山野いでゆさんの体験談 №4                    .




私の男遍歴



(4) 北の街の男達 (下)




そろそろ北国を去りたい。いきずりのセックスみたいな体験ばかりでは書

く方は兎も角、読む方も飽きてしまう。だが、私の遍歴の中で、水商売経

験を語らずには南に帰れない。その頃にはホモバ-通いを覚えていた。馴

染みだった店は中高年が多く、時々、マスタ-に小声で向うの人が今晩、

相手欲しいと言って居るけど、どう?何て聞く。多くは東京からの出張者

で、私は云われるまま、店の外で待って居る男と男同士でも入れる連込み

宿で男の相手をしていた。

ある日の夕方早く、開店そうそうのその店に入った。勿論、客など誰も居

ない。私は客よりマスタ-目当てだったので、二人きりになれる時間は開

店直後が都合良かった。暫くすると和服をきりりと着こなした女性が入っ

て来て、マスタ-と話し込んでいたのだが、急に、マスタ-にこの人の店

を手伝わないかと聞かれた。暇を持て余した私は良く店の事、仕事、条件

などを聞きもせず、了解した。

ママに連れられて入った店は、飲み屋街からやや離れた場所の小さな袋小

路にある飲み屋ビル
(かなりくたびれた木造建築)の2階にあり、3階はマ

が寝起きして居る様であった。和服の似合う、綺麗な女性で、正直、こん

な店でなくても、繁華街でも充分やっといけるのではと思ったものだ。私

の仕事
jはカウンタ-内での接客で、ママはフロアで接客。客は殆ど常連

客であったので、私はそんなに苦労する事もなかった。客の多くはビ-ル

を注文するだけだし、水割りの作り方なら前の店で学んでいたので、全く

バ-テンだ-経験が無くともなんとかやってゆけた。親しみある客が多く、

働き易い職場だった。或る時、馴染み客の一人が開店早々に来て、今日、

昼はママのショ-を見ていたと言う。私はそんな話を聞いてなかったが、

ママはある劇場のスタ-踊り子だと明かした。肌も綺麗だし、隠すのが上

手いので、知らない客は女と思って居ると聞き、私は呆れるやら、驚くば

かりであった。言われると、確かに、声が太いが、美貌の前には全く気に

ならなかった。

 その内、ママからそろそろカウンタ-の外に出ないかと言われ、私は軽

く頷いたが、それは私にも女装しろと言う事だった。ママの寝泊まりする

部屋に上がり、化粧の基本を教わり、カツラ、ドレスをあてがわれた。私

は制服を着る感じで、抵抗は殆ど無かった。

ママは私にプロの自覚を持って貰いたいのか、客が煙草を切らすと表通り

の煙草屋に女装姿で買いに行かされたが、私は別に恥ずかしいとも思わな

かったが、声だけはどうしようもなく、買物などは苦手だった。

ママのアイデアは3階で私に売春まがいの事をさせ、ピンハネする事であ

ったが、私と言えば、そんなママの意図も知らず、コミックバ-みたいに、

フロアで自己勝手流踊りを披露したり、酷い音痴なのに歌を歌っていた。

色んな人との出会いがあり、偽ホステス仕事は楽しかった。人に乗せられ

易いので、ム-ド音楽が鳴り出すと、皆に催促され、フロアの真ん中でス

トリップショ
-らしき振り付けで踊り、最後はオナニ--ン(の真似事)

