克爺さんの 体験談 №11           .




新・男色への道


(1)新たな旅立ち



  見知らぬ世界へ足を踏み込もうとしている。

その為か少しの期待と大きな不安に、身体が緊張し震えているのが指先か

ら判った。

 

私には今までまったく縁のなかった街に初めて来てみた。

そこには数軒の映画館が在り、そのすべてがかなり時代を過ぎた作品ばか

りであった。

その中に私の目指す映画館が確かある筈なのだが。

 

親父さんと逢えなくなってから、早10年近くも経過していた。

娘は社会人、息子も専門学校に通っていた。

その間私も一生懸命に働いた。

息子が来年の春には卒業を迎えようとしていた暮も間近、体調不良を訴え

てきた。

近くの病院へ行くが一向に良くならない。それどころか益々酷くなり、い

くつもの病院へ行ったが原因が特定出来ずに、血の気も引いて体重も落ち

ていくばかりでした。

ようやく4つ目の病院で病気の原因が判り、ある難病と診断されたのです。

 

それからが家族四人で難病に立ち向かい熾烈な闘いが始まりました。治療

が開始されると約
3ヶ月、一切口か食べ物を入れる事を禁じられ水さえで

した。濡れたガーゼで口を濡らす程度、その間まったく点滴だけの入院生

活でした。

息子と話す会話には細心の注意を払い、特に食べ物の話は口が裂けても出

してはいけない言葉でした。

症状が落ち着くと、今度は身体の回復に向けて少しずつ慣らしていきます。

そうして退院出来るまでに約半年を費やしたのです。

5年間に入退院を3回繰り返し、その間2回も大腸を切除し、もうこれ以上

再発を繰り返したら社会復帰は難しいと言われ、人工肛門を装着しました。

今は病気の発症を抑えるために、まだ日本では認証されてない薬剤を月に

一度投与しながら元気に働いています。

 

私が51歳の時でした。

息子が入院中、容態も良くなり退院の目処がつき始めた頃、息子から「お

父さんもお母さんも何処か出掛けてきたら」と声をかけられ、気付くとも

う何年も二人で出掛けてないなと思い、息子の気遣いに感謝してある温泉

地に一泊で出かけたのです。

 

久しぶりの二人だけの温泉旅行。

行き先も決めずにただ高速を走らせました。

車の中、あの日から今日までのいろいろな出来事が、二人の会話を途絶え

させていました。

宿に着き何年か振りの温泉に浸かると、身体中の疲れがどっと湧き出たよ

うな感覚に暫く湯船から出られませんでした。

食事もおわり二人で床につきました。

久しぶりに解放された私達は、感情の赴くまま一つの布団に身をいれたの

でした。

久しぶりのsexに妻は喜びの声をあげ、その声に私も一層の興奮を感じてい

ました。ところが私のチンポはみるみる勢いをなくしていき、遂にはオマ

ンコから抜けてしまったのです。

それは判っていました。息子はひとり大変な病と闘っている時に、「こん

な事をしてていいんだろうか」と頭をよぎるものがあったのです。ふたり

は天井を向いたまま暫くの沈黙が続いあと、「お父さん無理しなくていい

よ」と妻がポツリと言ったのです。

涙が耳元に流れてきました。

すぐに妻は寝返りを打ち私に背を向けたのです。多分妻も泣いているのを

見られたくなかったのでしょう。

その日を境に今日まで妻とsexする事はなくなりました。

 

時を刻むのは容赦なく過ぎ、あれからまた数年が過ぎていったのです。

息子も薬と通院を欠かすことは出来ませんが、発症せずに人並みに生活を

送る事が出来るように回復してました。

安息な生活を取り戻した私にも、以前の記憶が蘇って親父さんに会って見

たい、いや会いたいと思うようになったのです。

でもそれはもう会えない、会ってはいけない事なのです。

そう思うと辛くなるのでした。

そんな時、思い出したのが親父さんから教えて貰ったあの場所。

今度行ってみようと、、、。



                         ( 続 く )








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