美篶(ミスズ)さんの体験談 15                .




遭 難

(6)



崩落が起こらないことを祈りながらひたすら足早に歩いた。

いつの間にか雨は止んでいた。

しばらく歩いたところで樹木の伐採された明るいところへ出た。

右側から別の川が合流しており、その三角州のところに飯場が建っていて橋が

架かっていた。

 

渡って近づこうとしたら左岸の上方から何か声が聞こえる。

見上げると飯場の主らしいちゃんちゃんこ姿の小太りの老人が、手招きしなが

らしきりに「登って来い」と言っているようだった。

しぶしぶ重い足を引きずって登っていった。老人だと思っていたが50代の小

父さんだった。その小父さんに

「お前らバカか!」と怒鳴られた。

「川を見てみろこれからナギが引くぞ!」

一同きょとんとしていると、少し落ち着きを取り戻した小父さんが説明してく

れた。

話を聞いてまたまたぞうッとした。

 

「川を良く見てごらん。先ほどに比べて水かさが大分減っているだろう。上流

に崩落があって川がせき止められたんだ。まもなく決壊して濁流となって押し

寄せてくる。川筋を歩く時の常識だ。だからわしは飯場からここに避難したん

だ。見ててごらん」

と言うのだ。

 

確かに言うとおり水量が減っている。

しばらくして見る間に水かさが増えてきた。合流点の砂洲で飼われていたいく

つものミツバチの巣が、あれよあれよと言う間に流失してしまった。

それほど大きな崩落ではなかったらしく飯場は無事だった。

しかし、われわれが下っていくはずの道は何箇所か削り取られてなくなってい

た。

もしあそこを歩いていたら?

瞬間足がすくんだ。

 

先ほどから小父さんは心配げな厳しい顔付きをしている。

ひと騒動終わってまもなく対岸の山から声が聞こえ、下りてくる十人くらいの

人影が見えた。それを確認して小父さんの顔色が和んだ。安堵した顔付きにな

った彼は、ぼくらを伴って飯場まで降りていった。

 

対岸へロープが投げられ、それに縛りつけた一回り太いローブが川の両岸の大

木に固定された。ひとり、ふたりと滑車を巧みに操って精悍な山男たちが降り

てきた。

最後にいかつい体つきをした40がらみの大柄な男がたどりついた。

小父さんはその髭もじゃの大男にすがるように抱きつきながら言った。

「親方あ、お帰りなさい!良かったあ、ご無事でえ!心配していました」

「おお、おお、ありがとう。心配掛けてすまなかったな」

 

飯場は一挙に賑やかになった。

ぼくらは次から次と質問された。ぼくらの行動にあきれた山男たちに、小馬鹿

にされたり……、ちょっぴり同情されたりもした。

囲炉裏は赤々と燃え上がり、裸にされたぼくらのぐしょぐしょになった衣類は、

どんどん乾いていった。

彼らにとってはぼくらのような闖入者は、さし当たっての退屈しのぎになった

のだろう。

ぼくらの装備を見て笑いをこらえながら登山支度の説明をしたり、食料の予備

がなくなるような軽率な対応の仕方は厳しく批判された。

 

ふと気がついた。親方と小父さんは先ほどから事務室らしい部屋に入っていっ

たまま出てこなかった。

谷あいの暮れるのは早かった。雨はすっかり上がり、雲のなくなった空は夕映

えに輝き始めていた。

若手の山男たちが協力し合って夕食の準備が出来上がったころ、カチャンと鍵

のあく音がして親方が出てきた。小父さんを従えて……。

 

親方が言った。

「みんな聞いてくれ、ナギが引いて島々までの道がなくなってしまった。オヤ

ジが言っているけど、むかし、上高地まで放牧のため牛を追い上げた道がまだ

残っているはずだそうだ。明日その道をたどって里へ下るからな」

うしろで小父さんが上気した顔で嬉しそうにうなづいていた。

夜具は粗末だったが、何日振りかの温かく、落ち着いた夜を送った。

続く

 











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