山野いでゆさんの体験談 №6                    .




私の男遍歴



(6) 九州の男




 今まではダラダラと男遍歴と言うよりはゲイ体験の過程を書いてきたが、

これからはタイトルらしく、男遍歴、或る程度長く交際した男達について

書こう。もっとも、他人のそれに比べたら、色が無く、自分でもその貧し

い生活を思い出すと惨めになるが、それもひっくるめての自分の人生の真

実である事には変わりない。

 20代の終わりに近い頃の夏休み、私は会社から真っ直ぐ新横浜駅に向か

い、新幹線で大阪に向かった。旧型の登山リュックはキスリングと言われ

るもので今ではすっかり姿をけした帆布製に登山靴、登山服の姿。新大阪

駅から阿倍野に行き、そこで何とか最終の吉野行き電車に接続出来た。吉

野駅到着は深夜、下車した人も殆ど居ない。私は一人、とのとぼと吉野山

を登り始めた。蔵王堂周辺では犬に吠えられ、肝を冷やしたが噛まれる事

もなく、上千本に到着。ここで朝まで仮眠した。

 私の目的は山上が岳から近畿最高峰の弥山である。山上が岳に憧れたの

は女人禁制の山だからである。長い登山路、洞川から合流する登山道が今

では一般的なもので、ここを過ぎると賑やかになるが、そこまでは鬱蒼と

した杉林の中の静かな登山道で、擦れ違ったのは修験僧一人だけであった

が、不安は全く無かった。山上が岳に近づくと修験の道場で、覗きと呼ば

れる岩場では講の人らが命綱頼りで岩場から空中に身を乗り出し、経文呪

文を唱えている。私はそれをちょっと見ただけで先を急ぎ、大峰寺に入っ

た。

 女人禁制=男の楽園と期待していたが、その日、宿坊に居たのは70代後

半のお爺さんだけで、些かアテが外れてガッカリしたものだが、風呂で一

緒になれたので色々と話を聞く事が出来て、それは有意義な一時であった。

質素な夕食(精進料理)を頂くとする事もないし、翌朝は早いのでかなり

早目に寝た。前夜、余り眠っていないので直ぐ深い眠りに落ちた。

 深夜に目覚めた時は豪雨であったが外がしらじらとする時刻には雨は小

降りになっていた。朝から外が喧しい。ヘリコプターが遠くで轟音を響か

せているようだ。私は予定通り弥山を目指そうとしたのだが、寺の作務の

中年男性に予定を変更して下山を強く勧められた。聞くと、神戸の高校生

が遭難し、ヘリはその捜索に出ているそうで、これ以上の遭難騒ぎは御免

と言う。これからの道は険しく、昨夜の豪雨で危険だと言う。私は弥山小

屋の予約をしているから行きたいと言ったが、彼は弥山小屋に電話し、予

約をキャンセルした。これでは下山するしかなく、仕方なく洞川に下った。

洞川に下る頃には雨も上がり、下山を後悔したが、又登り返す気にもなら

ず、そのまま大阪に帰った。

 夏休み、たった、一日で終わらせるにも行かず、その日は東京に帰らず、

一度泊まった事のある飛田の乱交宿に泊まった。風呂から上がり、浴衣に

着替え、広間で休んで居たら
40代の男に誘われ、私は彼の男に従った。個

室なのか別の広間なのかは思い出せないが、男は部屋に入ると胡坐をかい

て座っている私の前に立ち尽くし、浴衣を脱いだ。私の眼の前に聳えるが

っしりとした身体、何より、股間に隆々と聳える巨根に圧倒され、私はひ

れ伏す様な思いで、その雄雄しい魔羅に命ぜられなくとも手を添え、舌先

で鈴口を撫でてから、ゆっくりとそれを飲み込んだが、元より全体を頬張

るのは無理で、私の気道を塞いでも、未だ全体が私の口に隠れては居なか

った。

 私は苦しさで涙を流しながらも、男のコロナ部が私の咽喉軟骨をコリコ

リさせながら私の口を犯すのを楽しんだ。男の魔羅は今まで関係した男で

は、歌舞伎サウナで出会ったオランダ人に負けず劣らずの長さ、太さであ

った。私は苦しくともそんな巨根に使えるのが嬉しく、一度目は口、二度

目はアナルに男の情けを受けた。アナルは裂けた様に傷み、その日はもう

使用不能であった。紙で拭くと出血が認められた。男は大阪に住む妻帯者

で、泊まりでは無かったが、彼は東京への転勤が決まっていたので私は東

京での再会を約束し、男と別れた。乱交宿に泊まったが、その日はその男

以外の男と関係する気にならなかったので、人気の居ない場所を探し、登

山の疲れを癒した。

 男は東京に転勤し、約束通り、上野西郷像前で再会した。歩道橋を歩い

て居る時、男が私の尻穴を指で弄っていたのを後ろを歩いていた女に見ら

