山野いでゆさんの体験談 №12                    .




私の男遍歴



(12) カールおじさん




 関さん、羽村さんとほんの暫くだが別れるのは辛かったが、アメリカ短

期滞在のチャンスはそんなに巡って来る訳でもない。私は
LAに住んでいる

日系米国人がの紹介してくれた短期ホ-ムスティ先であるアメリカのゲイ

の都、
SFへの航空便に乗り込んだ。空港にはアイリッシュの小柄な男Jと、

その相方、コロンビア系の巨漢
Mが迎えに来てくれていた。SF南部の丘の

上の家は3階建で、芸術家である
Mの趣味なのか、ある部屋は東洋風で仏

像が鎮座し、他の部屋はヒッピ-時代のサイケデリックなインテリア、壁

を彼の油彩画や壁画が飾って居て、アイリッシュの男が相方の絵具代が大

変だと溢していた。

 二人はもう50年程の関係で、ヒッピ-、フラワ-チルドレン、ゲイリブ

運動時代の活動家でもあって、
Jはデモの際に警官から受けた暴行で片足

膝に後遺症が残っていたが日常生活には不自由無かった。大きな家で、そ

こには
Mの家族や親戚がコロンビアから移住し、一緒に住んでいたし、或

いは
SFで自活を始めた者が週に一度程度家に遊びに来て居て賑やかな家で

あった。私はすんなり家に溶け込む事が出来た。仕事はゴミ収集日にゴミ

を外に出す事と庭での水撒き程度で、偶に、買物に同行した。滞在費は食

費込みで$
300、物価が高いSF、例え安いホテルでも$50はするので、食

事付では格安だった。しかも家の近くからのバスに乗ればカストロ、ヘイ

トストリ-トには乗換え無で行けるし、丘を下ればミッション通りでダウ

ンタウンへのバス、市電が利用出来た
Ho

 ホームステイ先をSFにしたのはコンパクトで、刺激的で、かつ公共交通

機関が良く発達しているからであった。市内の凡その所は市バス、市電で

行く事が出来る。ゲイタウン、ゲイビ-チ、公園、博物館や美術館、チャ

イナタウン、ダウンタウン、自由自在に移動が可能で、又、公園やシビッ

クセンタ-付近のホ-ムレスの数は凄まじいが、深夜でも特に危険を感じ

る事は無かった。対岸のオ-クランドは殺人事件が多く、湾の東西で対照

的であった。

 SFでのゲイ体験であるが、ランズエンドと言う断崖は野外発展場として

有名で、バス終点から海岸沿いに崖の上の道を行き、美術館近くで斜面を

下る。この森も発展場で全裸の男が倒木に座って巨根を擦っているのを見

掛けた事があるし、森の中は迷路風でそこをうろつく男もいた。彼等を無

視して更に進むとやがて海岸に達する。ここは礫浜で、風が強いので倒木

などを風除けにして全裸で寝転がっている男を見掛けた。ここで六尺姿に

なったが風が冷たく、早々に引き上げた。

 カストロのバーに行った時、トイレで中年に声を掛けられた。酒を呑み

ながら暫く話をしていたら彼が今晩家に泊まれと誘う。ホストペアレント

には絶対男を家に連れ込むなと注意されていたので、折角のゲイの都で男

日照りの私は頷いた。彼が自分の性器をさらけ出し、吸えと命令した。私

は店の暗がりの中で床に跪き、その男の性器を口に含み、頭を動かしてい

た。だが、それはバ-テンダ-に邪魔された。彼はスポットライトを私達

に当て、店の中で行為をするなと言ったが、それは怒って居ると言うより

は、他の客にショ-があるよと言っているみたいであった。私達は気まず

くなり、直ぐ行為を中断した。

 男の家はカストロ地区のビクトリアハウスの2階の一室だった。男はコ

ンド-ムを2個バ-から持ち帰ったから、これで私を責めると言い、私達

は直ぐ全裸になりベッドで抱き合った。だが、そのコンド-ムは結局使わ

れなかった。男が一方的なので私は白け、口で一度相手しただけで翌朝早

朝、バスが動き出す頃に男の家を後にした。何となく惨めな気分になり、

バ-で男探しはこれだけにした。やはり言葉の壁が立ち塞がっていて、中

々、バーの雰囲気に打ち解けなかった。

