夕日丘


                                         夕凪さん 



その6 緑ヶ丘中学校で



豊は指定された時間に緑ヶ丘中学校の門をくぐった。

受付で来訪を知らせると、校長室へ案内された。

「白石先生がお見えになりました」と案内をしてくれた人はノックをして言

った。

「おお、そうか、入ってもらってくれ」と聞いたことのある声がした。

そして、「どうぞ・・・」という声に豊は、「失礼します」と声をかけて部

屋に入った。

部屋に入ると、校長らしい人はいず、二人の熟年紳士がソファーに座って会

話をしていた。

何と社長ともう1人素敵な笑顔の熟年紳士であった。

「このたびはお忙しいのに無理なお願いをして、申しわけございません。私、

藤間純一の叔父で、紺野ともうします」と言って1人の見知らぬ紳士が立ち

上がって挨拶をした。

「いいえ、こんな私の下手な演奏が、お役に立つのなら・・・」と豊は言っ

た。「白石君、わしはとても鼻が高いよ、うちの社員がね、母校で演奏する

んだからな」と嬉しそうに社長が言った。

「しゃ、社長、演奏だなんて、ちょっと吹くだけですけどね」

「それでもすごいのさ、な、紺野」

「ああ、白石先生がこいつの会社の人と知ったときは嬉しかったね。だって、

純一から頼まれたときは、これはお前に借りを一つ返してもらえるチャンス

だと思ったからな」と笑って言った。

「あはは、こんなことならいつでもな」と社長が嬉しそうに答えた。

「もちろん、お前が演奏するんじゃなくって、こちらの白石先生だからな、

だから今晩お前は俺たちに夕食を招待せんと行かんぞ」

「ああ、それはわかっとる。7時でどうだ」

「白石先生、お聞きですか?貴方のご都合は?」

「あ、は?私は何時でも・・・」と豊は答えた。

「じゃ、そういうことにして、そろそろ純一が呼びに来るころだな」と言っ

て一同立ち上がった。

豊は二人にならって立ち上がった、紺野という紳士は意外と上背があり、昔

何かスポーツをしていたのか意外とがっちりした体格であった。

昔は逆三角形の体をしていたのではと後ろから体を嘗め回すように見ていた。

お尻も意外と引き締まっているようだ。

それに引き換え、社長はでっぷりと太って、背も低く、特にお腹が出ていて、

お尻も意外と大きかった。

二人の熟年紳士の後ろから、『僕はこんなときに何を考えているんだろう?』

と自分に対して笑いが出た。

藤間先生の案内を受けて、豊は先生の教室へ向った。

「白石先生、実は、今日は教室じゃなくって、音楽室を借りているんです」

「それはありがたいですね、音響効果があるからね」と豊は嬉しそうに言っ

た。

「実はそれもそうなんですが、どういうわけか今回の父兄の参加が期待以上

で、教室に入りきれませんのでね、突然変更したんです・・・」と藤間先生

が笑いながら言った。

「???」と豊は藤間先生が何を言っているのかわからなかった。

音楽室へ入ると、盛大な拍手で生徒と参観者から迎えられた。

こんな事を豊は期待していなかったので、面くらい、頭がボーっとしてしま

った。実は、豊にとって人前、こんなに大勢の前での演奏は生まれて始めて

であった。

とにかく、度胸をつけて、準備してきたことをはじめることにした。

まず、簡単な自己紹介とフルートという楽器の歴史並びにどういう演奏がフ

ルートとしての効果を発揮するか、色んな事を昔先生から聞いたことを思い

出しながら、判りやすく、簡単に説明した。

生徒も父兄も熱心に豊の説明を聞いてくれるので、豊はとても嬉しかった。

人類が最初に楽器というものを手にしたのは、もちろん打楽器である。

だから、太鼓というものはどの民族にも見受けられるのである。

その次に手に入れたのが笛である。

縦笛、横笛など。これは日本民族もその楽器を持っていて、素晴らしい曲が

演奏されている。

西洋においてもそうであり、日本の横笛に当たるのがフルートである。

