山野いでゆさんの体験談 №14                    .




私の男遍歴



(14) 遍路旅




 5月の連休明け、新宿発のバスがやっと一日が始まったばかりの徳島駅

に到着した。鉄道に乗換え、四国霊場第一番の霊山寺口である坂東駅に降

り立った。空は厚い雲で覆われている。同じ列車で札所に向かう遍路と並

んで、だが、微妙な距離を保ちつつ札所に向ったのだが、寺に到着した時

には雨が降り出していた。寺務所で遍路に最低限必要な物を買い求め、先

ず雨の中、本堂と弘法殿に納経した。朝食を摂れそうな所を探しつつ、雨

の遍路道を歩く。朝食は2番寺でありつく事が出来た。一日目は#7まで

歩き、泊りは#6寺。荷を解き、直ぐ入浴。新潟から来たと言う遍路の腰

が逞しく悩ましい。宿坊では歩き遍路同士がかたまり、色々、アドバイス

や情報を交換し、仲間が居る事を頼もしく思えた。だが、部屋に戻れば話

す人も居ない人が居ない。例え話す相手が居ても、本当の事は話せない。

私は捨てる為に遍路に出たのだ。

 3日目の宿は、遍路殺がしと呼ばれる焼山寺を越え、鮎喰川沿いの村に

ある一軒宿。食事前、公衆電話から連絡した相手は羽村さんの前彼。明日、

徳島で会って呉れると言う。徳島まではかなりの距離で、しかも午前中に

豪雨となり、遍路小屋に避難した。ここには温かい飲物、果物などが用意

されており、村人の厚意に感謝する。雨が弱まるまで待つが、一向に止み

そうもないので又雨の中、阿波一宮を目指して歩く。雨も国府辺りを歩い

ているうちに上がり、徳島中心部のカプセルサウナには5時前に到着。昨

日、今日と随分と歩いた。疲れ切った足を湯で癒し、それから羽村さんの

前彼と会った。私はつい彼に甘え、心に貯めていた澱を全て吐き出し、ス

ッキリした気持ちで宿代わりのサウナに戻った。

 #23を過ぎると遍路道は退屈単調になる。遍路を出て1週間、3日に一

度位、雨になるのだが、流石、日本有数の多雨地帯、一度降ると豪雨並だ

が、丸一日続く事は珍しい。だが、遍路は観光旅行ではないので、雨だか

らと言って休んだり、バスを利用する気もならない。海沿いの果てしなく

続く国道を歩いて居るとつい歌を口ずさんでいたが、その歌『かもめはか

もめ』は男を諦めきれないが、諦めようと自分に言い聞かす歌詞の歌であ

った。土佐湾沿いにあった四阿で休んで居た時、地元の熟年に声を掛けら

れたのが切欠で、私は聞かれもしない事を話ていた。熟年は話の内容に困

惑し、『人生、いろいろありますね』と、逃げる様に去っていった。私は

『男に捨てられ、それで遍路に出た』と打ち明けていた。勿論、遍路の目

的は一昨年亡くなった関さんと母の菩提を弔うのが名目だが、それより羽

村さんを忘れたい、彼の居る所から去りたい気持ちが強かった。

 雨宿りした高知県のある遍路宿、遍路僧と宿守の二人が歩き遍路を接待

していた。私は濡れた雨具と靴を脱ぎ、畳に落ち着いて、温かいお茶を頂

いているうちに又心が弱くなり、聞かれるまま、包み隠さず我が身に起き

た事を話ていた。今まで余りにも急ぎ過ぎているから、ここで少し休んで

行かないかと言われ、私もその気になった。僧に勤行先達の作法を教わり、

明日はもし泊り客が居るなら私が先達をしなさいと言われた。その夜は籠

り堂みたいな所に泊った。翌朝、僧は遍路に出た。彼は死ぬまで歩き続け

る定めだと守のおじさんが教えてくれた。彼は家族から、社会から見捨て

られ、留まる所もないそうで、それに比較すれば私は恵まれ過ぎだと叱ら

れた。その日は終日接待に勤しみ、夜は守のおじさんの隣りで寝た。翌日、

私は身も心も軽くなったのを感じ、四万十川を渡る時、意地でも連絡を絶

っていた羽村さんに初めて携帯からメッセ-ジを送った。足摺岬で休んで

いると羽村さんからメッセ-ジが入っていて、私の念力なのか、男と別れ

たと書いてあった。随分と身近い関係に終わった様だった。私は別に仏に

祈った訳ではないけど、何か、可笑しく思えた。私は丁度半分の行程を消

化した。今まではどんどん羽村さんから遠ざかっていたのだが、これから

は又、戻る道、だが、もう元には戻れない。

 久礼、御荘、宇和島、大洲、内子、道後、どこも羽村さんとの思い出が

残る町。まさか、二人の四国旅行の最中、憧れで見て居た遍路を自分がこ

うして実行するとは夢にも思わなかった。内子から道後温泉まではやまが

ちの道が続く。峠道は暗い杉林で、マムシ注意の看板が気を重くする。だ

が遍路も一月も過ぎると身体が軽くなるのか、一日の歩行距離が
30キロを

超えるのも苦しいと思わなくなっていた。時々、道端に生えている持主不

明の枇杷の樹を見つけるとビニ-ル袋に実を摘んで、歩きながら季節の恵

みを味わった。何時かどうか他の遍路を助けてと、道の傍らの、芽を出す

事が出来そうな場所に種を落とした。

 松山を過ぎると難所は#60の横峰寺だけと言っても過言でない。山寺は

まだまだ残っているが、道の具合や傾斜、山の深さは#
60番が格段だ。こ

こは麓の寺に荷物を置いて、納経に必要な小道具と昼飯だけで往復した。

66は遍路道では一番の標高だが登りは緩やかなのでそんなに苦しくない

が、下りが急坂で疲れた身体には応える。民宿に到着し、洗濯機に汚れ物

を入れ、入浴して、夕食まで部屋で休んでいたら、私の洗濯物が何時の間

にか干し竿に下がっていた。若女将に私の越中を干して貰って、ちょっと

恥ずかしい思いをした。

 香川県に入ると遍路も最終行程。足や身体がすっかり慣れて、或る意味、

歩き中毒症状になっている。短距離だと歩き足りないが、歩けば歩くほど

四国を去る日がそれだけ早くなってしまう。何となく、そのまま二巡目と

言う人の気持ちが良く分かる。乞食は3日やると止められないと言うが放

浪も同じだ。善通寺、坂出、国分寺、高松(2泊)、そしてとうとう最後

の日になった。瓦町駅で長尾行き始発電車を待つ。近くに立っている男は

大学教授風の太目おじさんのス-ツ姿にうっとりと見蕩れてしまう。
40

弱、遍路を続けても全く効果が無く、相変わらず煩悩一杯だ。

 徳島の知人からメッセ-ジが入っていて、結願したら徳島に寄りなさい

と言っている。最後の山道、女体山を一歩、一歩踏みしめ、山頂で来し方

を振り返る。讃岐平野の向こうに突兀した山が不規則に並びに、島、八栗

が一際目立つ。緩やかに坂道を下ると#
88、大窪寺。実質37日の遍路、

長くて、短かった。昼過ぎの
100円バスで高速志度に行き、徳島行きのバ

スに乗車。徳島駅に近い宿は知人が予約、支払ってくれたホテルで、久し

振りの酒と郷土料理のあと、部屋で一時を過ごしたが、私の尻穴が固くて、

とうとう一つになれなかった。知人に申し訳なく、面目無かった。











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