でショ
-を締めくくっていた。客からは喜ばれたが、誰も金を払ってまで

こんな私を抱きたいと言う人も出現しなかった。


或る日、駅から出て来るカップルを見掛けた。40代半ばの男は芸能プロダ

クションに勤めていたと聞いたので、連れの女性は新人歌手のドサ廻りか

もしれない。若くは無かったので、有名になったのか、無名のままに終わ

ったのかは知らない。その男が店に来た時、私が相手し、ビ-ルを数本空

けたあと、彼を見送りに階下に降りた。男はズボンのジッパーを下し、自

分の性器を出し、吸えと言った。私はオカマバ-に居たのに、男日照りに

なっており、喜んで袋小路の暗がりの中で尺八奉仕をした。だが、その時、

カツラに精液が付着して、それをママに見つかったが、彼がそれを指摘し

たのは暫く経ってからで、只で男の相手をするなと、やんわりと注意した。

店には色んな人が来て、楽しい毎日であった。ママの恋人、新婚初夜の夜、

夫とのセックスから男恐怖症になり、故郷から出奔、レズに走ったホステ

ス(彼女の部屋に泊りに行って、強姦されそうになった。彼女は相手にさ

れなくて、後からママに勘定の事で文句を言って来た)、文金高島姿にな

るのが好きな国立大学教授(太目親爺でその姿は狸そのもの)、私と温泉

に行き、一晩に7回、私のお尻に射精したいと言うのが口癖の電力会社の

幹部は初めての女装相手経験は飲んで買った売春婦が男と知り、それで女

装が好きになったと教えてくれた。元やくざ下っ端とは一緒になって夜の

街を警察から逃れる為に駆けた事もある。京都のコミックバ-勤めのオカ

マと一緒にタクシ-に乗ったら、助手席に座り、タクシ-運転手が困りま

すと言うのを構わず、とうとう尺八までし始め、流石プロのオカマは凄い

と感心したりと、女装好きの多彩さに世間が広がった気がした。私の
3

仲間だった知人のゲイカップルも来た事があった。

ここを辞める事になったのは、結局、私に女装熱が無いからで、だから、

女装術が上達しない。ママに言われたのは鏡の前で
30分は化粧や服選びに

費やせと言う。その時、『綺麗になりたい』、『綺麗になりたい』と呟き

ながら化粧しろと言われたが、私にしてみれば、全く、そんな気にならな

い。このままではママのプランはコミックバ-で終わると危機感を持った

のか、街で典型的美少年風を見つけて来て、私はカウンタ-に戻され、更

には首を宣告された。私にしてみれば別にショックでもなかった。元々、

女装には興味が無かったし、皮肉にも、男と殆ど接する事も無い仕事にウ

ンザリしていた。中高生の頃から『男おんな』と揶揄われていたし、生徒

演芸や仮装で女の真似をさせられた事も多かった。子供の頃に読んだエロ

小説の、男に女の様に愛される物語に憧れもあった。だが、化粧や服装で

女に変身したい願望は薄かった。男に愛されたいだけで、女になりたいと

は思わなかった。

北の街ですっかり自分を見失った私は新聞の求人広告で、或る会社が出張

求人に来ていたのを見つけ、面接を受けに行った。人事担当の太目中年男

に直ぐ気に入られ、私は関東に暮らす事になった。当面の住まいは社員寮

で、仕事はかなり厳しい、三交代の肉体労働。だが、初めて男を知った渋

谷に出るのもそんなに不便ではなく、私は関東に出た事を後悔しなかった。

この会社は何処かに住める所が見つかり、自活出来る様になったら直ぐ辞

めようと心に決めていた。

私が働き始めた会社、それまでそんな会社は知らなかったのだが、どうや

ら、結構な大企業らしかった。でも、仕事は単純肉体労働で、職場先輩で

ある年下の男に苛めみたいな嫌がらせを受ける事も多かった。辞めたい、

辞めたいと呪いつつ働いていて、現に、辞表を提出した事もあったが、事

故で入院してしまい、辞表は撤回しなければならなくなった。

 楽しみは夜勤明けの連休、2日半の休みになるので小旅行も可能だった。

だが、安給料ではせいぜい、東京に行き、映画館や乱交宿、サウナ通いで

あった。映画館なら全線座、池袋文芸、新宿西口などだが、中でも強烈な

印象を与えたのは上野地下鉄で、そこに入って、後方通路に集う男の集団

に加わると瞬く間に殆ど全裸状態にされ、幾本かの無遠慮な手で甚振られ

ていた。ここで出会った男を思い出すと、かなりサディスティックな、大

学で数学を研究している教授が居て、何度か映画館の外で交わった。ここ

に比較すると他の映画館は物足りなく感じたが、通い出して間もなく惜し

くも閉館になってしまった。

 乱交宿、行った事があるのは渋谷円山、西新宿、上野稲荷町に加え、横

浜野毛。一度だけ山谷の有名な宿に行ったが。あそこは常連と一緒でない

と入れなかった。後日一人で行ったが、すげなく断られてしまった。西新

宿の宿で黒人に迫られたが、偏見(巨根に犯される怯え)があって、自分

から逃げてしまったのをあとあと、随分と後悔した。稲荷町の宿は下町の

しもたやで、男と交わっていると、家族の話し声が聞こえてくるのも愛嬌

であった。淫乱宿や発展場で特に縁の深い相手については後で紹介したい。

                          (続く)











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