ふたなり同級生




                                         勇爺さん



昔の学校は、現在と違い学校内のクラスには、身体障害者と同じクラスで

一緒に勉強してました。

だから、現在では差別用語ですが、クラスにビッコやオシやメクラの人達

と一緒に勉強してたから、

かえって根性があって勉強も良く出来てましたよ。

運動会も彼らなりに、一生懸命頑張っていました、

そんな、彼ら彼女たちの家に遊びに行ったり、

うちに遊びに来て夕食まで一緒にいました。

良かったのは、うちの両親が偏見なく自分の友達を向かえてくれた事です、

その中に、作品名のふたなりさんがいました。

ふたなりさんは、女性として友達付き合いしてました。

そんな、ふたなりさんの彼女とは、小学生からの友達でしたから、一緒に

銭湯なども言ってましたが、

そのころは、まだぺニスが外部に露出してませんでしたが、

久しぶりに家のふたなりの彼女と二人で入浴したら、彼女には、自分より

も立派なぺニスがありました。

そうです、彼女にはオッパイがありぺニスそしてオマンコがアナルも、

風呂でお互いにのぺニスを触りました、

そして、彼女のぺニスは包茎ではなく露出してました、

自分は、いまだに包茎だ〜ぁ。

そして、お互いのぺニスを口に含み会いました、

暫くは、彼女の下半身の虜になりました、

だから、学校から帰ったら彼女の家に遊びに行って、部屋にてぺニスを触

り会うのが日課になってました、あとで、しりましたが、学校では、彼女

のふたなりを知っていました、

自分の両親も、彼女がふたなりだと知っていました。自分は、会うときは、

二回に一回は、お互いのぺニスを触り精液を出してましたが、

自分は、頑張っても二回しか精液を出せませんが、

ふたなりの彼女は、多いときは五回位休憩をはさんで精液を出してました。

凄いですよ。

ですが、まだアナルにぺニスを入れる発想が無く、

また、自分のぺニスを彼女のオマンコに入れるのは、ためらってました、

そんな、関係が二年半続きましたが、

ふたなりの両親が、彼女がこれからも、日本にいたら医学の実験台にされ

たり、偏見やいじめに会うからとアメリカに行くと言ってました、

だから、中学を卒業してアメリカに行きました。

のちに、家族全員が移住してアメリカ国民になりました、

アメリカに旅立つ時は、自分の両親や兄弟もみんなで羽田空港に行きまし

た。

それから、彼女はアメリカの大学を出て大学院まで進みました、

この間は、月に一回は手紙のやり取りをしてました。また、後に解ったこ

とですが、ふたなりの彼女には三歳上のお姉さんがいましたが彼女もふた

なりで、

両親が何年も苦労して出した決断がアメリカでした、

今思えば、日本にいたら確かに好奇の目に合い人生が大変だと思います。

彼女がアメリカへ行ってから、15年後に彼女が久しぶりに日本に来るこ

とになりました、

親戚のおばさんの葬儀と、彼女のいまの仕事でくるのです、

彼女が日本に来てから、数日後に連絡がありました。会う当日は、彼女が

借りてる短期のマンシヨンに行きました。

会ったら、アメリカの挨拶でキスの荒らしでした、

一番気になったぺニスの事を聞いたら、

まだ、あるわよですと、姉さんは、手術してぺニスを切除したそうです。

早速、ぺニスを見せて貰いましたら、巨根ぺニスになってました、

二人で全裸になり風呂に入り、昔見たいにぺニスを触り合いました、

その後、ベットと移動して、手紙に書いた自分はホモで受けだと彼女にカ

ミングアウトしてたので、

彼女は、理解してくれました、

だから、会った時は自分のアナルに彼女のぺニスを入れてくれと願望を書

きました。

ですから、彼女は喜んでベットにて自分のアナルの穴の奥まで、舌を入れ

てくれました、

そして、巨根のぺニスを勃起して亀頭部が痛かったけど入り、ゆっくりと

竿を入れてから根本まで全部入りましたら

激しくピストン運動して、彼女は自分の名前、勇ちゃん素敵、いっちゃう

と言って中に沢山の精液を出しました。

勿論、その後は三回アナルセックスしました、

彼女は、生涯ふたなりにて生活していくと言ってました。

後日談は、思いだしたら書きます。

またまた、長文でごめんなさいお許し下さい。









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