築地の親爺たち


                                         抱念 さん 


第二話〜けん太


嘉輔は、小魚を炊く醤油と砂糖の香ばしい香りを着衣に残した、佐三に手

を掴まれて、タクシーに押しこめられた。

 

 

「店じゃゆっくり話せないから、行きつけで一杯やろうと思ってね‥」

慌てて乗り込んだタクシーに腰を下ろした途端、こんな風にたたみかけら

れた。

 

江戸っ子は気が短かいと聞いてはいたが、ほんとにそうだ。嘉輔は面食ら

ったが、それでもそんな佐三がなんだか小気味好くて、男らしく思える。

 

その佐三だが、嘉輔には六十七か八、自分と同じくらいに見えたが、疾う

に七十を過ぎていた。

短く刈り上げた真っ白い髪を七三に分け、日焼けした顔との対比が精悍さ

を煽っている。175センチ、86キロ。大柄な上にこんな風貌の所為で、

七十四には見てもらえないのだろう。そして、背筋がぴんと伸びた姿勢の

良さに鉄紺の結城が粋に映る。板についたその風情が、嘉輔にはなんだか

とても頼もしく、心が浮き立った。

 

ものの十分も掛からないで、タクシーは銀座通りから一本裏へ入ったその

店に着いた。

 

『けん太』と小さく染め抜かれた水浅葱の暖簾が下がる、一間間口の店だ

った。六人も座ればいっぱいのカウンターと、小上がりに四人座れる卓袱

台が二つあるだけ。

狭い店だが、掃除が尽くされているおかげで、清々しくて気持ちが好い。

 

カウンターに掛けるやすぐに出されたおしぼりで、佐三は手を拭き、額の

汗と首筋を軽く押さえた。決してごしごしこすらない。それを嘉輔も見習

った。

九月も末に近いが、夏の名残がまだ後をひく、夕暮れにはまだ早い時刻だ

った。

 

「ケンちゃん、ビール‥」

佐三は若い主人に声をかけた。

 

「遠いところわざわざきたのに、無理やり引っぱって来ちゃって‥」

佐三はグラスにビールを注いだ。

 

「さあ飲りましょう‥」

ふたりはグラスを目の高さにかざすと、ひと息であおった。

 

「こちらこそ押しかけてきてしもうて、すまんことでした‥」

そう言いながら、今度は嘉輔が注ぐ。もう一度グラスを上げ、互いに一瞥

をくれると、静かに飲み干した。

 

「実はぁ、少しばかり干物を持ってきたんじゃが‥、店で渡せなかったけ

ん、どうすりゃいいかのぅ‥」

 

「悪いがケンちゃん焼いてくれないか‥、ケンちゃんも一緒にいただけば

いいよ‥、ねえ嘉輔さん、いいよね‥」

佐三は図々しくも堅太にさらりと頼んだ。しかも、初対面の嘉輔を下の名

で呼ぶ気安さ。それに悪気など微塵もない。

 

「あっあぁ‥堀井さんがいいんなら、わしゃなんも言うことはないけん‥」

ざっくばらんな佐三に、嘉輔は一層惹かれていった。

焼きたての干物がカウンターに並んだ。

 

「うーん、うまいねえ‥」

佐三がうなる。

 

「ぼくの知ってる干物とは、もう全然別物ですね‥、うまいなあ‥」

ケンちゃんが目を輝かせた。

 

「お酒つけてもらおうか‥こいつぁ酒の方がいいだろう‥、今日はうまい

酒が飲めるぞ‥ハッハッハハ‥」

そう言って、嬉しそうにビールをあおった。

 

「この人は嘉輔さんていってね、九州の干物屋さん‥、孫が大学の同級生

で、それが今日のご縁さ‥、そうだね、嘉輔さん‥」

 

「はいぃ、中田嘉輔です‥、佃煮のことぉ教えてもらいたくて、堀井さん

を尋ねて来たんじゃが‥」

なんて言ったらいいか、嘉輔は言葉につまった。

 

「嘉輔さん、ぼくのことは佐三でいいよ‥さあさ飲みましょう‥、ケンち

ゃん、もう一本つけといて‥、それとキンキもふたぁつね‥」

佐三はごきげんだった。

 

それから嘉輔は佐三に佃煮のことをいろいろ尋ね、嘉輔もまた、干物のこ

とを佐三に問われて答えた。

そうして、嘉輔は明日、佃煮の仕込みを見せてもらえることになった。

 

「ぼくのところへ干物を送ってもらえませんか‥うちのお客さんにも食べ

させてあげたくて‥、これぼくの名刺です‥」

佐三と嘉輔のやりとりにケンちゃんが割り込んだ。

 

「はいぃ、ありがとうございます‥、帰ったら息子にいいお客さん見っけ

たぞぉって話しますけんのぉ‥」

“鈴木堅太"‥名刺にそう書かれていた。

 

「嘉輔さん、ケンちゃんいい男でしょ‥若い時分に役者やってたんだよ‥

そうだったよね、ケンちゃん‥」

 

「もう三十年も昔のことですよ‥親父っさんたらいけずやなぁ‥こんな若

者からかって‥」

二人は顔を見合わせ、声をあげて笑った。

嘉輔にはふたりが眩しかった。

 

「キンキうまいですねぇ‥」

嘉輔が心底から感心した。

 

「そうでしょう‥」

佐三が得意げで嬉しそうだ。

 

「白いご飯に、このしたじをかけると最高だって、佐ぁさんがいっつもそ

うやるんですよ‥、ぼくは行儀が悪いって言うんですけどね‥」

嘉輔ににやりそう言って、堅太が白飯を置いた。

 

白いご飯とキンキのしたじ‥飯を置くタイミングも最高だった。

 

「ああ、うちで食べてるようじゃ‥いいですのぅ‥、やっぱり東京、さす

がに銀座じゃ‥、いいところへ連れてきてもろうてありがとうございまし

た‥」

嘉輔は本当に嬉しそうだ。

そして、嘉輔のそんな顔を見て、佐三もまたうれしかった。

 

 

そろそろ店が混みだすかなというころあいを見て、親父たちは席を立った。

「ケンちゃん、嘉輔さんの荷物預かってくれるかい‥、あとで寄るからさ

ぁ、お願いね‥」

 

佐三たちは銀座通りまで出て、タクシーを拾った。



                                                続 く 







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