山野いでゆさんの体験談 №8                    .




私の男遍歴



(8) 外専ではないが




 外国人イコ-ル巨根と何とも馬鹿らしい先入観で外国人、特に欧米人に

憧れを抱いて居た。最初の体験は誰が相手だった定かでないが、初期の男

経験で巡りあったのは、前にも書いたが、オランダ人で、期待を裏切らな

い巨根に肛門も傷つき、泣かされた。彼を筆頭に何人もの外国人と発展場

で出会い、一夜限り、或は数時間、数十分の逢瀬を重ねた。浅草にある某

淫乱サウナではベトナムから休暇で日本に来ていた米兵も居て、横須賀基

地に誘われたが、数人に輪姦されそうで、その誘いには乗らなかった。

 私のこれまでの外国人経験は、米国(所謂、白人、最近になってアフリ

カンともやっとチャンスが訪れた)、英、仏、独、伊、蘭、西、アイルラ

ンド、アイスランド、クロアチア、豪州、中国、韓国で、アラブ人、印度

人、東南アジア人、ロシア人とは今まで縁が無い。やはりある種の人種差

別感もあるかもしれないが、印度人と接触しようとしたが相手から敬遠さ

れた苦い思い出もあるし、東南アジア系の人は身体が貧弱に見えて、その

気にならない。

パリ9区のサウナでフランス人の性器を咥えていた時に後ろから近づいて

来たアラブ人にアナルを犯されそうになった。後ろに手をやり、その余り

の大きさに怖くなり、逃げたきりで、今でもあの時、我慢して受け入れて

おけばなんて後悔している。そのサウナは
AIDS騒ぎの後、ストレートサウ

ナに変わってしまい、入ってガッカリしたもので、疲れからぐっすりと寝

てしまった。地下鉄終電を心配しながら着替えし、出ようとしたらサウナ

の受付に居た中年フランス人が私の手を握りながら、微笑み、それから自

分の股間を擦りだした。事の成り行きで、しかも、折角来たのに空振りで

帰るのも悔しく、気付くとその男の巨根を咥えていた。勿論、射精までは

付き合って居られない。宿に帰らなくてはならなかったのが惜しい。

数年前、ゲイの比較的多いリゾ-ト地に来ていた太目英国人(私と同年代)

と遊んで居た時、私達の寝て居たキュ-ビックに忍び入った男は比国人で、

その英国人と結婚している関係だと紹介された。そんな訳で、英国人は相

方の性器を咥え、私が英国人に奉仕する形になった。二人にアナルを要求

されたが、サウナでの行為は憚れたので辞退した。彼等とは暫くメ-ルの

交換をしていたが、彼等の家を訪問する機会も訪れぬまま、何時しか連絡

も途絶えた。

 外国人との一時的な遊びの中にはこんな可笑しな事も今でも笑える思い

出である。私も相手もそれぞれ連れがあって、リゾ-ト地のホテルに滞在

していた。私達のテ―ブルの隣りの卓には英国からの
50代と70代のカップ

ルが食事をしていた。私の連れは
70代の男と背中合わせ、だから、私は正

面に
50代の男を見る事になった。何時しか視線が絡まりあったが、それ以

上は望めない定め。私が食事の合間にトイレに居たら、隣りのその男が来

て、性器を取り出し、私に覗かせる。太くて長い性器にうっとりしたが、

余りにも危険なので只、見せ合うだけであった。長過ぎるトイレは双方の

連れに疑われるし、他の客が何時現れるかもしれない。

 だが、卓に戻っても、あのアバンチュ-ルが心残りになり、私は酒のせ

いにし、何度もトイレに立った。或る時は私が先、或る時は彼がトイレに

行ったので私が後を追う形。入口に注意を払いながら、私達はトイレで扱

き合った。翌日、ホテルのプ-ルサイドで横になっていたら彼等が来たの

で、私は両脚を広げ、男の視線の先に私の尻が来るような位置を取り、水

着の隙間から睾丸は尻穴を見える様にした。だが、行為は其処までで、彼

の部屋を訪問する事などは不可能だった。

 

