山野いでゆさんの体験談 №13                    .




私の男遍歴



(13) 四国旅行とその後の別れ




 関さんとは何だかそれっきりとなってしまった。こちらから電話出来な

いので、何度か手紙を書き、電話を欲しいと書いたがそれに応える事も無

かった。考えてみれば随分と関さんを侮辱した話であったが、その時はそ

れも二人の宿命と思った。家庭のある人との交際ならどちらが悪いと言う

事もないだろう。その反面、羽村さんとの交際は誰に憚る事もなくなり、

私達はお互いの家を隔週で泊りあっていた。今週3日は彼が私の家に訪問

し、翌週は私が西多摩に外泊していた。又、月に一度は写生旅行に出掛け

ていた。東北から中部地方まで、又、時には羽村さんの友人カップルと4

人で旅行に年に一度程度に出掛けていたが、その様な時は二部屋頼んでい

たので、夜は二人とも遠慮なく性に狂っていた。

 二人とも無職無収入なので、安宿泊りだったが、北海道や沖縄にも飛ん

だ。沖縄に行った時は知人宅に宿泊したのだが、一つのフロアをカ-テン

だけで仕切った場所で、プライバシ-は名ばかりだったが、性欲の強い私

達には遠慮と言うものを知らなかった。羽村さんをパブロフの犬と言った

事がある。道東に行った時、人気の無い公園で弁当を食べた後、私が森の

中から羽村さんを呼んだ。彼は何?と言いながら近寄って来たので私が彼

のズボンのジッパ-を下げたら、本当に、好き者だねと言いながら、彼の

トランクスの中は既に大きく勃起していた。羽村さんは条件反射的に直ぐ

勃起させるので、尺八好きな私には大変好都合で、私は日に何度も彼の魔

羅をしゃぶっていた。

 志摩半島行った時は人気の無い海岸の島影で尺八していたら後ろを遊覧

船が通過した事があったが、双眼鏡で見て居ない限り、男が男の性器を吸

っているなど分る筈がないと思いつつも、スリルな気分に更に興奮させら

れた。その日の宿はたった二人きりで、風呂も貸切なのは嬉しいが、食事

の時、従業員がずっと近くに待機してるので落ち着いて食事が出来なかっ

た。私達は急いで食事を済ますと逃げる様に部屋に戻り、それから二人き

りの宴を楽しんだ。羽村さんは酒飲みだったので、私達は部屋で焼酎を飲

んでいたのだが、彼は私の口の中に氷と焼酎を注ぎ、そこに彼の勃起した

性器を入れた。熱くなった亀頭に冷たい氷と焼酎が気持ち良いと言って、

それが彼の好きな酒の飲み方だった。勿論、ぬるくなると私がそれを飲み、

又、焼酎を口に含んだ。こうして宴は深夜までだらだらと続き、日付が変

わる頃に彼の精液を飲ませて貰い、朝も、入浴前に布団の上で乱れていた。

時には深夜、寝て居る彼の性器を咥えていたが、彼は寝ながらも勃起させ

てくれた。

 羽村さんの前の恋人が四国に住んでいる。その人に会いたいと羽村さん

が言うので、私の初めての四国旅行が叶った。コースは晴海から船で徳島、

それからは列車で屋島、高松栗林、金毘羅、池田、大歩危、高知、御荘、

宇和島、大洲、内子、最後は松山道後で、道後からは高速バスで東京に帰

るものであった。そろそろ晴海埠頭に行く時間に電話があった。誰何して

も反応が無い。奇妙は無言と思い、電話を切った。新木場駅で羽村さんと

落ち合い、フェリ-乗り場に向かう。乗船し、船が動き出して私達は直ぐ

大浴場に行った。お台場や羽田、京浜港、横浜の夜景を見ながらの楽しい

船旅であった。ふと、無言電話が気になり、羽村さんにきっと関さんから

だと言うと、彼は直ぐ否定し、妄想だと言った。

 徳島港には羽村さんの前彼だと言う熟年が待って居られ、私達を新町に

ある宿まで送って頂き、夜は郷土料理を御馳走になり、ゲイバ-にも立ち

寄った。徳島には2泊し、熟年さんに鳴門海峡、大麻、眉山、香川県引田

などを案内して頂き、何だか随分と私も一緒に集った気がして申し訳無か

った。高知では羽村さんの新宿2丁目仲間が転勤していたのでここにも2

泊し、やはり郷土料理とゲイバ-訪問を楽しんだ。高知市内だけでなく、

レンタカーを借り、私の運転で横浪や久礼、伊野と廻る事が出来た。

 羽村さんの友人の世話になっている時は何時もの通り、森や海岸で何時

もの破廉恥行為など出来ないが、二人きりであった屋島や御荘などでは人

気の無い所を見つけては私は彼の性器を咥えて一人、身もだえしていた。

忙しく、かなり節約した旅行になってしまい、羽村さんには済まないと思

いつつ、反面、節約すれば又何処かの温泉に出掛けられるのだからと自分

に言い聞かせていた。宿毛までは鉄道、そこから宇和島までは乗降自由の

バスで宇和島に向った。海岸沿いの国道には白装束の遍路姿を幾人か見掛

けた。それは私の羨望であったが、まさか、その翌年に実現するとは思わ

なかった。

 羽村さんとの一緒の旅行から帰宅して間もなく、関さんの家族から喪中

はがきが届いた。私はびっくりし、電話すると関さんの息子が関さんが亡

くなり、葬儀の件で私に連絡したが電話が通じないと聞かされた。翌日関

さんの家をお伺いし、仏壇の位牌、遺影に私の非礼を謝り、成仏を願った。

奥さんにお悔やみを伸び、葬儀に列席出来なかった事を改めて謝罪し、関

さんの家を辞した。関さんが一番助けを必要としている時に他の男に走り、

亡くなるその日に他の男と爛れた淫欲旅行に出掛けていた。勿論、知って

の事ではないが、何だか、取り返しの付かない汚点で自分の人生を汚して

しまった後悔がしきりであった。 

 反面、これで羽村さんとの関係も何処か擦れ違い、隙間風が吹く様にな

っていた。お互いの言い分をとやかく言っても仕方ない。多分、良くある

中弛みみたいな事かもしれない。ましてや羽村さんは余り不満を口にしな

いで、感じ取って欲しいと思う方で、口論を諍いと思い、相手がどんな人

でもそれを避ける生き方で、私は口にする方だ。又、私は彼の八方美人的

な性格に苛々していた。大事にされていない、守られて居ないと思う事が

多かった。私は恋すれば地獄まで一緒、羽村さんの経験では、愛など何時

かは壊れるものと知り、深入りを避け、だから八方美人的になる。そんな

訳で、彼は或る日、他の男性を知り、彼を魅力的に思うようになり、別れ

を切り出した。私には別れが辛かったが、ショックだったのは、私とのセ

ックスは忘れ難いので、これからも時々相手して欲しいと言われた事であ

った。余りにも身勝手な話で、私の人格は無きに等しかった。

 私は暫く旅に出る事にしたが、その前に、兄に宛てて書いた遺言を破棄

しておいた。そこには、何かあったらアパ-ト〈部屋の権利〉は羽村さん

に遺すと書いてあった。そして、羽村さんにこれ以上の関係は無いものに

したいとメ-ルを送り、私は夜、新宿駅に向かった。











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