夕日丘


                                         夕凪さん 



その5 再び公園で



東次郎はとても嬉しかった。

あの男が又公園でフルートを吹いていたからである。

土曜日になり、楽しみにしながら何時ものように公園に来たが、フルートの

音が聞こえず、公園を2度ほど回ってみたが、男の姿が見えなかった。

時計を見ると、約束の電話がかかる時間であったので、後ろ髪を惹かれる思

いで、公園を後にした。

せっかく何時もの時間に公園に来たのに、『あの人はどうしたんだろう、病

気じゃないだろうな?』と色んなことが頭の中に浮かんできて不安になった。

そのためか、なぜか、足取りが急に重くなったみたいであった。

電話を終わってから、もう一度、無性に公園に行きたくなった。

「これから、夕陽丘の公園へ行ってくる」と声をかけると、

「あら、お義父さん又お出かけですか?先ほど行かれたばかりでしょう?今

日は何か特別にあるんですか?」と言って嫁が変な顔をした。

東次郎はそんな嫁の言葉を無視して公園へ行くことにした。

『けしからん奴だあの嫁は・・・』とつぶやいた。

『2度も公園へ散歩に行くことはないでしょう?』と言った嫁の言葉に腹を

立てていた。

だけど、今朝一度散歩に行った公園へもう一度行かなければならない理由を

嫁に言えることも出来ず、ただ、不機嫌な様子を見せ、杖を取って出て来た

のである。

公園の入り口を入ると、かすかにフルートの音色がしたように思った。

少し、急いで歩きながら例の場所に行くと、あの男が一生懸命にフルートを

吹いていた。

そして、驚いたことに、今日は朝の散歩に公園に来た何人かの人が、固まっ

てその演奏を遠くから聴いていたのである。

東次郎は嬉しくなって、そのグループの後ろのほうへ行って、演奏を聴くこ

とにした。

しかし、東次郎の到着が遅かったのか、その男は2曲吹いただけで、フルー

トの演奏を終わってしまった。

東次郎はとても悲しくなった。

残念に思いながら、周りの人と一緒に東次郎は拍手をした。

そして、やっぱり来てよかったと思った。

フルートに堪能した東次郎は演奏者に声をかけてみようと思った。

ところが、演奏を聴いている群衆の中に犬を連れた女性が目に付いた。

何と彼女は確か紺野君の甥の嫁さんに違いないと思い、東次郎はその女性の

存在が自分の楽しみを台無しにしたように思い、不愉快なきもちになって、

その場を離れた。

別にその人が悪いのではないが、演奏者に声をかける自分が見られるのは嬉

しくなかったし、多分、彼女は東次郎に声をかけてくるに違いないと思った。

東次郎はその女性と立ち話できる雰囲気でも、気分でもなかった。

杖を突いて自宅に向いながら東次郎は思わず声を出して笑ってしまった。

『おい、お前がこの公園に散歩に来ることや、あのフルートの演奏に心を奪

われたことが別に恥ずかしくもないのに、どうして人の目を恐れてお前は逃

げ出してきたのか・・・』と自分に言った。

『そうだ、別に人の目を恐れる必要などないではないか・・・、現に散歩に

来ていた人々がその演奏に聞きほれて拍手をしていたし・・・』と付け加え

た。

家に帰ってからも、自分の取った行動がおかしくて、ひとりでに笑いが出て

くるので、嫁が気味が悪いと言った。

それでも、東次郎は自分の取った行動がおかしくてニヤニヤしていた。

自室に入って、椅子に腰をかけたとき、東次郎はふと、自分の心の中のこと

が見えて、呆然とした。

何と、東次郎は自分が学生時代に抱いたあのほのかな憧れをその男に見つけ

ていたのである。

自分の音楽の先生は背のすらりとした人で、女生徒の人気投票のナンバーワ

ンであった。

そんな先生に東次郎はほのかな感情を抱くようになり、それが教職を選ぶ原

因になったとは誰も知らないのであった。

実際、東次郎が先生になるといったときの両親の驚いた顔を今でも忘れるこ

とが出来ない。

だけど、そんな思いをあの男の中に見つけたこと、自分が何故楽しみにして、

散歩に出かけるようになったかはどうしても回りに気づかれたくなかったの

で、東次郎はこれから気をつけないといけないと思った。

それから、何日かたって、息子と孫が授業参観の話を持ち出した。

いくら可愛い孫の頼みであっても、東次郎は土曜日の午前中の散歩を断念す

るわけには行かなかった。

もう一度あの男に会いたいという思いがだんだんと募っていったのである。

そんな東次郎の心をわかるはずのない息子はいやみを言い始めた。

「お父さんはいつも、『孫のためならどんな犠牲でも』と言っていたじゃな

い。どうして、次の土曜日はだめなの?誰もお父さんを訪ねてこないし・・

・」

「おお、孫のためなら何でもしてやるさ、だけど、お前の頼みじゃな」と苦

しい言い訳をした。

「じゃ、おじいちゃん、僕から頼むから、ね、お願い。だって、家から誰も

来ないなんて僕嬉しくないもん」

「うん、お前の頼みならナ。でも、おじいちゃんのいた学校だしな、顔を出

すと皆嫌な顔をするんじゃないかな」

「そんなことないですよ・・・。卒業生の桃谷さんや紺野さんなんかいつも

お父さんのことを尊敬してくださっているんだし」

「そうだよ、だから、おじいちゃんが来てくれないと僕困るもん。それに、

今回は音楽の授業参観で、フルートの生演奏があるからと、先生から家族の

人に聞かせてあげてくださいと特別の招待もあるんだもん」

「そうか、フルートのね・・・」ふと東次郎は公園でフルートを吹いている

男を思い出したが、外の人の演奏を聴くのも良いものだと思い、まだ公園の

男に未練はあったが、孫の願いを聞くことにした。

『これから毎週あの男の演奏が聞けるんだしな・・・』と自分を慰めた。



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