と一通り説明をしてから、演奏に入ることにした。

時間的な制約と伴奏をしてくれる人がいないので、何時もの効果が出ないこ

とを考えて、豊かはできるだけ短い作品を演奏することにした。

まず、バッハのバディネリエを演奏した。

この曲は伴奏がなくても結構聞かせるし、非常に難しいが、フルートに親し

みのない人にも好感が持てると思った。

思った通り、観客はそんな曲を期待していなかったみたいで、度肝を抜かれ

たように静寂の中で鑑賞していた。

次に、皆の知っている、有名なグルックの「精霊達の踊り」を演奏した。

この曲は最初の出だしが、耳に心地よいが、ちょっと長かった。

そこで、最後に、ごく軽く、豊の大好きな何時もの曲、ビゼーの「アルルの

女」の中の間奏曲を演奏した。

観客はその曲の持つ甘い音階に魅了されていた。

演奏が終わって、豊がフルートを口につけたまま、しばらく動かずにいた。

それから、おもむろに口から離して、皆を見た。

ところが拍手がないので、一瞬豊はとまどってしまった。

それほど自分の演奏が酷かったとは思えなかったし、多少は自分でも満足の

出来る、それも心を込めて吹いたつもりでいたのに・・・・。

突然、一人の人が拍手をした。

すると、それに呼応するように、それから、怒涛のような拍手が鳴り出した。

それは豊かに対して感謝の心も含まれてるような温かみのある拍手のように

感じられた。

豊は感激し、照れを感じつつ頭を下げた。

盛大な拍手を聞き、豊はとても満足感を得た。

こんな気分になるならもっと早くから演奏会を開いたらよかったかな、なん

て思いもしていた。

笑顔で拍手をしている人たちにアンコール曲を拭こうと思った。豊は一人一

人の顔を眺め、そして、アンコールにもう一曲演奏することにした。

その時、フト、思いついて・・・、「どなたか、ご希望の曲がありますか?

私はあまりレパートリーはありません。又、演歌や歌謡曲などの曲もあまり

吹けませんが、出来たらクラッシックの曲を何曲かおっしゃってくださった

中で、演奏できるがあれば、アンコール曲としたいと思いますが」と皆を見

渡して言った。

一瞬、教室はざわざわとして、それぞれが色んな曲を頭に描いているような

雰囲気であった。突然、観客の後ろのほうで、「先生、出来ますならば、メ

ルカダンテのフルート協奏曲の中からロンドをお願いしたい」と渋みのある

低い声がした。

豊はその声のほうを見て驚いた。

何と、あの、公園で拍手をしてくれた老人であった。

豊は、その老人に向って、「うまく演奏できるかわかりませんが、努力しま

すので、お聞きください」と言ってフルートを口に持って行った。

豊は出来るだけ、軽快にみなが乗ってこれるように吹いた。

案の定、アンコール曲も豊が思った以上の効果があった。

多分、豊はその老人を意識して吹いたからだと思う。

藤間先生の感謝の言葉と、教室の皆の拍手を後に、豊は音楽室を出た。廊下

で紺野さんと社長が豊を待っていた。

「先生、とても、素晴らしかったですよ。やっぱりお頼みしてよかった。じ

ゃ、先生、今晩7時にね」と紺野さんが豊かに言った。

「はい、有難うございます。でも、7時にどこで?」

「お、これはしまった」

「まったく、お前はボケが始まったんじゃ」と社長が笑いながら言った。

「な、桃谷、例の中華料理店で良いか?」

「ああ、俺はかまわんぞ」

「じゃ、先生、7時にT駅の北口を出て、右に行ったところにある、P飯店で

お待ちしています」

「判りました、じゃ、そのころに」と言って、豊は社長と紺野さんを残して

学校を後にした。

豊の心は弾んでいた、紺野さんという素敵な熟年紳士、あの、公園の老人、

皆豊のフルートをほめてくれたのである。

『今日はこれから何を食べようかな』なんて考えている自分がおかしかった。



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