れ、女が『いやらしい』と呟いたのが聞こえたが私は恥ずかしいとも思わ

ず、これからの事を期待し、胸が一杯であった。私達は乱交宿で一週間振

りに交わった。アナルは苦しかったが、私は彼が私の中で射精して呉れれ

ばそれだけで幸せだった。私が知っている数少ない上野の老専バ-でビ-

ルを飲んで別れた。丁度、内藤やす子が有名になり出した頃であった。そ

の翌週は浅草に行ったのだが、その時、サウナに行こうと言うと彼が『カ

ツラと知って、そんな所に誘うのか?』と怒り、その時、始めた私は彼が

鬘を付けていると知った。

 彼は問屋に勤めていて、何時しか土曜は彼の配送に同行する様になって

いた。土曜の朝、彼が私のアパ-トに配送車で来て、先ず、アナルに射精

してから私は彼の車に乗り、取引先に向った。何度かはアパ-ト大屋のお

ばさんに見つかり、誰何されたものだった(個人住宅の一角で、大屋であ

るおばさんが何かと住人を監視していた)。彼と一緒にほぼ一日一緒に居

られる様な経験は初めてだったので、毎週土曜が来るのが楽しみで会社暮

しも辛いものと思えなかった。

 仕事が終わり、東京に帰る車では何時も、助手席で彼の性器に手を伸ば

して、巨根を勃起指すのが楽しみであった。一旦、私達は別れ、それから

数時間後、上野や浅草で会い、アナル合体してから飲み屋に行く様のがお

決まりのコ-スになった。夜の合体、朝の合体で傷んだアナルを再びこじ

開けられるのは辛かったが、これを繰り返せば何時かは巨根になれて、楽

に受け入れる様になると信じ、我慢を重ねていた。

 彼は妻子と一緒に東京に転勤していた。ある夏、彼の子供(小学高学年)

と一緒に江の島に行った。家族サ-ビスに連れ出されたのである。子供は

大喜びで波と戯れ、かなり興奮したのか、帰りの車の中で直ぐ眠り出した。

子供は後部座席、私は助手席である。彼は子供と一緒だった事に興奮した

のか、自分から勃起したモノをズボンから取り出し、私にしゃぶれと眼で

合図した。私は後ろを指さし、首を振ったが、彼は大丈夫、寝ているから

と小声で言う。私は命ぜられるまま身体を倒し、彼の巨根に口をして、首

を上下させた。

 小型トラックなので、乗用車や歩行者から見られる心配はないが、トラ

ックやバス運転手からは丸見えであり、私は後ろの席の子供、対向車が気

掛かりで仕方なかったが、それでもこのスリルあるプレイはそれはそれな

りに刺激的であった。子供には知られたくなかったが、対向車はどうせ一

瞬の擦れ違い、相手はきっと幻でも見たとおもうかもしれない。子供は案

外、途中で目覚めたけど、子供心に今目覚めたらいけないと悟り、狸寝入

りを続けていたのではと、後からそんな気がしたが、その時はそんな惧れ

を全く思いもよらなかった。

 彼との関係は彼が九州に転勤する直前には殆ど関係が消滅していた。理

由は私が彼の財布の状況を考え、負担を多くしていた。又、時には子供や

奥さんに手土産を渡していた。何時しか彼はそれが当然と思うようになり、

帰りのタクシ-代をねだったり、私に飲み代を出させながら、店に来てい

た他の男と連絡先を交換しているのを目撃したからである。追い打ちをか

けるかのように、もっとショックだったのは、私にアナルに挿入しろと言

うので、流石それは断った。

 私は挿入は2回程度あるが、自分の好きな男の尻を犯すなど考えられな

かった。当時、私はやや偏狭な、間違った考えを持って居て、ゲイの関係

を男役/女役と固定してしまっていた。男に女の気配を見て、熱が冷めて

行ったのである。こうして私達の感
j系が終わり、彼は川崎港から九州に向

った。川崎港に急いだが、彼は既に船に乗った様で、暫くして、船が岸壁

を離れ、それが最後となってしまった。一度、手紙が来て、返事を書いた

が、それ以降は途絶えてしまった。あれから
30年後、たまたま九州に行く

機会があったので記憶していた住所を頼りに彼の勤めていた会社を訪ねて

行ったのだが会社が見つからない。近くの人に聞いたら、会社はどうも移

転したらしい。移転先を探したが看板は見つからなかった。会わなくて良

かったのかもしれないが、あの時は、今更虫の良い話だが、あの巨根をも

う一度口にしたい、アナルに感じたいと思うと、後先考えずに大分駅から

男の住んでいたと思われる町に行くバスに乗っていた。











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