来事も〇上さんの

ことも、少しずつ遠のくような、夢の出来事だったような、そんなふうな気になり始めた。

それは、○上さんが、正直なところ特にタイプというのではなかったから、その場で終

わった気になりつつあった。僕はその頃は、太目が理想だったから。

電話をしてみたいと思う気持ちが全く無かったわけではないが、どうしようかと思うま

ま仕事で日が過ぎていた。日がそうして過ぎるほどに遠のいて行く気持ちだった。

すると、日曜日の朝に、下宿の大家さんの「電話ですよ」の声に、出てみると、〇上さ

んからであった。

「どうしてるのよ、遊びにおいでよ。」と云う内容だったが、その言葉の雰囲気は「なぜ

電話をして来ないんだ、待ってたのに」と云う少し苛立ちを言葉の端に感じた。

           ○                  ○

バス亭はたしか「相国寺前」だったと思う。

電話で聴いて、烏丸通りを走るバスに初めて乗っていった。

バスをそこで降りると、電話で聴いていた電話ボックスがすぐ傍にあった。食堂の目

の前であった。

「力餅食堂」と云う名だったろうか。京都にはやたらとある名前だ。

教えられた通りに、その電話ボックスから電話をかけて、今着いたことを告げて出る

や否や、食堂の脇の道から、普段着に下駄ばきの〇上さんが迎えに出て来てくれた。

眼鏡をかけていなかった顔は、この前の顔とは違って見えたが、その姿、顔の方があ

りのままに見えて好感が持てた。

後をついて行くと、そこから食堂の角を曲がると、もうすぐであった。食堂の裏の道を

挟んで斜め向かいの家だった。

京都独特の昔からの古い家である、よくいう「うなぎの寝床」といった、間口は狭く奥

に長いといった作りだった。あまり具体的に記すことは故人の名誉を傷つけることに

なりかねないので、読者の想像にある程度はまかせます。

奥さんは、まだ40代だったと云ったか、下の子が乳離れは済んでたが、まだ幼い頃

に心臓発作で亡くなったそうだ。

娘が二人に息子が一人。子どもは三人いて、もうみな結婚していて娘たちは隣の県

に嫁入りしていて、孫たちももうみな大きいようであった。

息子はまだ子どもがいないようだった。近くに家を建てて別に住んでるようであった。

家庭のことは、さしさわりあってはいけないのであまり詳しく書くことはやめておきます。

おいおい話のつなぎに必要なことは書いて行こうと思いますが。

独り暮らしということは聴いていたけど、生きていれば自分の父親以上の年齢の、も

う70近い年齢の、おじいさんと呼んでもいい人から、食事を作ってもらって食べたの

は、これまでで初めてのことでした。全く予期せぬことでしたし、ましておかずから、茶

わんにご飯をよそってもらうことに、嬉しい気持ち以上の何かを初めて感じたと思いま

す。

たぶん、こういうことからも○上さんに恋する気持ちが生まれたのかも知れません。

セックスが先だったか、お昼ごはんが先だったかは忘れましたが。

初めてのときのように、「あとさし」の形で、明るい真昼間から二人は舐り合い、燃えて

果てました。

そのとき、僕は顔の上になってるお尻を開いて初めて○上さんの肛門を見ました。

きれいな肛門は、何か云うように「ヒク」としました。

ちんぽが歳のわりに小さいシミひとつない、きれいな色をしていました。

そのことに、後に登場する浮気相手の伏見の松○が、マルサンで、酔っていたのか、

僕が居ることも忘れて上機嫌で、「○上さんのちんぽのきれいさは、中学生みたいや。」

とマスターに話してたのを覚えています。

それに年齢のわりに元気なちんぽで、毎日でも出せるのではないかと思えるほどでし

た。

出してから一息ついて、思い出したように「大阪へ行こうか」と明るい顔して僕に言い

ました。

それは何か吹っ切れたような表情に見えました。

付き合ってた大阪の子と別れてから、大阪へ行く気にならなかった気持ちが吹っ切れ

たのかも知れません。

河原町から特急で、梅田まで30分ちょっとだったでしょうか。

そこから「地下鉄動物園前」まで、15分ほどでしょうか。家を出て、1時間半あれば着

いていました。

今は新世界といえば、串カツの街として全国に有名になりましたが、当時はジャンジ

ャン横丁の店もそう有名では無かったでしょう。日曜日は一杯でしたが。

