山野いでゆさんの体験談 №5                    .




私の男遍歴



(5) 神奈川での生活




 神奈川に転居し、贅沢ではないが、定収入もある生活は退屈な人生では

あったが、仕事が無い日は裏の世界(ホモ)にどっぷりと浸れるし、電車

に乗れば一時間弱直ぐ男達の集まる場所が幾らでもあるのが徐々に分かっ

た。只、当初は寮暮しであったので、雑誌のホモ案内を見れる様になるま

ではせいぜい、映画館やサウナ、トイレを勘と言うか、トイレ以外では、

場所柄や値段で推測した。昭和
50年代当時、映画館やサウナで、500円以

下の所が大体、男達が同好の士を求めて集まる所であった。

サウナ、初めの淫乱サウナ体験は新宿歌舞伎サウナであった。ここは受付

が女性で一階か二階と聞かれるので、サウナと言うのがちょっと恥ずかし

い気がした。サウナの客は殆どお仲間で、女性に私はホモですと宣言して

いるようなものだった。ここは浴室もサウナも粗末だったが、安いのが取

り柄。狭いサウナ室、自分の眼の前で男が口とアナルで二人同時に相手し

て居る様な場所であった。休憩室みたいな薄暗い部屋があって、そこが乱

交の場で、何度かここで男に抱かれていた。

ここで出会ったオランダ人のアパ-トで初めて外国人の身体を知った。巨

根の見本みたいな大きさ、太さで、長さは
18CMはあったのだろうか?尺

八で充分苦しい思いをさせられ、更にアナルで地獄の責めの様な苦痛を味

わった。事後、肛門を紙で拭いたらうっすらと血が滲み、翌日、排泄の時

も傷みがぶり返した。彼は福島の原子力発電所で技師として働いていて、

週末になると東京に来ていて、その後何度か会い、福島の家にも誘われた

が、そちらには一度も行かなかった。

銀座にあるサウナにも良く行っていたが、そこに客として来て居たカナダ

人に誘われ、彼の高輪にあるアパ-トには数度通った。彼は欧米人にして

はやや粗珍であり、ちょっぴり不満だった。欧米人は皆巨根と、外国人を

余り知らない私はそう単純に信じていた。

寮、自分のアパ-トに帰るのが嫌になると、浅草東莫サウナ、新宿フィン

ランドサウナを宿代わりにしていた。後者はホモサウナではないが、深夜

になると仮眠室の一部は乱交部屋同然であった。アナルには専ら挿入され

る方であったが、ここと川崎の安サウナで挿入を体験した。挿入して、あ

っと言う間に射精に達してしまった。私にはアナルは刺激が強過ぎる。川

崎でのアナル体験を言えば、東口、トルコ街にちかい銭湯の2階に安いサ

ウナがあり、偶にお仲間を見掛ける事があった。アナル挿入体験させられ

た相手は体重
100キロは巨漢豪州人で、彼の下宿に誘われて行ったら、彼

にがっちりと抱かれた。相手の体重は倍近いので、逃れ様もない状態。私

の性器を勃起させ、私に跨り、彼はそれを自分のアナルに吸込み、自分で

腰を使って私の精液を搾り取った。

上野大宝サウナもお気に入りのサウナの一つで、度々通った。そこのオ-

ナ-らしき男に出会うと彼は私を個室に誘っていたし、舞台のある広間で

休んでいると彼に見つかり、無理矢理舞台に引き出され、二人で踊るのだ

が、彼は踊りながら私を裸にしてしまう。北の街の女装バ-で身に付けた

コミカルな性格、私も直ぐストリップショ-の真似をしてしまっていた。

オ-ナ-に呼ばれて入った部屋には見知らぬ男が居て、成り行きでその男

と交わった。事後、彼は好きな野球選手についての質問をするので、野村

と答えた。すると誰々はどうだと聞くそんな選手は知らなかったが、好き

ですと答えておいた。それは私に暗に、自分が誰かを気付かせたかったの

かもしれないが、生憎、私が知っている野球選手は5人も居なく、分かる

訳がなかった(あとから考えると、彼が名を挙げた選手は某球団のスタ-

選手でそのまま監督になった人らしい)。

発展場巡りはトイレが主で、新宿駅西口、上野駅トイレ、新橋駅、土橋、

日比谷公園などだった。土橋であったアメリカ人はコ-ラ瓶程の太さで、

受けようと試みたが余りの痛さにどうしても身体が逃げてしまい、合体は