 さて、外国人で行きずりでない関係を持ったのは英国人のリチャ-ド、

一歳年上の、超太目男であった。多分、体重は
100キロ以上はあったと思

う。独身女性と同居(彼女のアパ-トの一室に間借り)していたが、彼女

はリチャ-ドがゲイだから彼を間借りさせていた。話し相手になるし、治

安がそこそこの地域では部屋に男が居るだけで安全だからである。彼女は

私が訪問し、私達が隣りの部屋で痴態を繰り広げても文句を言わないし、

又、邪魔もしなかった。私達は
3人で一緒に外食に行ったり、小旅行に行

った事もある。パリの安宿はパリ
2区にあって、ゲイの多い地区である。

リチャ-ドが、宿の女将から貰ったシングル部屋の鍵を彼女に渡し、私が

リチャ-ドと一緒にダブルの部屋に寝ると知ると女将がちょっと意外な顔

をしていた。

 リチャ-ドとは数年続いたであろうか?性器は標準サイズで、日本人の

それと余り変わらない大きさであった。彼の性器を口で硬くしてから私が

彼の上に跨って性器を私のアナルに入れたり、横抱きで挿入される事が多

いのはその体重のせいだ。彼には一度、アナル交合の直後、彼が私の直腸

内に小便された事があった。生温かい感覚がじわじわと下腹部に広がって、

それはそれで快感であったが、直ぐ、トイレに走らなければならないのは

大変だった。何せ、廊下やトイレ前で彼女と鉢合わせするかもしれない。

彼とはある老専バ-で知り合い、その日に彼のアパ-トに行った。私が渡

欧したさいに彼と会い、私達は一緒に旅行に行ったり、発展場を訪れたり、

映画や飲み屋と、ほぼ毎日会っていた。夜は彼の部屋で一緒に過ごした。

時には彼の友人を訪れ、そこに泊った事もしばしばで、彼の人脈の多岐さ

は私に色んな意味で教訓的であった。AIDSで死神に取り付かれた友人

を病院に見舞った事もある。一緒にスペインの離島に旅をした。車を借り、

島をドライブした時、島のほぼ中央は風化した火山。車を停め、壮大な景

色を眺めているうちにもやもや気分になり、ほぼ全裸になった。砂漠の様

な山で、滅多に車も通らない。松の木陰で尺八からアナルへと行為がエス

かレ-トし、そのセックスシ-ンを撮影した。デジカメが無い頃だったの

でそのフィルムを通販EDP屋に送ったら、仕上がり写真と一緒に店のメ

モ書きで二度とこんなフィルムを送って来るなと叱られた事もあった。

恋は盲目と言うが、私は家庭も仕事も顧みず、リチャ-ドとの超長距離恋

愛を続けていた。或る時は私がサンフランシスコ経由、リチャ-ドはロン

ドンから旅し、私達はマイアミ空港で待合せ、そこから
7人乗りセスナ機

でキ-ウェストに飛んだ。初めての小型機、低空を飛ぶのでそれこそホテ

ルのプ-ルまで事細かく見える、まるで遊園地の飛行機に乗っている様な

ものだった。ちょっとした乱気流で私は飛行機の天井に頭を打った覚えが

ある。

宿はディュヴァル通りに近い、コロニアルな木造の、小さなゲイホテル。

私達はここに数泊し、まるで蜜月旅行のカップ然で、部屋では全裸で過ご

し、暇さえあれば交わり、繋がっていた。リチャ-ドが買って呉れたシャ

ツ、ヘミングウェイの顔が大きくプリントしてある物は20年以上経った

今でもしっかりとしている縫製である。帰りはレンタカ-でマイアミに移

り、マイアミビ-チのアル-デコ地区のゲイホテルに泊まった。日本に帰

ると又退屈な人生が始まるかと思うと、家庭と仕事の二つの枷が重く感じ、

自由になりたい事だけが生きる望みとなっていた。

リチャ-ドと出会った時は失恋したばかりだったので、何となく、誰でも

良いと言った感じだった。ス-ツとコ-ト姿で、まともな仕事をしている、

信用出来そうな男と思ったからである。その印象は間違いなかったが、内

面的に屈折しており、コンプレックスの裏返しなのか、アジア人に対する

差別意識、優先意識が時には支配的な振舞いとして現れ、それが鬱陶しく

なって来た。ロンドンに旅行した時、久し振りにリチャ-ドと会った時、

ちょっとした意見の相違で彼が興奮した。暴力は振らないが、暴言で恫喝

する様な態度にすっかり嫌気がさし、彼を街角に置いてさっさと宿に帰っ

た。それが原因で彼とは自然と疎遠になった。やはり、頻繁に合わないと、

身体が求めても、心が離れて行く。或はちょっとした違和もセックスで誤

魔化せていたのが、それが通用しなくなったと言えるかもしれない。
DV

と別れられない女と同じ心理。

数年前、ゲイサイトでの友人(ロンドン在住日本人)を訪問した際、リチ

ャ-ドの家が友人宅より歩いて行ける距離なので彼を訪れた。テムズ川沿

いの新興地の、オランダ風の明るい現代的建築のフラットを訪れると彼は


15
歳位年下の韓国人と結婚していた。結婚相手が私でなかったのが悔しい

様な、あんな男と一緒にならなくて、これで良かったと思う気持ちが半々

であった。











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