築地の親爺たち


                                         抱念 さん 


第一話〜干物と佃煮


はじめに‥

この小説は以前ブログで、閲覧できる人を限定して、発表したものです。

元は『島の親父たち』という話に端を発し、その続編が『九州の親父』で

した。

『九州の親父』の途中からフォルダーへ移すようにしました‥それは多分、

或る日突然、トワエモワが歌いだし、書いたものが消えて無くなってしま

ったからだったと記憶しています。

落胆しました。

こんなことなら始めからそうしとけば良かったと、泣ける思いでした。

無くなってしまった文章はぼくが産みおとした赤子も同然。大袈裟ですが、

我が子が突然何処かへ行ってしまった拉致被害者の方たちとおんなじ思い

に捕らわれたのでした。

というわけで、この『築地の親父たち』はその大切な生き残り、ぼくの子

ども‥イヤイヤぼくの愛しい親父たちです。

お楽しみいただければ幸甚扱く。さらに感想など聞かせてもらえたら望外

の皺褪せ、生きる縁
(よすが)にもなりましょう。

 

 

扨、早老早漏幕男挙毛魔性‥

 

 

孫の良輔が東京の大学へ入学してしばらく経ったころ、息子と嫁が、良輔

の先輩に佃煮屋の倅がいると話しているのを聞いて、嘉輔は佃煮の話を無

性に聞きたくなった。

 

 

ーー**ーー

         ーー***ーー

 

中田嘉輔は肥前で干物屋を営む、六十八歳になる親父だ。

おでこからてっぺんまでハゲあがり、そのぐるりは、バリカンで刈りあげ

られたシラガが清々しい。そうして、なんとも愛くるしい顔をしているの

だった。

161センチ、66キロの小柄な体は頑健そのもの。力仕事もまだまだ息

子の手を借りずにやっていた。

 

嘉輔の干物作りには並々ならぬ拘りが有る。特にその原材料の産地と鮮度

には譲れぬものがあった。

目の前の玄界灘で捕れた魚は云うに及ばず、豊後水道は佐賀関に揚がる鰺

や鯖も、予め漁獲時季を見計らい、信頼を置く漁師に頼んでいた。

「これなら干物屋の親父も喜ぶだろう」

そういう魚が捕れた時だけ、揚がったその日の夕刻前に届くよう送り出し

てもらっていた。嘉輔は配送業者にも特別便を依頼していたのだ。なんと

手回しのいいことか。

 

嘉輔の手になる佐賀関の鰺鯖は、京都でたった一軒の料理屋だけに届けら

れる。

そして、それを一度口にした者は、間違いなくその虜になった。そして、

いつ入るか知れない僅かばかりの干物は、入荷を心待ちにする、ほんの一

握りの上客にだけ、知らせられるのだった。

 

そしてその噂を嗅ぎつけた人が時々分けて欲しいと掛け合ってくるのだが、

嘉輔はどなた様にも丁重にお断りする。

鰺も鯖も限られた量しか入って来ないし、例え入って来たとしても、干物

にするための世話をしきれないから、到底無理な話だ。

 

たかが干物。されど干物。

“生で食って極上の魚を干物にして、もっと旨いものにしたい"

それが嘉輔の見識だった。

 

海産物の干物は日本中どこにでもある。

ほんの一晩干したものから半乾き。そして、こんこんかんかん音が鳴りそ

うなものも。

このこんこんかんかん音が鳴りそうなものは、日本ならさしずめカツヲ節

やマグロ節の、フシの数々。そしてニシンといったところだろうか。

そして、中国料理にも“乾貨(かんか)"と呼ばれるこんこんかんかんがあ

る。

フカヒレ、干アワビ、海ツバメの巣、干ナマコ、干貝柱、干エビ等など、

超がつく高級食材から、中国料理の中国料理らしい味わいに欠かせない旨

味のモトまで、種々様々。日本以上に干物の価値を知る国。

 

鮑も海鼠も生だと磯臭さが鼻について、それが好きではない人には、こん

なもののどこが美味いんだ、となる。しかし、干して元の何分の一かに縮

こまったものを丁寧に戻し、上手に上湯の旨味を含ませて調味したものを

口に入れたら、これはもう笑うしかないのである。

さほどにナマと干物は違う。

乾貨とは妙なる言い方だ。干して、もっと大きなお金にするってことなの

か。これもまた、いかにも大陸的だ。

三千年とも四千年とも云われる悠久の歴史があるのだから、これは致し方

ない。当然のことだろう。

 

と言ってもフカヒレもアワビも、中国は日本から輸入しているのだ。その

乾貨をこしらえている東北の海ぞいの町にも、嘉輔は足を運んでいて、生

産の現場を具に見てまわっていた。だから、それらのことも実に良く知っ

ている。

 

そうやって、自分が今作っているものをもっと旨いものにしたいという気

持ち。そして、もっともっと旨いものにするにはなにをどうしたらいいの

か、その理想を日々求め続けていた。

嘉輔が作っている干物は、乾貨とは縁もゆかりもないかも知れない。しか

し、そういう志しが、嘉輔の干物には、込められているのだ。

 

 

ーー**ーー

         ーー***ーー

 

堀井佐三は老舗佃煮店「佃佐」の五代目。先祖は元々佃島で漁師をやって

いたが、その捕った魚を甘辛く炊いて売り始めたのが、佃佐のはじまりだ

った。

 

そもそもは江戸前で捕れた魚貝だけを使っていたのだが、やがて時は移る。

物流が発達して、同業者との差別化も計ってゆかなければならない。江戸

の時代の佃煮屋だけがライバルではなくなった。

そうして、東京湾やその近郊だけにとどまらず、全国各地に上質な魚介を

求め、それらを仕入れ、伝統的な味の仕方ではない、素材の持ち味を十二

分に引き出す味付けをほどこす。そうやって、新しい佃煮をこさえては、

増やしてきた。

 

 

ーー**ーー

         ーー***ーー

 

干物屋と佃煮屋。孫が介在しているのもなにかの縁と、嘉輔は夏休みが明

けるころ、孫とともに上京して、築地にある佃佐を尋ねた。

 

「あのぅ‥儂は九州の中田と申します‥、佐三さんはおいでですかのぅ‥」

醤油と砂糖で魚貝を煮詰めたコクのある香りが漂う店の中をひととおりな

がめた後で、店の人に声をかけた。

 

「どうもどうも、遠いところようこそ‥堀井です‥」

佐三が店の奥から暖簾をかき分けて入ってきた。

 

「ああ、すいませんなぁ‥ご無理をお願いしましてぇ‥、儂が中田ぁ‥」

 

「こっちへ‥」

言葉が終わらないうちに、佐三は嘉輔の手をつかみ表へ出た。

そして、店の前でタクシーをつかまえると、嘉輔を押しこむ

 

「七丁目まで‥」

嘉輔の隣に腰をおろして、運転手にそう告げた。



                                                続 く 







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