叶わなかった。又、あるアメリカ人の部屋で自分が出演していたNHK大

河ドラマを見せられた事もあった。

新宿で会った男はかなり変態的なプレ-が好きで、私のアナルにイチジク

浣腸を注ぎ、直ぐコンド-ムを付けた性器をアナルに挿入した。漏れそう

なので私が括約筋を締める、それが彼に快感と言うが、こちらは漏れて、

汚してしまわないか心配で、集中出来なかった。又、或る時はチリ紙を丸

め、軟膏を塗り、それを私の肛門に入れ、性器で奥に押し込んだ。こうす

ると直腸を綺麗にし、排泄物との間に防護壁が出来て、生でも大丈夫と言

っていた。私はチリ紙がこの後どうなるか心配だったが、男の言う通り、

翌日、鶏が卵を産み落とす様に、ぽとりと便器にチリ紙が無事、排出出来

た。

夏になれば鵠沼海岸や小坪にも行った。六尺褌の締め方も見よう見まねで

習って、松林や岩場でみすぼらしい身体を披露していた。

当時はインターネットなどなく、アパ-トに転居してからはもっぱらゲイ

雑誌を買い、文通欄で男性とコンタクトを取った。会うまで2週間程度掛

ったが、手紙が待ち遠しく、来ると直ぐ会いに行くのだが、長続きしたの

は2名だけである。この二人については後から書きたい。彼等以外で思い

出の残る男と言えば、浮世絵画家、アイドル大好き在家僧侶、潔癖症の祈

祷師、小笠原諸島の土方の親分、三重県の民宿親爺(かなり高齢で騙され

た感じだが、訪れた僻村は素晴らしかった)、会うなり会社の愚痴を言い

続ける独身男(勿論、一晩寝て、直ぐ逃げた)で、文通で相手を見つける

難しさを痛感した。農林業、漁業か僧侶希望と書いたら、福島浜通りの既

婚男から手紙が来て、原発作業員の仕事なら直ぐ見つかるから直ぐ来い、

こちらに部屋を借りて暮らせば良い、会いたいと言って来たが、丁重に断

った。私は田舎で一緒に暮らしながらの生活を夢見ていたのだ。

ゲイ雑誌で知った北新宿にある『雑民の会』の部屋に一度だけ遊びに行っ

た事がある。だが、そこでは惨めな思いだけしか残ららず、一度きりでし

た。それは東郷氏の問題ではなく、私の問題。一人、新潟から来ていた中

年男に迫ったが、男に『興味があったので見学に来ただけ』と断られ、面

子を失くしたわたしは彼に『見世物でホモしている訳では無い!』と喰っ

て掛ってしまいました。その夜は独り寂しく寝ました。一度切りの訪問で

したが、東郷健氏の集会や選挙になると案内葉書がアパ-トに届くのには

参った。一応は大屋に秘密にしていた手前、バレバレの郵便物には赤面も

のだった。その時、偽名や偽住所などは考えもしなかった。

やはり、東京は北の街にはない、享楽が一杯の、ゲイの都であった。特に

驚いたのは、身近にゲイがかなり沢山居る事で、時には気まずい思いを何

度も経験した。会社ではお仲間を何人か見掛けてしまった。渋谷全線座で

男を探していたら会社の技術課長と遭遇し、お互いに無視。小坪で日光浴

をしていたら丁度小坪に到着したばかりの同僚が私を見掛けるとそのまま

通過して行った。お互い、気まずいだろうが、『あらぁ、あんたも男が好

きなの?』と声を掛ければ、それで済んだものなのだが。会社の女性から

不審、敬遠され気味の二人が発展場海岸で鉢合わせ、世の中は広くて、狭

い。上野大宝サウナでも憧れの主任にばったり出会ってしまった。彼も会

社で有数の美男なのに何故か独身を通し、女性社員の噂話の対象になって

いた。会社で見掛けた下請け作業員は昨夜、発展トイレで性器を見せ合っ

た男で、彼も私の事を見て、意外な顔をしていた。会社のお局的
OL

『この会社はオカマが多くて』何て、私の近くでわざと呟く。私にしてみ

れば、彼女が長らく独身なのは私の責任ではないのにと喰って掛りたいが、

会社勤めの辛さで、反論すれば公言するもので、今でもそんな勇気は無い。

自分が偏見と闘う程の意気もないなら、昔も今も、聞かぬ振りしかないの

である。











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