 友人に紹介された居候先、大屋カップルが居なくなると若いコロンビア

人と老婆との生活になった。すると若い男が煩い叔父さんの監視から自由

になり、家が騒々しくなった。ある晩秋の午後、金門橋を遠くに臨むゲイ

ビ-チで熟年に声を掛けれらた。スイス系アメリカ人のカ-ルさんである。

その時、もうSFに居るのも嫌になったので日本に帰ろうかと話したら、

なら、自分の家に来ないかと誘ってくれた。アメリカ人は実に寛容だ。私

はメキシコにある大屋の冬別荘に一週間暮らした後、紹介者には済まない

が最初の家を去り、カールの家に航空便までの一月間暮らす事になった。

家は又しても丘の上だが、太平洋側、ツインピ-クスの近く、真下はカス

トロ地区だった。カ-ルに最初は食費を払っていたが、何時からかお金を

取らなくなり、その代わり、料理ゃちょっとした家事をする事で埋め合わ

せをしていた。カ-ルは時々、シャワ-室に誘い、私に口で奉仕を求めた。

ゃなままで、だから余り私の興を呼ばなかった。彼はドイツ系らしい大男

で、体毛が尻穴にまで及び、性器はドイツ人らしいサイズである。私にし

ゃぶって呉れとせがむが毎回、口で相手せず、時には手で射精させた。

 カールの趣味は鉄道模型作り(かなり本格的だが自宅には無く、他人の

家や倶楽部で制作、公開操作)、キャンプであるが、一番好きなのはヌ-

ドになる事で、私達はそれこそ毎日、金門橋近く、SFの南、パシフィカ

の海岸とかに通った。風さえ避ければ冬でも問題無かった。或る時、私は

尿道にピアスをしている男のペニスを手に取って観察させて貰っている傍

らで、カ-ルは包茎の男のペニスを手にしていた。私は包茎が好きでは無

いが、カ-ルは包茎男を見掛けると話し掛け、ペニスの感触を楽しんでい

た。

カ-ルの息子や離婚した妻は私が居るのを余り喜んで居なかった。仕事と

かの理由がるだろうが、随分と勝手な言い分で、老人を孤独にさせ、しか

も下宿人を歓迎しない。カ-ルにしてみれば、身勝手な居候でも、独りで

居るよりはマシだと思っていたかもしれない。私は一度、カ-ルの運転す

る車で
SFLAの中間にある海辺の小さな町に住む元妻を訪れたのだが、カ

ールが体調を崩し、帰りは私が
400キロも距離を運転する事となった。

 一旦帰国し、私は半年後、再びカ-ルの家に戻った。その時は初夏だっ

たので私達はゲイリゾ-トとして有名なロシアンバレ-や、上ヨセミテや

タホ湖でのキャンプとヌーディストビ-チ、ネヴァダの鉱山町(今は観光

のみ)にドライブし、又、大学街バ-クレイのゲイサウナに行く予定で日

本酒工場を見学した事もある。そして3年目の米国滞在は早春、南カリフ

ォルニアの高級別荘地にある、カ-ルの知人である富豪カナダ人未亡人の

家に数日滞在した後、二人で砂漠地帯を北にドライブし、未だ、雪の残る

タホ湖のヌ-ディストビ-チ、モノ湖付近の野天風呂を楽しんでSFに戻

った。数日後、カ-ルが病院に行くと数日の入院が必要と分かり、指定さ

れた日、私と一緒に車で病院に行った。帰りは独りで運転したのだが、私

は無免許で、しかも車は新車。私はほんの数キロだったが、家に帰ると緊

張からぐったりしてしまった。一度、入院中に見舞いに行き、退院の時は

再び彼の車で迎えに行った。

 カールは何か予感めいたものがあったのだろうか?初夏、長男を連れて

スイスのベルン郊外の自分の生家のあった村を訪ねた。きっと、村人に長

男を紹介する目的があったかもしれない。私は彼の帰国後の連絡をずっと

待って居た。都合を確認してから航空券を買おうと思っていたのだが、メ

-ルに全く返信が無い。そこで日系人から電話が有った時、事情を話し、

調べて貰ったら、カ-ルはスイスから帰国して直ぐ脳梗塞とやらで亡くな

っていた。こうして、私は米国の基地を失った。











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