倉爺さんの体験談 20            .




生い立ちの記




第三章 小学校(疎開)(8)



一学年一クラスで担任のA先生は若さに溢れ血気盛んな先生で、事あるごと

に生徒に体罰、特に往復ビンタが好きで、誰か一人でも悪いと、全体責任と

なり、生徒全員を向かい合わせ、向かいあった生徒同士が相手にビンタをク

ラワセ少しでも手加減するとやり直しさせられました。

(生徒は相手が可哀想だし、自分も痛いからどうしても手加減する)

誰か一組が手加減すると、全員が相手に力一杯ビンタするまで、許してはく

れなかった。

度重なると生徒も慣れて、早く済ませるため最初から、力一杯ビンタをクラ

ワセるようになり、・・・・・ 済んだ後は生徒も慣れたもんで何事も無か

ったように平気な態度で次の授業に向かいました。

勿論 一人で体罰を受けることは数しれず、運の無い奴は一日に2.3回ク

ラウ、慣れた生徒でも可哀想で助けたいと思うが、手出しはできません。

実(私)も2ヶ月くらい過ぎた頃ビンタをくらった。

A先生の話の時に”天皇陛下”と”宮城”って言葉が出ると、全生徒は一斉

に宮城の方へ顔を向けなければならない。実は顔を向けなかったため、「国

賊な奴」と罵倒され特別な凄いビンタをクライ、口から血を出しても仕方な

い事でした。

このような事が10月にA先生が兵隊(東京外山の軍楽隊)へ行くまで続き

ました。

他の学年の生徒(全校一学年一クラス)は、5年生は可哀想と同情はしても

誰一人口出しできませんでした。5年生は我が身を労わり、A先生を憎みま

した。

A先生が兵隊に行った後、女の先生が担任になった時の我々生徒の喜びは、

天地がひっくり返ったような騒ぎで、全員が手を叩き喜び合いました。

とにかくA先生のビンタは凄かった、5年生の餓鬼がその度に、ぶっ倒れ、

引っくり返った。教練の時は、A先生と元兵隊の教練の先生二人の授業は、

それにワをカケテ凄かった。先生は手が痛いのか、竹刀を持って生徒に立ち

向かってきました。タダタダ生徒は我慢するだけでした。

 

 

 

 後記

後年、実が70歳の時の同級会のおり A先生を呼びました。その時、実と

A先生は杯を交わしながら、学校生活の話に実が誘導し、互いに目頭を押さ

えた時は、憎しみより懐かしさで身がヨジレルような感動で、震えが止まり

ませんでした。



                                         続 く 








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