そのすぐ近くに、「温泉劇場」という名でしたか、演劇場がありました。

テレビでは見ない、売れてないベテラン芸人が多く出ていたように思います。

一人で新世界に行くようになり、何度か入ったことがあります。

歳のいった芸人を見たさに行ってたところもあります。何か惹かれるものがあります。

通天閣のすぐ傍に、「ドレミ」という名の喫茶店があります。関西のテレビでは、ちょい

ちょい紹介されます。昔ながらの何か懐かしいメニューがあるとかで。

まだスナックに行くには少し早い時間には、ここでいつも二人でコーヒーを飲んで一服

していました。

スナックのマスターや、お客さんも来ていました。そういう方面では顔の広い人でした

から、行けば誰かに出会ってたようです。

この「ドレミ」の斜め向かいにある朝からやってる銭湯が、「ラジウム温泉」です。

温泉ではありませんが。サムソン等の雑誌にもよく「ハッテン場」として載っていました

ね。

○上さんはパチンコが好きでした。

それでいつも新世界に来ると、地下鉄を出た所にあるパチンコ屋で1時間は夢中にな

ってします。

たいてい負けてましたね。いつも1万円ほど負けてたと思います。たまには勝ってい

たでしょうが。

僕は、フイバーの機械はやめて、長く持たせるよう普通の台でしていました。せいぜ

い2千円ほどまでで負けたら、〇上さんが止めるまで待っていました。『早く負けろ』な

んて。思ったかどうか。

そうして、パチンコ玉握ってた汚れた手は洗面所で一応洗うのですが、サッパリしたい

という気持ちもあり、スナックや夕飯を食べる前に、日の早いうちからその、ラジウム

温泉に入るのが、いつものコースでした。

○上さんは、もうそこが仲間の多くいる場所であることは知っています。が、仲間のた

いてい居る場所は、薬湯や奥の電気風呂、スチームサウナ室などで、そこには入りま

せんでした。

スナックの顏なじみやマスターも入りに来ていて顔がさすということではなく、もう前か

ら知っていて、あえてそうしてまで探さずとも、たいていはスナックで相手が出来てい

たのでしょう。

僕に教えて、「あそこに自分のタイプのおじいさんがいる」とよく、からかうように言って

ました。

僕が夏など、スチームサウナによく入っていて、少し長い時間入ってると、「いいおじ

いさんが居たんやろ」と本気で少し妬くようなこともありました。

僕の動きを見ていないようで見ていました。○上さんは湯船にザブッと浸かるだけで

した。

○上さんは、とにかくカラスの行水みたいな人だから、あまり長くサウナに入ってられ

ませんでした。

ノンケは、ほとんど大きな湯船だけに入って、体を洗うようでした。今でもそうでしょう。

でも、今日、ネットで見てみたら、「露天風呂」がいつの間にか増設されてありました。

余談ですが。

そして、番台にはいつも年配の女の人が座っていたのに、載ってた写真は、頭の禿

げたおじいさんでした。番台の嫁さんが亡くなって、その主人が座るようになったので

しょうか。

フケ好きにはモテるタイプだと思います。もしかして、お仲間かも。

ノンケであっても、誘惑されて、目覚めるかな?

横道に反れました。

今でも、お仲間は多く来てるでしょう。近県から、遠い所から、スナックや「エイト」など

に泊まりがけで来る客も利用するでしょうし、また、ハッテン映画館へ行く客も利用す

る人もいるでしょう。

当時は、そんな遠く、田舎の方から来てるような人も多く居たようです。顏の素朴な、

雰囲気で何となくですが。

そしてそんな田舎の人か、越中をしてるおじいさんもよく見かけました。普段から越中

をしている、もう身についてるふうでした。

そんな中に、ちんぽの大きいおじいさんがいました。

立たせてはいなかったのですが、自慢だったのでしょう。腰を少しせり出すように、ま

るで「これ見よがし」に、湯船から上がっても、ロッカーの周りをしばらくうろうろとしてい

ました。

風呂を出ると、さっぱりと気持ちよい気分でビールが美味しく飲めます。

新世界で初めて訪れた店は、「しぶ柿」という店でした。「右近」の隣でした。




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